|
平 知盛 (たいらのとももり) 1152-1185
清盛の三男で、平家の軍事面での指導者。西国に落ちてからは従弟である教経と協力して軍事的基盤を確保し、水嶋、室山で源氏の大軍を破った。一ノ谷では正面の生田の森防衛を指揮し、範頼軍に大きなダメージを与えたが、義経の鵯越えの攻撃に耐えかね、撤退。この時、息子知章(ともあきら)を失う。 壇ノ浦の合戦では全軍を指揮したが敗れ入水した。知性、武勇共に優れる名将で、畠山重能を都落ちに際して釈放するなど情け深いことでも知られ、晩年は所領地であった彦島で源氏軍を迎え撃つ準備の任に当たったが、島民に対しても善政を行い、合戦に際しては、水主・梶取として島民の支援を得た。 水主・梶取を皆殺しにし、罪もない島民を苦しめた愚将源義経とは対照的な名将である。 |