■■■■テトリガンスの伝説
冨田義弘著「ひこしま昔ばなし」(ほう江山書房)より引用
手取り鑵子(てとりかんす)
西山の海岸は、新生代第三紀層(約3千万年前)から成っており、奇岩怪奇勝の連続ですがあまり知られていません。 青海島よりも、また、東尋坊よりもそりゃあすばらしい、と島の古老達は自慢しています。その、西山の舞小島の近くに「手取りカンス」と呼ばれる怪崖の洞窟があります。多年の風化作用によって、穴の中にはいろいろな形をした物がぶら下がっています。
昔、その中に、茶釜そっくりの物が下がっていて、まるで金で作られた物のように、キラキラ光っていました。里人達は、これは神様が作って下さったものだ、とありがたがって日夜、参拝を欠かさず大切にしていましたが、ある日、小倉平松の漁師がこれを見つけました。
「この茶釜は見事だ。持って帰って家の宝にしよう」
と、茶釜をもぎ取り、船に積んで帰りかけたところ、にわかに海が荒れて、漁師も急に腹痛をもよおし、我慢できなくなってしまいました。恐れおののいた漁師は、茶釜を海に投げ捨て、大急ぎで小倉へ帰りました。すると不思議なことに荒らし物腹痛も収まったということです。
このあたりでは、茶釜のことを「鑵子」とも言いますので、その後、この岩屋のことを誰というと無く「手取りカンス」と呼ぶようになったと言われています。
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冨田義弘著「ひこしま昔ばなし」(ほう江山書房)より引用
(原典は下関図書館発行「下関の伝説」)
手取りガンス
小倉長浜の商人二人が船に荷を積んで下関へ向かうとき、ちょうど、テトリガンスの沖合にさしかかったところ、岸辺に何かキラキラ光る物がありました。二人の承認は早速船をその岸に着けて調べてみますと、2つの大きな壺がテトリガンスの中にありました。開けてみると目にもまばゆいほどの金銀財宝が入っていました。
驚いた二人はそこで話し合いをし、一応財宝をここにうまく隠しておき、下関で商売が終わった跡、取りに戻り、持ち帰って山分けにすることにしました。そして二人はまた船に乗りましたが、彦島西山を廻って小戸に入ったところで、どうしたことか、一人が急に頭が痛くなったので、陸に揚げてくれといいだし、仕方なくもう一人の商人は病気の商人を彦島側に上陸させ、急いで唐戸へ向かいました。しかし、船の中でふと考えて
「うん、あいつの頭痛はきっと仮病に違いない。わしをだまして先回りし、あの壺の財宝を取りに行ったのだ。いけない!」
早速船を元に戻し、後を追いかけ、テトリガンスに急ぎました。
そして財宝のあったところへ来てみますと、思った通り壺のひとつは蓋が開いており、その中は瓦ばかりが詰めてありました。都、その側を見ると、あの先回りした商人が死んでいるではありませんか。次第にあとから来た商人も恐ろしくなりましたが、もう一つの壺に何が入っているのか見たくてしかたありません。
こわごわと壺の蓋を取り、中を覗いてみると、これもまた瓦や石ばかりです。あまりのことに商人は発狂してしまい、海の中に飛び込んで死んでしまいました。
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解説
テトリガンスの名前は、カンス(釣鐘)を漁師が手でもぎ取った、というところから付いたと言われていますが、カンスは釣鐘ではなく、鑵子(カンス)と書いて湯を沸かす器とか茶釜のことだともいわれています。ところで、このテトリガンスは彦島西山の海岸沿いにあります。この一帯は砂岩で、長年の風や波のため自然に洞窟を作り、岩肌が乳色で、天井にはいぼのような突起があり、これは地元の人に言わせると女神の乳房であると崇拝されています。この洞窟は高さ約18メートル、幅約36メートル、深さ6メートルのもので、最近までその奥に井戸の跡らしいものがあり、近くの人はこの洞窟を海賊のすみかであったといています。
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