[彦島を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:なかにし
コメントの種類:歴史 「平家物語」を卒論に選んだ大学生の皆様、そろそろ追い込みかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。というのは、本筋とは関係なくて(これこれ ^^;)。 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりを表す 古文の授業で、誰もが1度は覚えさせられるのではないでしょうか。いわずとしれた「平家物語」の書き出しですね。 教育社が発行している雑誌「Newton」の2月号。ジオグラフィックのページは「釈尊の旅路」です。「約2500年前に、釈迦族の王子であった釈尊は恵まれた環境を捨てて出家した。6年間の壮絶な苦行を経て、ブッダガヤーの地でついに悟りを開く。その後当時の最強国アガダ国のビンビサーラ王らの支援を得て、インド各地に信者を増やしていった。およそ45年にも及ぶ布教活動で、釈尊が巡った地域をたどる。」だそうです。 「平家物語」とは直接には関係がないのですが、釈尊の誕生の背景から、苦行の時代、そして中庸に悟りを開いた時代、入滅、その後について、非常にわかりやすく書かれています。 これを読みますと、釈尊の布教となる重要な寺院であった祇園精舎、っていうのは何なのか、釈尊が死ぬ間際に時ならぬ花を開いた沙羅双樹と釈迦の間にどういう関係があるのか、そういったことがとってもよくわかりますねぇ。 平家物語の書き出しについても、学者さんによっていろいろな解釈がなされていますが、そういった文献と合わせて、こういった、釈尊にまでさかのぼって、言葉の意味を探ってみると、自分なりのアイディアが浮かんで、おもしろいかもしれないですね。 |
今から十数年前、福岡の県立博物館で、仏陀の世界展が開催されましたが、その時に、釈尊の苦行時代の姿を現した「釈迦苦行像」というのを見ました。表現は悪いですが、アジの開きと見紛うほどの痩せ方でした。
釈尊はウルベーラーという地で6年間、苦行を続けたそうですが、なかなか悟りを開くことが出来ず、そんな苦行を捨てる決意をした釈尊の前に、12歳の村娘スジャーターが「乳がゆ」を捧げ、この少女をきっかけにして、心理を中道にに見いだしたのだそうです。
コーヒーミルクの「スジャータ」っていうのは、ここから名前が来ているんですねぇ・・・。
(レベルの低いオチでごめんなさい ^^;)
寿命があと10数年って出たから?
なんか。。。悟りを開くような気分でしょうか?
ふふふ
そうです。煩悩を絶つ生活では悟りは開けないのです。中庸が大切なのよ。何事もほどほどに・・・。
ちなみに、今回この記事を読んで一番の収穫だったのは「スジャータ」の語源がわかったことです(これこれ ^^;)。
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