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眼鏡岩

nisiyama02b.jpg (23564 バイト)

 鬼の墓(富田義弘著「彦島むかしばなし」より)

 舞子島の西側に、大きな眼鏡岩がそびえ立っておる。

 むかし、この海岸は多くの鬼どもの根城であった。鬼どもは朝に夕に、眼鏡岩に上っては沖を通る船を監視しておった。そして、荷物をたくさん積んだ船が通りかかると、小舟を漕ぎだして、さんざん掠奪を繰り返した。

 そのやり方が、あまりにもあくどいので、ある日、テントウ様がお怒りになり、鬼どもをこらしめることになった。

 その夜、鬼どもが総勢集まって円陣を組み、酒盛りをしておると、一天俄にかき曇り大嵐となった。その上、雷までが頭のすぐ上を転げ回った。

 鬼どもは大慌てで我先にと逃げ始めたが、時はすでに遅く、次々に落雷して、ことごとくに死んでしもうた。

 ところが、死骸となった鬼どもの表情は、赤ん坊のように柔和にあどけなく美しかった。

 それを見たテントウ様は
「鬼も、死ねば天に還るか」
と、つぶやかれて、眼鏡岩のすぐそばに鬼の死体を集めて、ねんごろに葬られた。

 しかし、その数は思っていたよりもはるかに多く、とうとう大きな山になってしまった。テントウ様は、死体の山に土をかけ、その冥福をお祈りになった。

 やがてこの浦にものどかな春がやってきて、人々は鬼の墓のことを「丸山」とよび、眼鏡岩の近くの大きな岩屋を「鬼穴」と呼ぶようになった。


 上の写真はもともと「テトリガンスの海」と題したページに掲載していたものですが、神戸市在住のRodyさんより、「あれは眼鏡岩では?」というメールを頂きまして、確認しましたところ、位置的にそれに違いないと確認できましたので、こちらに新たにページを用意して移動しました。お話を伺ったところによりますと、Rodyさんは中学生の頃、夏休みの研究で「彦島の伝説」を調べられたとのことです。

私が見た「眼鏡岩」と思った岩が、このHPに、「テトリガンス」として画像が載っているのです。上のコメントで、中学の時現地まで行き、たぶんこの岩だろうというところで帰ったのです。というのは、「テトリガンス」となっている画像の岩と同じ物です。私は、テトリガンスは、洞窟のようなものだろうとばかり思っていたので、これは「眼鏡岩」のほうだろう、とその中学生の時判断したのでした。


 だそうです。Rodyさん、情報をどうもありがとうございました。

 ちなみに、書物によっては、眼鏡岩は舞子島の近くと記載されているものもありますが・・・「遠い」「近い」は個人の主観ではありますが、実際には少し離れています。


 神戸市在住のぶちさんから眼鏡岩に関する最新情報と写真をいただきました。

眼鏡岩

いつも「日子の島」楽しみにしてます。
今年の夏は娘を二人連れて里帰りし、馬関祭りで30年ぶりに「平家踊り」を踊りました。長い間踊っていなかったけど、あのリズムは体に染み込んでたんだな・・・って実感しました。ステージの組み立てから最後の万歳までこの目で確かめ、飛び込み歓迎のグループに混じって3歳と9歳の娘と「平家踊り」を踊ったことは、これから先もいい思い出になることでしょう。
あぁ、楽しかった。

ところで、その日に妹を足代わりにして、彦島一周ツアーをしたのですが、
眼鏡岩崩れてたんですね。
まあ、あのあたりの岩の質からしたらくずれても無理もないなあとは思いましたが、
最初は「あれっ?場所間違えたかな?」って思ったくらい。
彦島を離れて30年たち、何度か懐かしさから足を運んでいましたが、眼鏡岩の海でよく遊んだ自分としては岩が無くなった事で、区切りがついたような気がします。

神戸市在住 ぶち

 眼鏡岩が両眼とも崩壊した件は 2003年12月に彦島をテーマにして卒業制作を行っておられたシモムラカナさんからもご連絡頂いていました。年々やせ細って、数年前はたたけば壊れるのではないかと思われるほどに浸食おりましたので崩落もそう遠くないこととは思っていましたが、とうとう壊れてしまったようです。
 シモムラカナさんの卒業制作についてはBBSで・・・ここをクリック 


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