title-8.gif (2007 バイト)  

        
平家物語
おびお版平家物語を歩く
赤間神宮

日子の島TOP

平家物語
│ │
│ ├服部明子の
│ │  平家物語研究室
│ ├おびおお版
│ │  平家物語を歩く
│ │  └竹生島写真集
│ ├吉川英治の見た彦島
│ ├情報
│ ├ストーリー
│ │
│ └平家物語リンク集

平家物語を熱く語る

リンク・著作権・お願い事項

管理人にメールを送る

メールマガジンの購読


 

竹生島

竹生島と平家物語の関わり 

 竹生島は島内に竹生島大神宮(都久夫須麻神社)があり、弁財天が祀られています。木曾義仲討伐に赴く平経正がここで琵琶の曲を奉納した折りの奇端(祀神が白竜に転じて降臨した)から平曲家の間で重んじられています。(新潮社・新潮古典文学アルバム平家物語)

竹生島(ちくぶしま)

琵琶湖北部に浮かぶ小島。面積0.14km2。樹林におおわれ,〈竹生島の沈影〉は琵琶湖八景の一つ。古来より信仰の島で,西国三十三所30番札所宝厳(ほうごん)寺(竹生島観音)や都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島明神)があり,ともに桃山建築の遺構をもつ。宝厳寺に平安時代の装飾経《竹生島経》が伝わり,弁天堂は日本三弁天の一つ。
マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社

参考 

平経正(つねまさ)

 清盛の弟・経盛の長男。無冠大夫敦盛の兄。

竹生島大神宮(都久夫須麻神社・つくぶすまじんじゃ)
 滋賀県びわ町,琵琶湖中に浮かぶ竹生(ちくぶ)島に鎮座。旧県社。延喜式内社。古来当地には水神浅井姫命(あざいひめのみこと)(主祭神)が祀られ,湖上交通の安全が祈られていた。一方奈良時代から修験僧の行場となり,平安時代以降には〈神仏習合(しんぶつしゅうごう)〉が進み,弁財天を本地仏として祀り,竹生島権現・竹生島弁才天社と称し,神宮寺の宝厳(ほうごん)寺僧が別当を務めた。近世までは〈竹生島〉として両者一体で信仰された。当社は明治の〈神仏分離〉で弁才天堂を本殿として独立。本殿は豊臣秀頼(とよとみひでより)が京都の豊国(ほうこく)廟の一部を移建したものとされ国宝。隣接する宝厳寺観音堂(重要文化財)へは舟底天井の渡廊(重要文化財)でつながる。同寺の唐門(豊国廟唐門を移建),〈竹生島経〉と呼ばれる平安期の装飾法華経は国宝,ほかに鎌倉期の絹本着色如意輪観音像・石造五重塔など重要文化財が多い。(マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社)

平曲(へいきょく)
 平家琵琶ともいう。日本の琵琶楽の一種。琵琶を伴奏楽器とし,《平家物語》の詞章を語る声楽曲。起源に関しては《徒然草》で生仏という盲僧が語ったのが最初とされているほか諸説ある。盲人の間に伝承され室町時代に流行したが,江戸時代に入って衰微し,現在の伝承者は数人のみ。(マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社)

平家物語「竹生島詣」 | 現在の竹生島