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■吉川英治の「新平家物語」に見る彦島■
その9 死後の姿を心した人々
文治元年(1185)3月23日午後・・・
みかどは桔梗色のお袴に、薄色の練絹の小袖を召され、下に濃い山吹の色を襲(かさ)ねておいでになった。そのみかどの乗ったおん輿は供奉の公卿、僧侶、大勢の女房達に付き添われて低い丘一つをこえて福良の海辺の方へ流れていった。
夕迫る浜辺はものの区別も定かでないほど女人の姿も甲冑の影も黒々と混雑していた。真っ赤な夕日の波映がぎらぎら目を射るせいであろう。そしていく艘かの唐船作りの楼船、幾十艘の兵船、無数の小早船(こばや)や小型の船も海面を埋めていた。
みかどのおん輿が懸板を渡る・・・。かつて清涼殿をきらびやかにかざった女性たちが輿を取り囲んで、風の中に立ち惑うと、磯の香も覚えぬほど伽羅や白檀のにおいが甲冑の影の間を吹き漂った。そればかりか、あすには亡骸になってどこへ流れ着いても人目に嘲(わら)われないようにと、死後の姿を心している人々でもあるので、風にひるがえる袖の裏や裳や黒髪の黒さまでいずれも目が覚めるほど清げであった。
やがてのこと、ここ福良から三百余艘の影が東方へ動き出していた。またたちまち田ノ首でも数十艘が加わるのが見え、他の浦々からも島を離れて合流する舟影が百七十、八十艘をくだらなかった。(新平家物語・みかどと蟹)
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