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海士郷裸男祭

 寿永4年(1185年)、源平最期の合戦「壇ノ浦の戦い」はこの彦島の浮かぶ関門海峡が舞台となりました。この戦において平家軍は平知盛所領地であった長門の国彦島(当時は引島)に御座所をおいて戦いに望みました。しかし、3月24日の最期の戦いで平家一門は波の下の都へと旅立ちました。

 戦に勝った源氏軍の総大将は源義経。義経軍は京都を出て以来無謀な行軍によって兵士たちは疲労困憊しており、最期の戦に勝った開放感から傍若無人な暴徒となって義経と共に平家最後の砦彦島に上陸しました。

 源氏軍は上陸後、島に残っていた男たちをすべて斬り殺し、田畑を荒らし、女性たちに対しては陵辱の限りを尽くしました。義経も兵の統制を取ることなく自らも暴徒の一人と化して彦島は完全に破壊されてしまい、女たちの多くは身投げ岩から海峡へと身を躍らせ自らの命を絶ちました。

 義経が平宗盛父子を伴って鎌倉へ向かった後、義経の指揮官としての資質に失望した平氏は彦島に残り、この地で生活を始めました。しかし、その生活は直ちに恐怖のどん底に突き落とされたのです。それは夜な夜な現れる島民や平家女官の幽霊です。この島に残った源氏の平氏は心を悔い改め、自分たちが斬り殺した、あるいは死に追いやった者たちの供養をすることにしました。その供養の一つが形を変え現在も「海士郷裸男祭(あまのごうはだかおとこまつり)」として毎年彦島海士郷の地で行われています。

 この祭では辱めを与えた女性たちにわびるために男たちは裸となって「我裸となりて自ら辱めをうく、御霊よ静まりたまえ」と念仏を唱えながら舞い踊りました。

 源平の合戦後、800年にわたって島外の人間に知られることなく密かに舞い踊っていましたが、全国で開催された源平800年記念祭ではじめて島外の人間に公開されました。この時はさすがに全裸では支障があるということで、陰部をささやかな装飾で秘匿しましたが、この時から全裸ではなく覆いをつけることが常となりました。


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