[彦島を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:吉田信啓 |
ペトログラフについて |
コメントの種類:提案 彦島から始まった日本のペトログラフ研究の創始者・吉田信啓です。昭和52年に文部省科学研究費を受けて始めた下関市彦島の杉田丘陵の謎の絵文字岩が、20年経った今では日本国内に3500カ所あるペトログラフの研究の原点になったわけです。著書も小生のものだけでペトログラフ関連で24冊あります。小生は現在、ユネスコ岩石芸術学会連合の日本代表でもあり、日本ペトログラフ協会の会長として国際研究を推進しています。みなさんの掲示板での討論やトークを読んで、ここまでペトログラフが浸透してきたのかと熱い想いになります。北海道から沖縄まで3500カ所に分布する先史時代からの文字文化遺産を守りましょう。今後ともよろしくお願いします。(吉田信啓Ejps@alphatec.or.jp) |
ペトログラフ関連の文献:日本のペトログラフ(六興出版)、岩刻文字の黙示録、超古代、日本語が地球共通語だった、古代、アメリカは日本だった(以上、徳間書店)、祭祀遺跡の黙示録、神々の遺産、ペトログラフハンドブック、神字日文解、神字日文考(以上、中央アート出版)、奇跡のペトログラフパワー(たま出版)、超古代、日本は世界の臍だった(文化評論出版)、地球文化史(たま出版)、ペトログラフ通信(日本語と英語の国際学会新聞で54号を発行済み)#以上をご利用下さい。
吉田先生、このようなところまでわざわざありがとうございました。
守るべき文字文化遺産の彦島丘陵のペトログラフも、このままでは消えてしまいそうな感じです。実際に薄くなっているのかどうかは定かではありませんが、20年前の新聞記事の写真と比べると違った感じに見えます。書籍の紹介もありがとうございました。勉強させていただきます。
ペトログラフ研究はその後も加速、展開し、平成19年8月現在では国内で4600個ものペトログラフ岩が見つかっています。また、著書も増えまして、「魔法の石」(中央アート出版)、「文化天象学事始め」(中央アート出版)、「ペトログラフの超医学パワー」(たま出版)、「先史海民考」(中央アート出版)などの14冊があります。詳しくはネット上で検索の上、お求め下さい。なお、平成17年には、ユネスコ世界遺産委員会岩石芸術部門委員会がフランスのドルドーニュ地方のレ・エイゼス・ド・タヤックにありますフランス国立先史時代博物館で開かれ、ユネスコ加盟国から18カ国の代表が集まり、「今後、ペトログラフ遺跡をどのように世界遺産に登録すべきか」についての協議が行われました。小生は日本代表として出席しました。また、北アリゾナ大学で開かれた第7回オックスフォード考古天文学会にも招かれ、天文学との共同考察も開始しています。これは拙著「文化天象学事始め」に詳述していますのでごらん下さい。
彦島のペトログラフは、どのような状態で見つかったのでしょうか
国内最強の石材と言われる庵治石でさえ、彫られた文字は400年ほどで風化してしまいます
普通の岩に掘られた、差ほど深くもない線刻が、数千年ももっていたのなら、特別な状態だった事でしょう
どういう条件で、浅めの線刻が保たれていたのか興味があります
また、一緒に発見・確認・搬出された方々はいたのでしょうか?
現場の確認者として重要ですしね
差し支えない範囲で、お聞かせください
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○白ペンキ事件
何よりも驚いたのは、Yさんがわれわれの見ている前で岩肌に刻まれたペトログラフの上を白ペンキでなぞり始めたこと。
それも白ペンキを塗って強調したペトログラフについて何の説明もない。
ただ存在を誇示するためのペインティングをしただけであった。
これには唖然とした。
もし、ペトログラフが古代文化の遺産ならば、それは保護されなければならないし、迂闊に白ペンキなどを塗ってはならない。
文化財の損壊行為となる。
そして、ペトログラフが古代文字ならば解読研究をしなければならないが、刻線の一つひとつをどう読み取るか、それは研究者にとって重大な分かれ目となる。
勝手に他の研究者の判断を左右し先入観を与えてしまう線を引いたり、消したりしてはならない。
たとえば、Yさんが「シュメール文字である」と主張するペトログラフを見た別の古代文字の研究者(故人)は
「甲骨文字の石刻文である」と言い切り、古代中国の戦国時代まで実在した燕王国の王族が秦の始皇帝の迫害から逃れるために彦島に亡命したと書いてあると読み下している。
同じペトログラフを見ながら、まったく違う解釈をしてしまうわけで、おいそれと白ペンキなどを塗れないことが判る。
そういう基本的なルールも知らないというか、思い付かないような人が、こんな大それたことを言っていいのだろうかと怪しんでしまう私であった。
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何のエピソードなのか、誰でもピンと来ますよね
現場に居られた方のコメントのようです。
ブログで公開されてます
ペトログラフ通信は創刊以来25年で、102号となりました。この間、国内で発見されたペトログラフ岩や盃状穴岩は7000個以上です。意外と鎮守の森の神社の裏手にある巨石に彫られて見つかるものです。発見次第、日本ペトログラフ協会か、地元の教育委員会にご連絡下さい。
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