[彦島を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:G−CROW
コメントの種類:質問 壇ノ浦の合戦の時に、関門海峡に沈んだ3種の神器のうち 八咫の鏡だけが回収されて、赤間神宮に祭ってあるそうですが 誰か見たことのある人いますか? 一般的に、八咫の鏡は、宮中と伊勢神宮にあることになってますが 宮中にあるのは、『形代(レプリカ)』らしいです 赤間神宮にあるのも、レプリカかもしれませんが どんなものなのか知りたいです 知っている方、見たことがある方がいらっしゃいましたら お話をお聞かせください 「下関を熱く語る!!」にも書きこんできましたが、ここでも書いときます |
鏡が赤間神宮にですか? 剣が宇佐八幡宮にある、というのは聞いたことがありますが、鏡が赤間神宮にあるというのは初めて聞きました。赤間神宮の図録などを見ましたが掲載されていないですね。鏡は美術品ではないですから、存在しても掲載されないのが当然かもしれませんが。
ちなみに、剣が宇佐八幡宮に、の件については、宇佐公康著「安徳天皇はすり替えられていた」(木耳社)に書かれています。
あれ、でも、言われてみるとどこかでそういう立て看板を見たことがあるような気がしてきましたねぇ・・・。あれ? 服部さん、知ってます?? 赤間神宮境内のの上手にあるお社のあたりで、そんな話を見たか聞いたかしたような気もしてきましたが・・・。
私は「剣」は熱田神宮にあると思っていました。
草薙の剣でしたっけ?
宇佐ですか?
う〜ん。。。
剣は宇佐にあるのが本物だと宮司さんは著書の中でおっしゃってますが・・・。
本来なら本物は皇居か奈良の正倉院か京都御所に置かれる物ですよねぇ。。。
鏡は梶原君が持って帰って、剣は安徳天皇が宇佐に持っていったものと思っていましたが (^^;)。こうなると、「本物」の定義もよくわからなくなってきますね。出所はともかくとして「皇居にあるもの」が本物というところでしょうか。
だいたいあの時代の関東の人間が天皇の象徴の品など分かっていたとは思えません。
海に潜った庶民ならなおのこと。
平家の女性の「鏡」を天皇の「鏡」と思ったことも有り得たでしょう。
平家の公達の美しい「刀」を天皇の「剣」と思ったかもしれません。
で、「はんこ」が見つからなかったのは「ギョジ」なんて誰も見当が付かなかったから
「見つけた」とはいえなかったのでは?などと空想してしまいます。
京都の天皇側にしても「そんなんじゃない」「こんなんじゃない」などと否定するより
そこは「形」だけ「見つかった」ことにして後白河上皇+後鳥羽天皇に渡したのでは?
と思います。
それくらいの「インチキ」はしたのではないか?と。
私はホントは「本物は平家の滅亡と共に消えた」と思っています。
おお、盛り上がっていますね
ちなみに、本物の3種の神器とされているものは
草薙の剣こと天叢雲の剣は、熱田神宮、八咫の鏡は、伊勢神宮、八尺瓊勾玉は、宮中にあるそうです
(すでに神話の時代に、剣と鏡はそれぞれの神社に奉納されてますから、これは本物(その定義は?)だと思います)
宮中に伝えられているものは、儀礼用のレプリカ(勾玉も儀式に本物は使わないみたい)だそうですが
天皇でさえも、勾玉を含めて、本物の3種の神器は目にしたことがないとも言われています (「神道の本」学研)
確か、平氏側の幼い天皇(名前が思い出せません)が落ち延びるときに持ってきていたものが
壇ノ浦の合戦の時、天皇と一緒に入水して、剣と勾玉は失われてしまったが、鏡だけは回収されたと
そのように、赤間神宮の石碑に書いてあったと思います
赤間神宮の拝殿の前に、でかでかと『八咫の鏡奉鎮』と刻まれた石碑が置かれてて
かえって気がつかない(違和感ない)くらいでしたよ
そういえば、NHKでやってた平家物語の人形劇では、鏡ではなく
波に漂うお札みたいなもの(比礼(ひれ)だったか・・・多分、勾玉の違った解釈のもの)を拾ってたような気もします
・・・かなり怪しい記憶ですが
ですが、宮中に伝わる3種の神器がレプリカならば、海に沈んだものもレプリカになりますね
勾玉は、本物だったかもしれませんけど・・・
でもやっぱり、みてみたいですよね
>平家の女性の「鏡」を天皇の「鏡」と思ったことも有り得たでしょう。
>平家の公達の美しい「刀」を天皇の「剣」と思ったかもしれません
大いにありえる話ですね
宇佐神宮には草薙の剣があったんですか?
それは知りませんでした
はい、いよいよ面白くなって来ましたね。
>天皇でさえも、勾玉を含めて、本物の3種の神器は目にしたことがないとも言われて
います(「神道の本」学研)
でしょうね。
大切な物は日の目を見ないものなのでしょう?
実際はどうなのか分からない、という所が面白いです。
2位の尼が幼い安徳天皇を抱き、刀を腰に差し、ギョジを胸に入れ、入水したと読んだ
と思います。
「誰が源氏になんぞ渡すものか」との決意ですから、平家が金にあかせて複製した物
だったかも知れませんね。平家が用意した物であれば正当性がありますし。
>赤間神宮の拝殿の前に、でかでかと『八咫の鏡奉鎮』と刻まれた石碑が置かれてて
これは「鏡」が見つかって何か「神事」が執り行なわれたのか
赤間神宮が建てられた時に「鏡」のコピーを埋めたのか
何か儀式があった、ってことは分かりますね。
>平家の公達の美しい「刀」を天皇の「剣」と思ったかもしれません
そういえば、刀と剣は明らかに形が違いましたね
これは、物語を書く上での表記の間違いか、安徳天皇の護身刀のようなものだったのか?
でも、宇佐神宮に刀が草薙の剣として祭られていたとしても
誰も見たことがないのなら、祭られているのは「剣だ」と言い張れますね
・・・失礼な発言でした。おわびします
前述の「神道の本」には、3種の神器を見ようとした人の話も書いてありまして
勾玉は、10世紀半ばの冷泉天皇が見ようと箱を空けたら
中から白い雲のようなものが立ち上ったので、驚いて取りやめたとありますし
剣は、江戸時代に熱田神宮の神官数人が、こっそりと覗き見たそうなんですが
その後、次々と原因不明の病に倒れていったそうです
神官の話によると、長さは80cmほどで、刃の先は、菖蒲の葉のよう、色は全体的に白っぽかったとのことです
なんか、いかにもといった話ですね
鏡は、誰かが見たという記録はないらしいですが
鏡の入れ物の大きさが古書に記されているそうで
「内径 一尺六寸三分 外径 ニ尺」だそうで、それから察するに
鏡の直径は、49pくらいあるのでは? とも考えられているそうです
以上、ほとんど丸写しの情報でした
八咫の鏡が赤間神宮に祀られるまでのいきさつが判明しましたのでお知らせいたします
壇ノ浦の合戦が終盤に差し掛かった頃、妹尾太郎兼康の次男、宗衡時忠は、平家もこれまでかと部下に名剱 烏丸太刀と八咫の鏡を託した。その部下は烏丸で源氏の手のものを打ち倒し、何とか岡山県に落ち延びる。そして時は流れ、現在より3、40年ほど前、岡山県の郷土考古学者の春名義雄氏は、古文献よりその伝承を知り、艱難辛苦の上に安徳天皇社跡より八咫の鏡の発掘に成功し、安徳天皇の祀られている赤間神宮に奉還した
ということです。
ちなみに、平家物語の人形劇で波間から回収したのは、比礼ではなく、神璽(しんじ=やさかにのまがたま、天皇の証)でした
以上、下のペトログラフと合わせて、下関には、まだまだ解からないことがたくさんありますね
それでは、また
神璽でしたか。
で、鏡が行方不明でしたか。
3、40年前に発見?
ありがとうございました。
ほぉ、どうもありがとうございました。
服部さんのみたいに
http://www2.tip.ne.jp/~nakani00/akiko_lab/index.htm
G-CROWさんの部屋もご用意しましょうか? ここの電子会議室で、過去の発言として埋もれさせてしまうのはもったいないので。
ありがたやありがたや
>G-CROWさんの部屋もご用意しましょうか? ここの電子会議室で、過去の発言として埋もれさせてしまうのはもったいないので
でもこれって、赤間神宮の「八咫の鏡奉鎮」って書かれた石碑の裏に書いてあったものです
3、40年前ってのも、石碑が建ってから3、40年前って事でしょうから・・・
もう1度見てくれば解かるんでしょうけどね
今度見てきますので、またご報告いたします
追加
赤間神宮に行ってきましたので、追加しておきます
八咫の鏡が春名義雄氏によって発掘されたのが、昭和33年
赤間神宮に奉還されたのが、昭和34年と言うことです
ちなみに、八咫の鏡の裏にはヘブライ語で
『我は在りて在るもの』とか
神代文字で
『天日神清ら鏡に玉剣、独り皇よりかけるもなく、吾をなるかし』などと
書かれていると言う情報を得ましたが、本当でしょうか?
G−CROWさん:
ほう!
凄い話が出て来ましたね。
鏡は渡来品だったのでしょうか?
服部さんへ
出所が、トンデモ本関連なんで怪しいですが
天津神=大陸から渡ってきたユダヤ人という図式を
成り立たせたいがゆえの情報であるとも考えられます
鏡を見たのは、明治期の文部大臣 森有礼と
元海軍エリート将校の矢野祐太郎という人らしいです
1度でいいから、伊勢神宮のいろいろなお宝を拝んでみたいものです
本人によりコメントは削除されました。 1999年12月16日 01時37分08秒
11月29日の日経新聞の7面にある
ローム株式会社の広告で「白雪姫」の巻に
鏡の力が解説されています。
その広告には
「いまも伊勢神宮にご神体として祭られているヤタの鏡」をはじめ
と書いてあります。
鏡は伊勢神宮
剣は熱田神宮
とは私も聞いています。
矢張り「壇の浦」で沈んだ3種の神器は複製ということでしょうか?
平家が道連れにした3種の神器は平家が金にあかせて作った物だから
源氏になんぞ渡してなるものか!と道連れにしたのでしょうか?
赤間神宮にある鏡は平家の鏡?
それよりも<鏡>にしろ<剣>にしろ本当に<本物>は存在しているのでしょうか?
http://www.rohm.co.jp/
全部英語だーっ!・・・読めない
英語力0.5・・・根性なしです
通説では、鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮で正解です
ただ今、HP作成の為に日本神話などを勉強しているのですが
八咫の鏡は、アマテラスの象徴ですから
アマテラスを祭神とする伊勢神宮に八咫の鏡かあるという説は、有力でしょう
その由来ともいうべき「遷宮伝説」は
天孫降臨の際に、八咫の鏡、叢雲剣、八尺瓊勾玉とともにアマテラスよりニニギに与えられた。その後しばらくは宮中にで天皇の手によって祀られていたが、祟神天皇の時代、国に疫病が広まって国民の半数が死亡、農民の流離、反乱が起こったために、祟神天皇は皇女 豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に八咫の鏡と叢雲の剣を授け、大和の笠縫邑に祀った。しかしその後も、神器を祀にふさわしい地を探して各地を巡り、21年してそのお役目を倭姫(やまとひめ)に譲り、倭姫もまた各地を巡り、現在の伊勢の五十鈴川の畔に落ち着いた
というものです
ですが、遷宮伝説は事実ではないという説もありますから
そうなると天皇家のものが本物となるのですが
「日本紀略」という書物には
960年(天徳4年)、1005年(寛弘2年)、1040年(長久1年)の火災により原形が失われ
剣は、安徳天皇の壇ノ浦入水の際に海に沈んだとされている
と書かれているそうですから、現存する本物は、勾玉のみとなります
(鏡は、壇ノ浦で回収されたんでしょうね。本物かどうか、わかりませんが)
しかし大和朝廷の神器は、鏡と剣のみで、勾玉が加わったのは、9世紀頃だという説もあります
こうなると、どれが本物だかわからなくなりますが
たまたま、現在の天皇家の先祖の持っていた権力の象徴が、三種の神器となったわけで
その他の部族の持っていた権力の象徴も神器もあったわけですから
三種の神器は、それほど特殊なものではなかったということになりますね
ああもう、自分でも何を書いてるのかわからなくなりました
この続きは、またいずれ・・・
あ、書き忘れましたが、剣は東国征討の時にヤマトタケルに授けられて
道中で「草薙」の名を与えられて、熱田神宮に祀られたそうです
ROHMの日本語は玄関の枠の下・右のJAPANESEというのがあってクリックすれば良いです。
日本の会社なのになんで英語が最初に出て来るの?です。
では以下で会社のご案内を。
>半導体メーカー・ローム(ROHM)の社名由来は、
>創業当時の生産品目である抵抗器(Resistor)の頭文字「R」に
>抵抗値の単位Ω「ohm」を組み合わせたものです。
>「R」は信頼性(Reliability)にも通じており、
>品質を第一とするロームのポリシーを表わしています。
だそうです。
ここの宣伝広告って専門的で学問的で気に入ってます。
そうだったんですか、画像を表示しないようにしているので、よくわかりませんでした
でも、白雪姫のお話は載っていないんですね
そうだったんですか
画像を表示しないようにしているので、見落としていました
でも、白雪姫のお話は載っていないんですね
はい、載ってないと思います。
白雪姫のお話は新聞広告ですから新聞を見ないことには分かりませんね。
レスを頂きました:
鏡の件は、岡山県英田郡作東町土居で発掘されたものだとおもいます。
春名氏は、赤松氏族と伝えています。
(アラビヤ語でもはるなはあるみたいですけど(^^;)
土居の庄屋をしていたのが妹尾家です。
それを、あとから関連本だしていったのが、地元の系図師であった故田中千秋氏です。
故田中千秋氏が赤間神社に鏡返してくれ!といいだしてとらぶっていたようです。
このへんのことは当時の新聞記事にもなっているようです。
以上、事実だとおもいます。
<24>の書き込みを「平熱」に既に何度もコピー&ペイストしてるのに掲載にならないのですよ。
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