志度寺
高松駅からJR高徳線の特急うずしおに乗り換え、20分ほどで志度に着きます。志度駅は現在改築中ということで、仮設の駅舎から工事現場の合間を抜けて国道11号線を渡り、海に向かってしばらく歩くと「平賀源内先生遺品館」や「志度寺」があります。
義仲の粗暴さに失望した後白河法皇は鎌倉にいた頼朝に義仲を討つよう密使を送り、それに答えた頼朝が派遣した弟の範頼・義経が寿永4年(1185)正月、義仲を討ちました。兄弟は一ノ谷に陣を構えた平家をせめて敗走させた後、範頼はいったん鎌倉に帰りましたが義経はそのまま都に残って都の警備に当たることとなりました。このとき平家側はというと、宗盛は安徳天皇を擁して屋島に城を構え、知盛はそのまま西下して揺れ動いていた安芸・周防を押さえ、周防大島を経て長門彦島に要塞を築きました。
寿永4年(1185)2月、義経は四国の監軍として屋島攻撃の命を受け、2月17日、強風をついて摂津国渡部を出帆し、19日に屋島を急襲しました。この戦いで宗盛は屋島を逃れここ志度に移ってきたといわれていますが、結局は22日に再度義経の攻撃をここ志度で受け知盛を頼って瀬戸内海を西下することになりました。その志度の戦いが行われた場所がこの志度寺の付近だといわれています。
【志度寺】
志度寺は推古33年(625)に創建されたと言われていて、広い境内には国の重要文化財に指定された本堂、仁王門をはじめ、鮮やかな朱塗りの五重塔(近年建立)などが並んでいます。また室町時代に讃岐守細川氏によって寄進された曲水庭園は有名です。四国八十八カ所の第八十六番札所となっており、大勢のお遍路さんが訪れておられました。