[彦島を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:なかにし |
しゃち号 |
キーワード:水中翼船 コメタ-M しゃち号 コメントの種類:ニュース 彦島の人気者(?)水中翼船「しゃち号」が解体されてしまいました。INTERNET彦島では、追討ページ(これこれ ^^;)を作ってみました。 http://www2.tip.ne.jp/~nakani00/oi03.htm 服部さんが来日されたときに、あの前を通ったのですが「あら、ないなぁ」と思いました。そのときは「場所の記憶違いかもしれない」あと思ったのですが・・・。 |
私の住んでいる宇部から小倉行きの水中翼船がいたのを知っていますか、もう30年以上も
昔のことですが、10人のりくらいでした。
このニュースを見にきました。
綺麗な船だったのですね
時代の流れか お客がいろんな足を選択するので
船会社も大変ですね、見るところまだ使えそうなのにね
さよなら しゃち号
おおっ!空飛ぶ船ですね(笑)
かわいい名前だったんですねぇ。でもそんなに古くは見えませんが、
ちょっと残念ですね。
まこちゃんのパパさん、こんにちは (^_^)
>宇部から小倉行きの水中翼船がいたのを知っていますか
し、知りません。そんなのがあったんですか?? 彦島にはもう一隻小さな水中翼船が放置してあったという情報がありますので、ひょっとしたらその船だったりするかもですねぇ (^_^)。
もう一隻の方は、「しゃち号」よりは小型で水門の近くにあったそうですが・・・
>もう一隻の方は、「しゃち号」よりは小型で水門の近くにあったそうですが・・・
いやぁ、これはワタクシのつたない記憶ですので、あまりアテにならないかも・・・・・^^;
彦島の巌流島行きのフネが出る小さな船着場の対岸に(三菱重工?)シートで覆われたフネがあって、
もしかしてアレかなぁ、なんて眺めてました。
数ヶ月も前の話なので今もあるのかどうかは?です。
その時はシートを下半分だけたくし上げて、作業員数名がなんかしてました。
おヒマなら眺めてみてね(笑)
>でもそんなに古くは見えませんが、
楠本さんからの情報によると雑誌の1974年12月号に、三港での披露の記事が載っているということは、下関に納入されたのはその翌年、あるいは数年後ですよね。ということは、二十数年前の船ですから、ついこないだまで現役で海上を走っててもおかしくはないですよねぇ。場合によってはいまだに現役でも良かったかも・・・。
この紹介記事が載っている雑誌の出版社に記事の転載の承諾をお願いしているのですが、いまだ返事無しです。で、この記事を私が見てその他ちょっと補足しますと・・・。
海上を浮上して公開している写真が紹介されています。水中翼船といえば、私は瀬戸内海航路の水中翼船を想像するんですけど、しゃち号は、外海での仕様も考慮したかなり大型船ですので、力走シーンはかなり迫力があります。
楠本さんのレポートにもある、船体中央の煙突まわりの処理が今となってはちょっとアンティックですが、初代ののぞみ型新幹線(300系)にも似た良いカタチしてます。
客室は丈夫を少しだけあけることの出来るFIX窓ですが、船尾にはちょっとしたデッキがありまして、浮上航行中にデッキに出られるのかどうかは不明ですけど、結構楽しめそうです。
操舵室はさすがに二十数年前の船だけあって、多目的ディスプレイなどはなくて、たくさんの丸いメーターとスイッチが並んでます。
客室は・・・おそらくはユーザーの仕様に合わせていろいろアレンジできるのだろうとは思いますが、このときに披露された船の客室は20年くらい前の(だから、時代相応の?)観光バスの車内のようです。幅の狭いリクライニングシートがずらっと並んでます。
私が集めた情報に寄りますと、
1.大撰魚(株)という会社が三菱から2億で購入した
2.目的は韓国からカニを輸入するため
3.しかし旅客用のため許可が下りなかった
4.しかたなく沖縄の博覧会に貸し出ししたが、浅瀬のせいで故障
5.部品がないため修理できず
6.東和造船の敷地に置かしてもらった
そのほか、試乗会を下関で行ったことを情報収集しました
真偽のほどはわかりませんが、以上です
はしさん、こんにちは。
情報をありがとうございました。
なんか、悲惨な運命をたどった船だったんですねぇ。結局ほとんど活躍の場を与えられなかったんですね。なるほど。
沖縄の博覧会については、「ひょっとすると」と思って、図録を目を皿のようにして調べましたけど、それらしい船は写ってませんでした。
「大撰魚(株)」という会社は、調べてみたところ、東京の大阪ですが今も下関に営業所があるのですねぇ。事業内容は「海産物(活鮮魚介類・冷凍魚)輸入及び卸売加工販売」となってます。もともとは個人の魚屋さんだったようですが、昭和42年頃から韓国沿岸の魚介類輸入貿易に乗り出したそうです。
しかし、2億円ですか?? しゃち号の当時は下関の水産も下り坂になっていた頃だと思いますので、「これじゃいかん」って感じで、大枚はたいたんですかねぇ??? 某所でとある方が私に言っておられた言葉ですが、「昔の下関には、ものすごいことを考えて、しかも実行しちゃう すごい人がいたもんですよねぇ」
すいません、わけわかんないこと書いてました (^^;)
> 「大撰魚(株)」という会社は、調べてみたところ、東京の大阪ですが
「東京の大阪ですが」じゃなくて、「大阪の会社ですが」って書くつもりでした (^^;)。
あれ?大撰魚(株)は現存しているのですか?情報源の方は潰れたって言ってました
もう一度確認してみよう。
沖縄博では、テスト走行の段階で故障発生したようなので、残念ながら記録に残っていないのでしょう。
この船といい日韓高速船といい下関って高速船に縁がないのかなあ(笑)
そうなんですか、インターネットで検索したら会社概況なんかが出たので、ほぉ、と思ったのですが。
>下関って高速船に縁がないのかなあ(笑)
やっぱ、下関は大型フェリーの街でしょうか? (^_^)。 今回、しゃち号掲載紙の記事を頂いた楠本さんによりますと「三菱下関造船所は日本の大型長距離フェリーの実に半分近くの建造実績があり、フェリー・客船ファンの間では非常に有名な存在である」そうです。
突然お邪魔させていただきます。私は広島県は因島というところに住むさかいと申します。
私は高校生のときからの水中翼船の大ファンなのです。特に昭和40年代から50年代にかけて瀬戸内海で大活躍していた日立造船のPT−50型のマニアなんです。その中でも瀬戸内海汽船所有のものが大好きでした。
しかし時代の流れには勝てずすべて航路廃止の憂き目に合ってしまいました。もしPT−50型の情報をお持ちの方や写真など持っていらっしゃる方は是非連絡してください。よろしくお願いします。
メールアドレス ksakai@orange.ocn.ne.jp
かこいい船を見ってなくなっていたので
無くなったのでどうなったか、解体されて。。。。
残念です
このページを見て知ることができてよかったです
nonntaさん、いらっしゃいませ。
ここのお世話係の なかにし@彦島 です。
何年間も放置された末の突然の解体でした。
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