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筋山砲台跡・スケッチ

 砲側庫と砲座の位置関係を受けから見ると上図のようになります。
 砲側庫はV字谷の底に作られた通路から階段数段で下に降りた位置にあります。通路の中央は凹上に石が組まれています。砲側庫の脇には裏手の砲座に上がる階段が作られ階段を上り詰めた位置に砲座があります。砲座は階段状の丸いくぼ地ですが、腐食した植物などで埋まっているため内部構造はわかりません。砲座の周りは丸くすり鉢状の地形になってます。

 上の図は彦島筋山砲台のかつての姿の想像図です。

 砲座は手前の6号砲台は現在の状態ですが、1〜5号には砲塔を想像して描いてみました。砲塔のデザインは下関(1888年着工)に10年遅れて同様の砲台が築かれた北海道函館山(1898年・明治31年着工)に現存している砲台を真似ました。

 6号砲塔の前には門のようなレンガ積みの構造物の残骸が残っていましたので、1915年に作られた門司検疫所彦島措置場の門をまねたものを描いてみました。今回の現地調査では1号砲塔の方から現地入りしましたが、6号砲塔からふもとの道路までは幅1メートルほどの道が現在も残っています。

 実際にはこのほかに兵舎や監視台などがあったはずですが、場所やその構造については情報がありません。1号砲台側(上のスケッチの奥側)にはもう場所がありませんので、6号砲台向かって左手に広い更地がありますので、そこに関連する施設がまとまって造られていたのではないかと想像できます。

 砲台の向こうは関門海峡、そして北九州です。

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