彦島iランド
武蔵と小次郎の決闘
武蔵は20歳代前半の頃、京都で当時扶桑第一とうたわれた吉岡一門と決闘をしています。手向山(北九州市小倉北区)の「武蔵の碑」には吉岡一門と3度戦い、決着がついたのは有名な「一乗寺下り松」だとあります。
吉川英治の小説「宮本武蔵」の中ではこの決闘で吉岡一門の多勢を相手にした際、とっさに脇差を抜き両手に刀を握っていたという話も登場します。「一命を捨てるほどの危機に際しては道具をみな役に立てたいものだ。腰に一刀を納めたまま死ぬのは残念なことだ。しかしながら、両手に得物を持つことは難しいものである。だから平素から、片手で得物を使う道を知らなければならない」と、「五輪書」の中で武蔵は語っています。
次へ進む
戻る|TOP