彦島の平家物語関連史跡を巡る
【身投げ岩】
12世紀後半の源平の時代、平家の要塞となっており一門を追ってくる源義経を迎え撃つ準備が着々と進められました。そして、寿永4年3月、源平最後の決戦である壇ノ浦の戦いの火蓋が切って落とされました。
壇ノ浦の合戦は、当初は潮の流れを借りた平家方が優勢でしたが、四国や九州から参戦していた郎党の相次ぐ離反や、当時の舟戦のルールを無視した源義経の奇策によって、朝から始まった戦は夕刻には平家の敗色が濃くなっていました。
戦が終わり、源義経軍は彦島に上陸しましたが、義経得意の不眠不休の強行軍のために、軍のモラルは非常に低下しており、上陸した兵士は暴徒と化して、民家や田畑を荒らし回りました。島に潜んでいた女性たちは格好の標的となり、暴徒から逃れるために次々にこの岩場から海峡に身を投げたといわれています。
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