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建礼門院 (けんれいもんいん)

 平清盛の第二女で高倉天皇の皇后。保元2年(1197)に生まれ、承安2年(1172)、16歳で中宮にたてられ、治承2年(1178)に言仁親王(安徳天皇)を生む。

 寿永2年(1183)平家一門が源氏に追われ、西走するのに行をともにするが、翌々年、壇ノ浦の合戦で平氏が滅ぶとき、船から身を躍らせたが、源氏の兵に引き上げられ、京都に護送された。そして、29歳の若さで髪を下ろし、わずか8歳で再開の藻屑と消えた我が子安徳帝の菩提を弔う。

 その寂光院の庵室に後白河法皇がおたずねになるところを記したのが「平家物語」の「大原御幸」の一条である。

 栄枯盛衰の照りかげりを、あれほど激しく体験さ荒れた皇妃は日本の歴史にも希な存在といえよう。まさしく乱世の犠牲者、悲劇の女性の典型とも言うべきである。健保元年(1213)没。

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