■■■■■ 富士川の戦い まず日本の古典って中国の話が利用されていますでしょ?例えば太平記は中国の話の焼き直しが多くて、逆に書いた人の鼻持ちならない学をてらった態度がミエミエで嫌味ったらしいし、エピソードに限れば例えば倶利伽羅峠の火牛戦法。中国にこの話があるそうです。でも実際に義仲がこの戦法をやったのかどうかは疑問らしいですけど。牛を連れて行った事実はあったのでしょうね。 だから「平家物語」もかなり脚色されてて事実はどうだったのか疑う話が多いと思うのです。富士川の戦いの水鳥に驚いて平家が逃げ帰った話はどこまで本当なのか私には疑問だらけです。勝てば菅軍ですから鎌倉に遠慮してかなり歪曲されているのでは?と思います。 1)鳥に驚くという話は11世紀終わりの後三年の役で源 義家が飛ぶ雁の列が乱れるのを見て敵の伏兵のあることを知り危ない所を免れた、という話があります。平家の場合は水鳥の羽音に驚いて逃げ出した腰抜け集団だ、と逆利用したのではないのかしら?。 2)この源 義家の話は彼が中国の話を知ってたから教養のお蔭で助かったのだ、というオマケがつきます。源 義家は真の学のある人だった、と。平家は知ってたから逃げ帰った。。。と。 3)お寺のハトでも犬や人が近づいただけで一斉にバタバタ逃げるけど、鳥が連鎖反応すること当時の人も知ってたと思うのです。当時のことだから水鳥は一杯いたと思うのですが、ひょっとするとエルニーニョ現象で鳥の異常発生があったのでしょうか?それとも日本には珍しい変な鳴き声の鳥とか、羽音がうるさい大型の鳥でも集団飛来していたのかしら? 4)闘わずに逃げた、というけれど平家方で殿軍を勤めて戦死ししている人だっているのだからやっぱり戦闘はあったと思うのです。総大将の維盛がPTSかパニックディスオーダーでも起こして戦場を放棄したのかしら?総大将が陣地を逃げ出したらそれで戦いは終わりですから。 5)藤原忠清ほどの武将が鎧用の長持ちを置き忘れる程の慌てぶりとは一体何だったのかしら? 私にはとても水鳥に驚いたからとは信じられません。当時の人にもやっぱり疑問だったらしく「藤原忠清はそんなコシヌケじゃない」と書かれています。忠清には自分の口から事実を言えない事情があったのじゃないかしら? 結論:私は水鳥より維盛に問題があったのではないかと思います。 |
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