2:祈り岩・・・那須与一が扇の的を射るときに、郷里(栃木県)の那須大明神のかわりとして祈願した岩
3:駒立岩・・・扇を射るときに駒を立てた岩
4:景清のしころひき・・・平家の悪七兵衛景清と源氏の三尾谷十郎が太刀を交え、十郎の太刀が折れ逃げようとしたところ、景清は後ろから十郎のかぶとのしころをつかみ、力の限り引き合い、お互いの首の強さ、腕の強さを誉め会ったと伝えられています。
5:射落畠(いおちばた)・・・佐藤継信は、能登守教経の弓を受け射落とされ、義経の身代わりとなり忠死をとげたところ。
6:州崎寺(すざきじ)・・・八栗寺(やくりでら)の末寺です。佐藤継信の亡骸をこの寺の扉に載せて源氏の陣営まで帰ったといわれています。
7:総門跡・・・平家の前鞘陣地として柵を構え総門を建てていた跡です。
8:六万寺(ろくまんじ)・・・屋島に行宮ができるまで、この寺を安徳天皇の仮御所としていました。
13:義経の弓流し・・・ 源平合戦(1185)の頃、この付近一帯は遠浅な海岸であり、義経は馬に乗って海中に打ち入って戦っていました。そのとき、脇下にはさめていた弓を落としてしまい、平家がたの越中次郎兵衛盛継に熊手を懸けられ危うく落馬しかけましたが、義経は太刀で熊手をあしらい左手のムチで弓をかき寄せ引き上げました。危険を冒してまで弓を拾ったのは、平家に拾われて「源氏の大将ともあろう者が
こんな弱い弓を使っているのか」と、物笑いになるのを怖れたものだと言われています。
14:相引川(あいびきがわ)・・・屋島を取り巻く海水の流れている川で、潮の干満によって東西から満ち寄せ引き分かれるところから相引川と呼ばれています。