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平家おどり

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 平家踊りの起源は明らかではありませんが、寿永4年、1185年3月24日、平家滅亡の日以来、壇ノ浦に入水した安徳天皇の霊を慰め、平家一門を供養するために始まった踊りであると言い伝えられています。現在では、先帝祭の上臈道中と共に、下関市観光行事の中心となっている由緒ある踊りです。

 平家踊りは、下関市内では各地で各様に夏の行事などで踊られ、下関の夏の締めくくりとして毎年開催される「馬関まつり」の総踊りは、6000人を超える踊り手が市内の大通に集まり、2時間以上に渡って踊り続け、非常に壮観です。

 また、下関市内に限らず、各地の博覧祭の山口県郷土の日や、フランス・ニースの国際カーニバルをはじめとする、世界各地の民俗舞踊の祭典に招待され、その独自性と芸術性は国際的にも高い評価を得ています。

 平家踊りの音頭、口説き(歌謡曲でいう歌詞)は非常に多様です。下関はかつて、大阪に次ぐ日本の第二の都市として、北前船の寄港で栄えましたので、全国各地の船乗りの口ずさみと共に地方色豊かな口説きが集まり、そして、下関の口説きにもバリエーションがもたらされ、逆に、独特の「引接寺(いんじょうじ)口説き」などは、船乗りによって、全国に伝えられました。

平家踊り

引接寺(いんじょうじ)くどき

国は中国長門の国よ
小名を申せば赤間関よ
関は千軒並びはないが
萬小間物京屋の娘
歳は十六その名がお杉
同じその町の引接寺様に
四月八日はお薬指詣り
薬指詣りて和尚を見そめ
一目見るより早恋となる
二目見るより我家に帰り
三目と見られぬ和尚の顔よ
我が家に帰りて二階に上がり
硯引き寄せ墨磨り流し
鹿の巻筆小筋の紙に
書いた文おば七尋あまり
思う恋路を細かに書いて
文の使いは寺仲間の
和尚様へと差し出しければ
和尚手に取り封切り見れば
世にも大気な女もござる
是非もならぬと文押し返す
情けなや
お杉やむごいよ細谷の
丸木橋かや文戻されて
又も使いがお小僧様の
之をお杉に送りて給え
お杉手に取り封切り見れば
之は我が手で我が書いた文
文をさらされああ残念な
どうでこちから行かねばならぬ
お杉衣装は数々あれど
店の手代の衣装を借りて
頃は五月の上旬なれば
下に召すのが白経巾よ
上に召すのが京縞袷
綾の帯おばきっしゃり締めて
羽織羽二重梅鉢の紋
印籠巾着小脇に提げて
長い脇差しお腰に差して
足袋は京足袋八つ緒の雪駄
深い編み笠おっとり被り
前や後ろにすかしを入れて
夜の八つにと我が家を出でる
一に参るが亀山様よ
高いところに腰うちかけて
煙草吸いつけ沖眺むれば
沖の大船帆掛けて走る
何れ見てさえ心が勇む
早く此方から行かねばならぬ
夜のことなり常門閉まる
裏に廻りて墓道忍ぶ
夏のことなら雨戸は障子
和尚寝間へと密かに歩む
「和尚の寝間につくまでに
 こんぐりにくいこんぐり堂が
 三つある
 一番目のこんぐり堂をこんぐりこんで
 二番目のこんぐり堂をこんぐりこんで
 三番目のこんぐり堂が
 こんぐりにくいこんぐり堂で
 こんぐりにくいこんぐり堂も
 こんぐりた」
和尚和尚と二声三声
和尚驚きこりゃ何者か
「又は亡者の浮かばぬか
 浮かび得んなら浮かばしょか
 赤い衣に七条の袈裟かけ
 手には水晶の数珠を持ち
 剥げた木魚をかかえ出し
 朝から晩まで南無たらかんの」
助けとらせん南無阿弥陀仏
そこでお杉がほやりと笑う
魔法でござらぬ変化でもない
去年いつやらもう春の頃
文を送ったお杉でござる
どうぞ和尚の情を頼む
そこで和尚も言い分ござる
我は比家の半田のせがれ
七つ八つから出家となりて
三十三まで比の寺勤め
わしが習いし経文の段
馬に負わせば千駄もござる
船に積んだら千石船か
坊主落とせば奈落に沈む
そこでお杉も言い分ござる
坊さんなりとて男でないか
髪にたぶさが一寸ないばかり
千夜通うたら一夜はなびけ
小野の小町のあの末見なれ
お釈迦様でも八十三で
恋をなされた例も御座る
物に段々譬もあるが
沖の大船帆かけて走る
港見かけて一夜は泊まる
山の谷間に咲いたる花も
人が通らにゃ盛りも知れぬ
道に生えたる草木たちも
露がおろせば一夜はうける
森を見かけて小鳥がとまる
蝶々なんぞは菜の葉にとまる
「水に浮いたる浮き草も
 水に便りはなけれども
 蛍に一夜の宿を貸す
 駒に踏まれし道芝も
 駒に便りはなけれども
 露に一夜の情けあり」
和尚見かけてお杉がとまる
是非に今宵は落とさにゃおかぬ
これが叶わにゃこの脇差しで
自害致すとお杉が言えば
之に驚き理屈につまり
町に下りて小宿をとりて
何のてんぼの一夜は落ちよ
酒の肴はたわらごなます
鯉の刺身に鱧蒲鉾で
鯛の浜焼鮑の酢和え
飲めや引接寺歌えやお杉


平家踊り

源平音頭

頃は寿永の四年の昔
奢るものは久しからず
たとえの如く平家の軍勢
都落ちして鵯越えや
四国屋島と追われに追われ
海を逃れてここ下関
安徳帝と其の神宝(みたから)
抱えまつった知盛はじめ
平家一門戦いで
勇みに勇む源氏方
「ほこを一気につぶす謀計(はかりごと)
方や源氏は其の御大将
九郎判官かの義経は
多数集めたその兵船を
長府沖にと攻め寄せければ
これと知ったる平家の勢は
彦島側にと陣立て並べ
今か今かと待ち受けにける
時は弥生の二十と四日
雨雲垂れて風なまぐさく
戦機益々波間を覆う
刻一刻経つ午下り
潮は東にたぎりたつ
荒い潮路に舟進めなば
源氏破るはいと易しとて
知盛輩下に宣いければ
今や攻撃平家の軍船
雪崩うって長府の沖へ
されど義経したたか者よ
これを予期して無理禁物と
味方の舟おば引くだけ引いて
潮の変わるを待つ謀計
潮は果たして速さを緩め
西へ西へと流れを変える
ここぞとばかりに義経公は
船を整え襲いにかかる
あわてふためく平家の舟に
飛び移って舵取りを斬る
先手見る間に崩れに崩れ
舟の足並み乱れに乱る
白や赤旗波間にもつれ
赤い血潮は海おば染める
今は知盛これまでなりと
教盛卿と腹一文字
続く武士(もののふ)相果てなさる
(よわい)八つの安徳帝も
二位の局に抱かれながら
波の底なる都とやらの
弥陀の浄土に旅立ちなさる
二十余年の栄華も夢よ
平家末治路はわびしく消えて
今に残りし先帝祭
昔偲んで悲しく哀れ


平家踊り

 


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