彦島の平家物語関連史跡を巡る
【専立寺(せんりゅうじ)】

 本村の交差点から5分ほど路地を入った山際に専立寺はあります。専立寺は寿永元年(1182)和田四郎常保の開基といわれており、そのころは安楽寺と呼ばれていました。ちなみに開基の3年後に平家はこの地で滅亡しており、「彦島あれこれ」によると富士川の戦いの際に一門から離れて西下した忠清の執権が常保です。
 忠清は本姓藤原氏、俗姓伊藤氏で三重県北部出身です。藤原秀郷が平 将門の反乱の時、平 貞盛の味方をし、子孫が伊豆の狩野氏となったあと伊勢に下だって伊藤氏を称しました。平 貞盛の子孫が伊賀や伊勢に下だって伊勢平氏を称して平 忠盛や清盛が登場するわけですから伊勢平氏累代の仲です。また平家一番の武勇の家としても知られています。
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