■■■■荒田港と関門海峡フェリー

ここも九州への玄関口・・・荒田港
日本初のフェリーボートの末裔・・・関門海峡フェリー


2005/2/11 福浦湾から撮影

 彦島迫町の荒田港(国土交通省の管轄としては下関港)は北九州市小倉北区(日明・ひあがり)行きのカーフェリーが頻繁に発着し、本州と九州の物流ネットワークを担っています。
 下関を起点として本州と九州のあいだを車両が移動するルートとしては関門橋と関門トンネルがその中心ですが、山陰西部と九州間、あるいは下関市周辺と北九州工業地帯間の移動に関してはトラックによる貨物輸送ニーズを中心にむしろ彦島−日明ルートがメインルートとなっており、フェリーターミナルには常に乗船待ちの大型トラックが列をなしていて、本州末端の静かで衰退する海上交通路を想像して現地に向かうとイメージとのギャップに驚くことと思います。

 国土交通省の港湾統計平成12年版によるとその年間輸送量においてトラックは30.759台で休日にはフェリーが減便となることを考慮すると1日におよそ100台のトラックが彦島を経由して本州と九州を行き来していることになります。なお、同統計によると乗用車は年間297,974台、バスは51台となっています。

国土交通省の港湾統計は Webで最新版が閲覧できます。
  国土交通省 >> 港湾局 >> 統計・データ

 下関市の広報誌「市報・しものせき」1995年12月1日号ではこの航路について次のように紹介しています。

荒田港を出航するフェリー「ふく彦」

 海峡をゆく一隻のフェリーボート。船体に愛嬌のあるフクのデザインがあしらわれたこの船は、愛称募集で「ふく彦」と名付けられ、1995年11月6日に就航しました。彦島の荒田港と小倉の日明港との間の所要時間は十数分。しばしの間の船旅です。

 フェリーボート、正確に言えばフェリーボートの原型が我が国に初めてお目見えしたのは、実かこの関門海峡です。関門鉄道トンネルの開通は昭和17年。それ以前は、貨車を直接船に乗せて運ぶ貨車航送船が海峡を行き来していました。

 最初に登場したのは明治44年のこと。これは小型蒸気船が曳航するもので、航路が下関と門司小森江の間に開設されたため、「関森航路」と呼ばれました。大正8年には自走する貨車航送船も登場しましたが、関門鉄道トンネル開通で廃止。戦後、貨車航送船は自動車航走船として復活しましたが、これも関門国道トンネルの開通でその姿を消しました。

 現在、関門海峡を結ぶフェリーボートは2隻。「日本初のフェリーボートの末裔」と言えるかどうか分かりませんが、その姿がなぜか誇らしげに見えます。

下関市市報「みらい」1995年12月1日号より転載
このサイトは下関市発行物の転載許可を得ています。

 1995年12月に「ふく彦」が就航する前のフェリーターミナルです。先代の「ちくぜん」が係留されています。

関門海峡フェリー「ちくぜん」

 上の写真は1993年頃に撮影したものですが、同じ時に撮影したフェリー乗り場全景は下の写真の通りで、中央の赤いゲートにフェリーが接岸し、乗客や車両の乗船・下船が行われます。ゲート向かって左手が事務所・売店です。

関門海峡フェリー旧待合所

 この頃は建物も非常に質素で待合所も半屋外でジュースやうどんの自動販売機が数台置かれているだけでしたが、現在は下の写真のようなレストランを併設する近代的な建物に生まれ変わっています。

 ちなみに、旧待合室のうどんの自動販売機は昔懐かしい生麺の天ぷらうどんが出てくる自動販売機で非常に安かったので(100円?程度)よく利用していました。
 余談ですが、天ぷらは円盤状のエビのかき揚げ天で、もともとは丸い状態でうどんに乗って機械から出てきていましたが、末期には半分に切られて量が減っていました。

 旅情あふれるこのフェリーターミナルは五彩きょうこさんの「里帰り」の舞台にもなりました。
  >> 詳しくはこちら  

 下の写真は2000年9月に撮影した「ふく彦」です。

匿名希望の方からメッセージをいただきましたのでご紹介させて頂きます。
今日は午後から、いつもになく暇だったので、荒田港に読書をしに来ています。

 荒田港というのは、小倉日明行きの関門海峡フェリーが出ているところで、i-mode で関門海峡フェリーの時刻を調べることが出来る http://www.hikoshima.com/i/ によると、今日は40分間隔の運行となっています。

 利用者の方も、それにちょうどいいくらいの台数のようで、3、4便見送りましたが、どれも積み残しもなく出港していきました。

 天気は若干曇り気味です、時々、雲の隙間から太陽が顔を出すと、肌の表面の気温が一気に上がる感じで、日中に気候だけを見ていると秋はまだまだだなぁ、という気がします。

 関門海峡フェリーには、「ふく彦」とイベント船兼用の「はやとも」という2隻のフェリーがいますが、今日は「ふく彦」の一隻運行です。定刻に出港した「ふく彦」は、関門海峡を1往復して33分後にまた荒田港に戻ってきます。7分かけて車の積み卸しを行って小倉へ向けて出港していきます。関門海峡フェリーはこの40分サイクルの繰り返しで関門海峡を走り続けます。

 港には、船の利用者だけではなくて、車内で休憩中の外回りのネクタイ姿の人や、釣りをしている人、散歩をしている親子連れ、海を車の中から見ているアベック、いろんな人がいます。

 私は岸壁の海際に車を止めて、潮風に吹かれながら、最近古本屋さんで購入した下関に関する古い書籍を読んでいましたが、私の10メートルほど前方には軽自動車を止めて釣りをしている男性がいました。しばらく観察していましたが、黒鯛などが結構釣れているようでした。

 フェリーの出港直後に乗り場にやってきた車から、若いアベックが降りてきて、30分以上待ち時間があることにショックを受けた様子でした。このお二人、私の前方で釣りをしている男性の方に歩み寄って、釣り人とおしゃべりを始めました。釣り人がサオを上げるといくつか付いた仕掛けのうち、2つに黒鯛がかかっていました。

 出港の時間が近づくにつれて、車が集まってきますが、出港直前まで乗船できませんので、車から降りて暇つぶしをしようとした人がこの釣り人のまわりに集まってきました。最初はアベック二人だけだったところに、ぱっと見、8人くらいの人が集まっているようでした。バケツをのぞき込む人、釣り人とおしゃべりをする人、二人で糸の先をのぞき込んでいる先ほどのアベック・・・。やがて、自分たちの乗る「ふく彦」が小倉からもどって来ると、みな、それぞれ自分の車にもどって、乗船していきました。

 「ふく彦」が出港するときは、エンジンの音や岸壁にたたきつけられる波の音でにぎやかですが、また、すぐに静かになります。釣り人も、何もかかっていないサオを上げてはおろし、おろしては上げしています。

下関市が発行する市報「みらい」2004年9月15日号の表紙は関門海峡フェリーでした。

 

  

title-8.gif (2007 バイト)

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 1996/10/09 公開
 2002/04/23 レイアウト変更
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 2005/02/13 写真追加

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