彦島は「日本書紀」にはじめてその名前が登場して以来、海上交通の要衝として、とくに軍事・国防の観点から重要な島として歴史に度々登場してきました。その歴史の中で多くの太古の権力者がこの島に軍事拠点を築き、時には黄泉の国への入り口として、時には時代の変わり目の最後との砦として位置付けられたことを示すさまざまな痕跡を島に残して去りました。
何のために誰が作ったのかわからないけれど、ひょっとすると太古の司祭の重要な拠点だったかもしれない彦島ピラミッド、平家の埋蔵金が埋められ盗掘しようとした人はみな死んでしまったという辰岩、学問上も諸説紛々の彦島岩刻画(ペトログラフ)、確かに存在したはずなのに場所さえ特定できていない平知盛の根緒城(ねおじょう)、多くの不思議な言い伝えとともに現存しているテトリガンス、などなど・・・・。このページではそんな彦島に存在する、存在したかもしれない不思議な遺跡や伝説の地を紹介します。
このページには学術的には何の根拠もないこと、場合によっては大きな間違いが言い伝えられているものも間違ったまま紹介しているかもしれません。このページのスタンスとしては、明らかに根拠のある史実については当然正確に伝えますが、それ以外の伝承や少数派閥の意見、管理人が現地に赴いた際のインプレッションなど、できるだけ多くの情報を幅広く扱いたいと思っています。
■■■■彦島の史跡
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■彦島筋山砲台跡 |
このリンゴ山というのがいつ頃から言われているのかっていうのが疑問なんです。これが江戸時代の地名でもリンゴ山というのだったらこれは大変な日本の学術上の発見なんです。
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■■■■彦島の遺跡
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■杉田岩刻画 |
このリンゴ山というのがいつ頃から言われているのかっていうのが疑問なんです。これが江戸時代の地名でもリンゴ山というのだったらこれは大変な日本の学術上の発見なんです。
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■■■■彦島の伝説の地
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■平知盛の根緒城 |
このリンゴ山というのがいつ頃から言われているのかっていうのが疑問なんです。これが江戸時代の地名でもリンゴ山というのだったらこれは大変な日本の学術上の発見なんです。
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■彦島ピラミッド |
特にこの彦島というのは平家の里と言われていることからもわかりますように平知盛卿の所領地で、屋島の戦いで敗れて彦島に参りまして砦を築いたのですがどこに作られたのかわからない。
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■サイ上がり |
舟を出して黄金色に輝く場所に行き、矛(ほこ)を持って海中を突き刺したところ、新体と思われる像の左目につき当て海中から引き上げてきました。
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■辰岩 |
高杉晋作は、彦島にとって大の恩人である。というより、むしろ、近代日本に於ける大恩人ということが出来よう。
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■テトリガンス |
高杉晋作は、彦島にとって大の恩人である。というより、むしろ、近代日本に於ける大恩人ということが出来よう。
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