服部明子の平家物語研究室

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■ 平治の乱で頼朝を助けた3人について

 池の禅尼は崇徳天皇の子供の乳母だったそうです。でも自分の子供の頼盛には清盛方に付くよう説得したのだそうです。このことでなかなかの女性だったと評価を受けています。でも青墓(今の大垣)で捕らえられた頼朝を宗清が長男の家盛に似ていると禅尼に告げたことで歴史的なドンデンガエシを引き起こすことになりました。禅尼がいつ亡くなったのか分かりませんがどんな気持ちだったでしょう?

池の大納言頼盛

 池の大納言頼盛は崇徳天皇第1皇子重仁親王の乳兄弟になるのだから普通は乳兄弟というのは自分の命を懸けて守るべき立場なのに政治的判断で裏切りました。そして頼朝挙兵以後頼盛の立場は平家の中で浮いてしまいます。清盛のハーフ ブラザーって英語では言うんですけど(日本語は異母兄弟ですね)当然清盛の子供達からは初めから他人並扱いの叔父だったんでしょうね。だから頼朝を頼った本心には自分が血祭りに挙げられるかも知れない恐怖もあったんじゃないかと思います。2度も裏切った事実は世間の目の中で生きていくのにどんな思いだったのでしょう?頼朝からは大切にされて平家没落前に変わらない満たされた生活ぶりだったと書かれていますが心の中を覗いてみたいです。

池の大納言家の家人宗清

 さて宗清という人。私にはさっぱり掴めません。青墓で捕らえられた頼朝に随分良くしてあげて頼朝からは感謝されまくっているけど、普通だったら敵の大将の子供に情けを懸けるでしょうか??あの当時の人間だったら人道的な扱いをしないと思うのですが。そして平家都落ちでは壇の浦迄同行しているのです。宗清寺の縁起によると知盛さまの叔父になるそうですが、(乳兄弟でもあると私は思うのですが)壇の浦では一族と運命を共にせず伊賀に戻って頼朝から土地を貰って柘植姓を名乗りヒッソリと世を送ったそうです。

 私には宗清という人物が一番掴めません。池の禅尼のことは分かり易いです。私がこの3人の中で自分に一番近い人物を挙げよと問われたら頼盛です。頼盛のいたたまれなさとか恐怖心とか、よく分かります。でも宗清という人はさっぱり分かりません。一体何を考えていたんだろう?と疑問符ばかりです。私が宗清だったら腹切って詫びを入れると思います。絶対壇の浦まで同行なんてしません。針のムシロに座る勇気が無いし、自分の一族が敗れて海に身を投げていくのをとても見守れません。私がムリヤリ壇の浦迄引きずられて行ったなら発狂してしまうと思います。宗清の行動で1つだけ分かるとしたら故郷の伊賀でヒッソリ死を迎えたことくらいです。


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