火の山砲台や老の山…
下関は、戦前、大陸の窓口として発展するとともに、アジア諸国への侵略の窓口ともなりました。そのため、街は、同時に重要な軍事要塞でもありました。
その往事をしのぶ軍事施設がいまでも市内各地に点在しています。比較的知られているのが「火の山砲台」跡や「老の山砲台」跡ですが、こうした施設について戦争遺産として保存し後生に伝えて欲しいという声があります。老の山の地元自治会では、防空壕を活用して資料館をつくって欲しいと市長に要望しています。
彦島には、老の山以外にも、現在の「彦島南公園」(通称・海軍山)や「田の首」の山(通称・陸軍山)などにも軍事施設がおかれていました。
「田の首砲台」は、残っていませんが、隣接する筋山砲台は、現在まで国有地として開発の手が入っていないため、当時の姿をほぼ完全に残しています。教育委員会の担当者は、「今まで見てきた下関の軍事施設遺産のなかでは、最高に保存状態が良い」と語っています。
筋山砲台
明治 年(1888)着工、翌年完成。6門編成の砲台。隣接する田の首砲台、さらに老の山砲台は、海底電線を通じて壇之浦の要塞司令部と連絡した。尚、田の首、筋山砲台は大正9年(1920)、要塞整理によって廃止された。
(原書房「日本築城史」より・図面も)
|