服部明子の平家物語研究室

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■ 平 宗盛

1)宗盛は紫色の袴の人に言わせると「ダメ盛」ですが、わたくしはそうは思いません。泳ぎ回ったのは息子の清宗のことが心配だったから、と言っているように宗盛は父親としては良いお父さまだったと思います。宗盛は清盛と時子の間の長男として大切に、しっかり愛されて育てられた人だったと思います。それに清盛が後白河上皇を拉致しようというのを必死に反対したし、裏切り者の田口を切ろうという知盛に反対したし、人としてはなかなか立派だと思います。

 ただ、平家一門の牽引を託された人物としては恥を後世に残してしまいましたがこのことも一ノ谷の合戦で知盛が息子を見殺しにして苦しみ号泣し宗盛が貰い泣きした話を思い出せば父親として、そして夫として、宗盛はわたくしには決して恥かしくない人物です。でも海から引き上げられた時語った言葉がマズかったと思います。「ただ清宗のことが心配だったから」では。平家一門または安徳天皇のことが心配だったと語っていれば、または鎌倉には政治を任せられないとでも言っていれば、あそこまで男を下げなかったろうに、と残念です。

2)平家が潔く滅んだと逆にしつこく頼朝暗殺を企んだ忠光、盛継、景清が平家の本流の人々でなかったことが惜しまれます。私は1199年の頼朝の突然の死が実は暗殺だったら嬉しいのですが。暗殺だったとしたら北条氏の仕業だろうと思いますが、忠光、盛継、景清の遺志を継ぐ人がいたという設定でどなたか小説を書いて下さるととても嬉しいのですが。

3)宗盛は貴族化して有職故実?に沿って正々堂々戦おうとし、奇襲を好む義経に負けたのかしら?と思うのです。保元の乱や平治の乱など清盛はなかなか知恵があるのに子の宗盛は清盛に似ず後白河には易々とだまされるし、田口が裏切るから斬ろうという知盛を押さえて許しているし。宗盛という政治家は現代に生きていたらなかなかの人格者だったんじゃないかと思うのですが、やっぱり彦島は平城でしょうか?平家の美意識からするとサルじゃあるまいし山のてっぺんなんかに住みたくないないとの女達の意見を受け入れたのかしらと女としての私は思います。


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