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サイ上がり

 保元二年(1157)今から約800年の昔、伊予の国(愛媛県)勝山城主、河野通次(こうのみちつぐ)が戦に負け、追っ手を避けながらようやくのことで彦島に落ち延びてきました。

 河野通次と五人の家来はこの彦島で力を蓄え、もう一度勝山城を取り戻そうと、しばらくの間、なれない農耕や漁をして、兵を挙げる日を待っていましたが、頼みとする家来たち二人は病気でなくなり、一人は伊予の国の様子を調べに行ったまま帰ってこず、とうとう望みを捨て、彦島に永住する決心を固めました。

 それから二年経った平治元年(1159)10月15日、里(いまの迫)から西南にあたる海上に不思議な紫色の雲がたなびき、その下あたりの海中が黄金色に輝いているのを、島のイナ釣りの男が発見しました。男は早速、そのときの島の長になっていた河野通次に知らせると同時に島民にも知らせました。島の人たちは浜辺に集まり、

「ひょっとすると不吉な兆しかも知れない」
「いや、きっとあそこに黄金が沈んでいるんだ」

とか、わいわい言って騒ぎ立てました。

 結局、最初に見つけた男に調べさせようと言うことになり、その男はこわごわ舟を出して黄金色に輝く場所に行き、矛(ほこ)を持って海中を突き刺したところ、新体と思われる像の左目につき当て海中から引き上げてきました。

 心配そうに様子を見ていた河野通次はその像を見て、これこそ我が守り本尊であるとして、近くの小島にお堂を作って像をまつり、これを光格殿(こうかくでん)と名付けました。

 このとき通次は、鎧甲を着て、左右に太刀と弓を持ち、武運長久を祈るとともに、舞をまい、

「さあ あがらせられた」

 と大声で叫んだことから、この小島を舞小島と言うようになりました。
また、おもしろいことに氏神様の左目を矛で突いたことから、彦島の人は昔から左目が細いという言い伝えがあります。

 ご神体は、その後、正和3年(1314)にいまの宮の原に移して長く彦島の氏神様として親しまれてきました。そして毎年10月15日には「サイ上り」の神事が行われていますが、そのようすはまず最初に、かみしもをつけた子供三人が飛び回ります。すると鎧甲をつけ、太刀を腰に、弓を手に持った者が子供を矛で突くまねを幾度も繰り返します。そして「サイ上り」をさけびます。子供の飛び回るのはイナが飛ぶまねで、弓でつくのはご神体を海底から突き上げたときの意味。「サイ上り」とは通次が「さあ あがらせられた」と喜んで叫んだ故事をそのまま伝えるものといわれます。そしてこの鎧武者や、イナなどになる人は、むかしから、彦島十二苗(びょう)の家から参加することになっています。

十二苗・・・河野、園田、二見、小川、片山、柴崎、植田、岡野、百合野、和田、登根、富田

 


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