服部明子の平家物語研究室

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■ 平田家継という人

藤原忠清は清盛の死後出家し、平家都落ちには同行せず、京にとどまり、1184年平田家継が反乱を起こした時参加して敗れ、翌年斬られて亡くなっているのですがこの平田家継という人の事が少し竹内氏の本に書かれていました。

南都焼き打ちの前12月1日、伊賀国の平氏の家人 平田家継 が近江に攻め入って、さきに福原の邸宅に火を放って源氏方に走った手島冠者を討ち取り柏木義兼のこもる城を攻め落とした。

この平田は未確認ですが清盛の妻の方の平氏のようです。つまり桓武平氏高棟流。清盛一族の先祖は高望流なので高望王の伯父の高棟王の流れのようです。


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