■■■■彦島工業地帯の始まり

サンデー下関 2002年10月4日に関連記事が掲載されていたので紹介します。
 彦島福浦町にあった化学肥料製造の日東硫曹が系列の日東合板を残して「下関工場」を閉鎖したのは昭和41年11月、早くも36年が経過したことになる。この会社は彦島だけでなく下関工業地帯の草分けだが、閉鎖から長い歳月を経たためか、最近の文献には誤った記載が散見されるようになった。「彦島進出の三菱造船が下関工業地帯の草分け」などがそれで、小・中学生の課題発表にもそのまま引用されることが多い。
 そこで関連のことを手短に記してみると、日本舎密(せいみ)製造という会社が明治24年(1891)に赤間関出張所を開設して翌年から福浦の土地買収に着手、大阪硫曹という会社も30年から同地域の土地を物色し始め、32年に沿岸造成を起工した。大阪硫曹は37年に埋め立てが竣工すると、日本舎密製造の所有地を譲り受けて翌38年に同社の彦島分工場を設立、操業を開始している。
 これに対して三菱造船は三菱合資会社の彦島進出計画が明治44年のことで、大正2年に起工し、翌3年11月からの創業である。
 大阪硫曹はのちに大日本人造肥料となって日本舎密の支店を統合後に日東硫曹となり、戦中戦後の最盛期を経てサン化学などからコープケミカルと改称、昔も今も東証一部上場を続けている。

 この「日東硫曹下関工場」は現在の三菱重工福浦総合グラウンドの場所にありました。


  

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