イントロダクション 〜辰岩伝説〜
老の山公園や第一高校へ上る途中の右手に真新しい市営住宅が建っていますが(林兼造船従業員アパート跡)、この東端の一段高いところに「辰岩」と呼ばれる岩があります。
辰岩のあるこの森には800年以上も前、平家の落人が隠れ住んでいました。この男は平家再興の望みもむなしく、辰の年の3月24日に割腹自殺してしまったということです。それ以降毎月24日には、落人の隠れ住んでいた森から大きな竜が出てきて海峡に向かって大きな声でほえるので、この村の人たちは24日が来ることを非常におそれていました。
ある年、偉いお坊さんがその話を聞いて竜を鎮めるために彦島にやってきました。そして森に入り、三日三晩お経を唱えて落人の魂を鎮めたところ、竜は現れなくなりました。村人は、平家落人の魂を弔うために供養塔を森の中に立てることにして、森に入ってみると、落人のすまいがあった場所にはどこから運んできたのか大きな岩がたてられていました。村人は不思議に思いましたが、きっとこれは落人の墓であろうと考え、その後、酒や花を供えて平家落人の供養を続けました。この頃から、この岩のことを「辰岩」と呼ぶようになったそうです。
その後、いつの間にか、辰岩の下には平家の財宝が埋まっており、ここに住んでいた落人はそれを守っていたのだ、という噂が広まりました。その噂を聞きつけて、多くの欲深い男が夜中に辰岩にやってきてそれを掘り出そうとしました。しかし、財宝を掘ろうとした物は皆、気が狂って「竜が来た」「竜が来た」と叫ぶばかりでした。そう言うことが続いて、落人の命日に花を供える以外、誰も辰岩に近づかなくなりました。
ある時、小倉の商人、嶋屋与八という人物が財宝の真偽を確かめようとやって来ました。与八は、これまでの盗掘者が、夜中に一人でやって来てこっそりと掘り出そうとしたから、竜の幻を見て気が狂ってしまったのだと考え、村人を辰岩のまわりに集め、大勢が見ている前で財宝を掘り出すことにしました。
与八が大勢の村人の前で鍬を振り下ろした途端、鍬を持った両手を高々と振り上げ、大声を上げながら気が狂ったように辰岩のまわりを走り回り始めました。やがて、持っていた鍬が自分の頭に落ちて与八は死んでしまいました。村人は、与八の墓を建て、やがて、誰も辰岩のことを口にしなくなり、忘れ去られていきました。
郷土史家富田義弘氏の「ひこしま昔ばなし」によると、戦前は辰岩の森には多くの五輪塔や地蔵尊が立っていたそうですが、現在は山の所々に、辰岩と同じ岩質の石が転がっている程度で特に何も見つけることが出来ません。また、同書には「与八と書かれた墓石などもあったが、戦後ほとんどなくなってしまった」と記載されていますが、与八の墓石は、現在辰岩のすぐ脇に立っています。
与八の墓
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