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雑記帳「感懐」


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エキスポタワー解体に思うこと

 私は1965年生まれです。

 1960年、当時の池田内閣は1970年までの10年間で国民総生産(GNP)を2倍にする政策を発表しました。所得倍増計画です。あわせて実施された低金利政策で企業の設備投資を中心に日本の産業・経済は一気に世界水準、まさにグローバルスタンダードを目指して猛進を始めていました。
 正直なところ、自分がそういう日本の近代化の真っ只中で生まれたという自覚は無いんですよね。時代はすでに、冷蔵庫、洗濯機、テレビの三種の神器から、クーラー、車、カラーテレビの新三種の神器(3C)の時代に入っていましたし。
 ちなみに、1965年というのはその後、5年もの長期にわたって続いた「いざなぎ景気」の始まりの年で、現在崩壊しつつある「終身雇用・年功序列」といった労使共に安定を志向する雇用形態絶頂の中で、「企業戦士」あるいは「猛烈社員」と称される潤沢・勤勉な労働者によって高度経済成長はよりいっそう加速していきました。ついにGNPは世界第2位へ躍り出た時代でした。

 さて、日本のそんな産業・経済の発展を原動力として1970年にアジアで初めての万国博覧会が大阪で開催されました。
 当時私は5歳。いまだ山口県には新幹線も通っていない時代のことですし、大阪に突如現れた未来都市に全国から観光客が殺到し会場内はどこもかしこも長蛇の列・・・そんなところに5歳児を連れて行くことはできなかったのでしょう、私は連日会場の様子を紹介するテレビをかじりつくようにして見ていました。5歳の頃、どんなアニメがあったのか、どんな子供向け番組があったのか、ほとんど覚えていないのですがなぜか万博のテレビだけは鮮明に記憶しています。それは木造で窓も木枠の小さな家に住んでいた私にとっては別世界の映像でした。

 その印象が強烈だったせいか、それから10年近く経過した中学生の頃からなぜか万博フェチになってしまいました。図書館にある万博の建築技術書を読みあさり、写真集を買い集め、バルサ材を使ってパビリオンのミニチュアを作る日々・・・。
 大阪の万博公園にも何度と無く足を運びました。万博公園の地下1.5メートルには解体されたパビリオンの瓦礫が埋められています。それを思いつつ公園をぶらぶらすることが盛者必衰の理を私に感じさせてなんともいえない寂しい気分で、それを味わうことはまた楽しい気分でもありました。
 会場には現在もいくつか当時のパビリオンが残っていますが、その中で(中で・・・と言っても残っているもの自体が少ないのですが)私が最も心惹かれるのが「エキスポタワー」でした(写真:1992年筆者撮影)。三本の主塔の上にボールのような展望室がのっかっている、ぱっと見には不恰好ですが近くから見ると非常に複雑で凝った構造体で、エキスポランドの観覧車に双眼鏡を持って乗るとその複雑な構造を十分に観察することができました。

 このエキスポタワーがついに解体されることになったのを知ったのは9月の読売新聞の「いずみ」欄でした。最後に姿を見たのが2000年の冬のこと(いや、中国縦貫道からでよければつい先日も見ましたが・・・)でしたが、老朽化した構造体とその上にいかにもバランス悪く乗っかった展望室がとっても危うげで(それがまたそそられるんですが)、もし解体されることになってもやむなしとは思っていました。閉鎖されて(1990年までは展望室として使用されていたんですけどね)そのまま残っていることが万博の盛り上がりを当時のままとどめているようで、テレビの前にかじりついていた幼い私にタイムスリップしたようなそんな錯覚を感じるのが好きでした。

 万博の写真集を見ると、万国旗の下をエキスポタワーに向かって流れる人の波・波・波。服装はとってもアンティークで、黒ぶちめがねのお父さんも「あぁ、本当にこんな人いたんだぁ〜、こんな服装プロジェクトXで見たことある〜」などと感じつつ、でもみな目が輝いていることに気づき、きっとこの人たちは数十年後の自分が欲しいものはすべて手に入れ、次に自分が求めるものは何なのかわからない、平和・地球環境・高齢化問題 etc.漠然とした将来への不安にさいなまれている21世紀に生きることになるとはかけらも思わず、今目の前にそびえる未来都市が自分たちが企業戦士として命をかけた末に得られる輝ける未来・理想郷であると信じてパビリオンを巡り、2DKの公団住宅に帰って、昼間見た未来の幻影を現実のものとすべく明日からまた企業戦士として通勤の雑踏にまぎれる日々を送っていたんですね。そんな活気のある時代をわずか5歳という人間であると断言できるかどうかもわからない幼さで過ごしてしまったことが非常に残念に感じられます。

 ちなみに、太陽の塔は健在ですが、こちらもあの強引に飛び出した両腕がいったいいつまでもつのやら・・・。

 エキスポタワーについてはこんなに詳しいサイトがありました。「エキスポタワー写真館

2002/12/01


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