[彦島を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:服部 明子 |
服部明子の日本アッチコッチお迷子物語 |
コメントの種類:その他 「クローゼットの中で迷子になる」と夫からは呆れて言われ 「頭の中で地図を描けばそれだけで既に迷子になっている」と 友人から言われる私。 今年の里帰りもしっかり迷子になりました。 |
3月30日:日本へ出発する朝
2日前にめまいで倒れた私。夫も風邪でぐずぐず・だらだら。29日の夕方
突然、夫から「明日は空港に連れて行けないよ」と宣告されて、初めて自分
でタクシー会社に予約を入れました。
仕事ではお客さまの為の電話は航空会社への予約からホテルの確認でも、そ
の他なんでもやってるけれど、自分の事は結婚以来一切夫任せで来た私。
おたおた、タクシー会社に予約を入れたものの不安でたまらない。心の中は
パニック状態。
それにしても夫はどうして今回に限って私にさせたのだろう?「可愛い子に
は旅をさせろ」ということか?
翌朝、本当にタクシーが来てくれるのか心配で、タクシー会社に確認の電話
を入れてしまった。それでも不安でタクシーが来るまでオロオロ・ウロウロ。
タクシーが来て、荷物を乗せて、走りだしてダンダン不安に。よくあること
は空港に着いてからパスポートやチケットを忘れたことに気が付くこと。
それでタクシーの運転手に頼んで止めて貰い、荷物をトランクから降ろして
貰って確認。ホッとしたものの(これで無事に日本に着けるのだろうか?)
と。
空港近くになったら、タクシーの運転手が「セプルヴェダ通りで降りたいか、
それともセンチュリー通りで降りて空港に行きたいか?」と聞いて来て困っ
てしまいました。いつも夫に乗せて貰っているだけだから何年経ってもドッ
チがドッチの通りかこんがらがったまま。仕方が無いから「どっちでもいい
けど早く空港に着ける方で行って頂戴」と任せることにしました。
そしたら予定よりずっと早く空港に着いてしまいました。
タクシー代は$25でした。夫とタクシーを利用する時は、いつもチップ込
みで$40払っているので、本当は$30で良いのでしょうが$40払いま
した。
ともかく無事に空港に着けて早速夫に電話連絡。「1人で空港に着けたわ。
えらいでしょ?」
4月30日:空港にて保険加入
簡易保険は以前はエージェントがいて、夫が軽口を交わしながら、何でもい
いけど最大限の補償金が出るように掛けていましたが、今回は朝が早かった
せいか、それとも無人販売方式なのか、誰もいないので結局自分で書き込ん
で、申し込みをすることになりました。
初めてクレジット・カードも使いました。持って歩いてはいたけれど使った
経験無しだったのでチョットどきどきしました。
例によっての大韓航空利用なので掛けられるだけの最大額で申し込みをしま
した。飛行機が墜落しても、爆破されても、補償金で若くて可愛いお嫁さん
が夫の面倒を喜んで見てくれるように。
でも、でも、どういう訳か、私の保険の受取人である夫に通知が今になって
も来ないのです。今までは私達が日本に滞在中にちゃんと届いていたものな
のに。もう1ヵ月経ちました。ま、無事にアメリカに戻っていますから別に
構いませんが。ちゃんと切手も貼ってポストに投函したのですがねぇ。
どうやら今回、迷子になったのは私の申し込み書なのでしょうか?
4月30日:服部明子の例によってのお馬鹿話
乗客って実に信じられない出来事で私達を驚かせてくれるのですが私も
「乗客」になった途端、自分でも信じられない「お馬鹿事件」を引き起
こしてしまいます。
1996年の休暇はハワイで3週間、夫と過ごしましたが、この時の私
のおまぬけ振りには我ながらがっかりしてしまいました。
その日、シダの洞窟のあるカウアイ島にいて、ハナレイ方向に車で走っ
ていて、大雨になって来たので夫ともども不安になってしまいました。
カウアイ島は世界中で一番雨量の多い場所があるような所で、ハナレイ
に向かって走っていたら交通止めに引っ掛かってしまいました。大人の
胸までの洪水だと警官が言うのです。アメリカ人の胸ですから私など完
全にあっぷあっぷ状態になってしまいます。雨はどんどん激しくなるし、
海の波の荒いことは恐怖でさえあります。
夫とオアフ島のホノルルに帰ろう、ということにしました。何とか嵐の
中をリフエ空港に辿り着き、物凄い大玉の雨の中レンタ・カーを返却し、
傘を差しても役に立たない雨の中を空港建物に逃げ込み「無事にホノル
ルに帰れるかしらね」と搭乗ゲートで恨めしく雨を見ていました。飛行
機は当然遅延だし、ホノルルに帰れる事のみ願っていました。
どうやらキャンセルにはならず、ほっとしてホノルル行きのフライトに
搭乗する間際(アッ!傘をセキュリティ・チェックに忘れた)と気が付
きました。
それまで夫と2人で雨を見ながらさんざんおしゃべりしていたのに。
それ以来、私は自分も「乗客」になった途端、信じられないお馬鹿をす
ることに気が付きました。
普通の人は雨が止むと傘を忘れるものなのに、私の場合は「大雨」の中
傘を忘れたのですからねぇ。
4月30日:搭乗手続き時のお馬鹿話
大韓航空は安全対策が必要な航空会社ですから常に荷物のX線検査を
しています。ウチもここ数年やっています。最近はアメリカが戦争中
ですから。
それで荷物をX線の機械に乗せて、私は搭乗手続きのカウンターに向
かって歩いて行き、チェック・インをしました。
で、エージェントが言うんですよ。
<エ>お預かりするお客さまのお荷物は1個だけですか?
<私>イエス
<エ>じゃぁ、その荷物にタッグを付けさせて下さい。
<私>あ、荷物はこれじゃないんですけど。。。これは機内持ち込み
する分です。
<エ>ぇ?
キョトンとする私。お互いキョトン。
<エ>じゃぁ、もう1個の方はどこにあるんです?
<私>は?
<エ>カバンを持って来て下さい。
私は自分のカバンをX線の機械に置いたまま、受け取らずにトコトコ
と、搭乗手続きカウンターに行っちゃってたのです。(^^;
エージェントは非常に disgusted (呆れ果てた)顔をしてましたね。
あー、良かった。彼女は出発専門エージェントで私は到着専門エージ
ェントで。お互い全く顔を知らない同士だから彼女は私を初めて外国
旅行するおばさんと思ったことでしょう。
あー、良かった、私も業界の人間だなんてバラさなくって。
↑
上記の4月30日は全て3月30日の間違いであります。
私ってホントにそそっかしいんだから。<m(_ _)m>
3月30日:フライトの中で
当然トイレに行く度に迷子になりそうでしたが、さすが業界の人間!
方向訂正はすぐさま出来ました。
ふふふ
座席が前方バシネット・シートのすぐ後ろの通路側の席、とプロ感覚
は作動してました。↑赤ちゃん用の特別席のことであります。
3方を赤ちゃんに囲まれていましたから、この記憶で赤ちゃんの泣き
声を頼りに迷うことはなかったですね。
(^^;
3月30日:機内食
一昨年デルタ航空で頑張って「海老フライ」に何が何でもありついて
機内は乾燥するからと飲める度に水分を摂り、名古屋に着いたその晩
しっかり食い合わせの下痢をして一気にげっそり痩せてしまったので
今回はしっかり気を付けました。
韓国料理って食べたことが殆ど無いのです。同僚からは「びびんば」
が食べられていいね、と言われ初挑戦。でも、ソースが何か分からな
い不安で一杯でした。私はホンの少量チューブから出して、胡麻油と
混ぜて、かき混ぜご飯にして頂きました。おいしかったですよ。
が、が!、が、機内中も翌日も「芳香」なのですがぷんぷん匂ってい
たのには「芳香」を通り越して「失敗」だったと思いました。
帰りのフライトでは友人が隣に乗り合わせまして、彼女は台湾系日本
人でアメリカに永住している人なので、遠慮なく機内食をチューブ全
部ソースを出して食べてましたね。凄かったです、大蒜臭!私は行き
のフライトの失敗があったので「びびんば」は止めて「白身の魚」に
しました。
でも、どっちにしろ、韓国風でしたから私も大蒜臭をぷんぷん発散し
ていたのかしら?
飛行機系の話楽しく拝見させて頂いてます。
>同僚からは「びびんば」が食べられていいね、と言われ初挑戦。
さすがわ大韓航空!フライトアテンダントの方々も若い方が多いと聞きます。
今度乗ってみたいなぁ。ビジネス・クラスも安いと聞くし。
さすがにユッケは出ないでしょうが(笑)
ACCさん:
大韓航空のスッチー達は皆さん美人揃いで親切でしたよ。
大好きになりました。
ただし、安全対策が。。。
>大韓航空のスッチー達は皆さん美人揃いで親切でしたよ。
大好きになりました。
ただし、安全対策が。。。
確かに安全対策では他の航空会社に水をあけられているようです。
安全で思い出しましたが、イタリアの帰りにローマからロンドンに向かうBA(英国航空)
のスッチーさんがお客(日本人)のプリクラをみてキャーキャー言ってました。
フレンドリーでいいなぁ、と思っていると、着陸の際に後方で「ガシャーン」の音。
見ると白人英国人のスッチーさんが立ったままワゴンを押さえてニッコリ顔。
さすがエアバスというだけあって、着陸に間に合わなかったご様子でした。
こんな光景初めて見ました(笑)、向こうの人はタフですね。
3月31日: 成田→東京→錦糸町→亀戸???の巻
入国審査が終わって成田空港地下のJR駅に行くにも迷子になりました。
案内係の機動隊のような格好をしたお兄さんもあんまり方向感覚が良く
ないようでした。この人のお蔭で私は2回どころか3回は迷子になりま
した。
やっとJR駅のオフィスに辿り着き、外国に居る人専用の JR PASS を
発行して貰い、切符を購入する時に「成田エクスプレスで」と指定した
のが大間違い。「亀戸」に行きたいと言ったのに「亀戸は止まらないか
ら東京駅で乗り換えて下さい」と言われ、素直な私は(←かなり嘘)内
心(東京駅のソーブってすっごい地下にあるんだよね。。。こんな大荷
物を持って大丈夫かなぁ、今回は「奴隷」を同行せずだから(←夫のこと)
エスカレーター、ちゃんと動いてるかなぁ。。。)と不安一杯。
成田エクスプレスは最高でした。景色はいいし、座席の無料雑誌は「下
野の武士」特集でしたし。(←那須の与市など源氏系だったのが残念で
したが)
東京駅ではエスカレーターがちゃんと動いていたのでこれも良かった。
でも総武本線って総武線とは一致してないのですねぇ。。。走ってる所
も違うし。
結局、大荷物を持って、東京駅の大エスカレーターを昇ぼり、総武本線
で錦糸町に出て、階段降りて階段昇ぼって、総武線に行って、やっと亀
戸に出ました。
で、駅から両親に電話して、すぐ、の筈だったのですが。。。
とうとうやらかしましたね。右に行かなきゃならないのを左に出て、す
ぐ、の筈が行けども行けども両親宅のマンションらしき物が無い!
ご町内の案内板は立ってるんですが自転車が何十台も置いてあって読め
ない!自分がどこにいるのかも分からない。暗くて見当もつかない。
結局、電話を見つけて親に電話。
どこにいるんだ、と言うけれど、どっちのだ?と聞かれても、こっちは
「ぇ?ぇ?ぇ?」とますます混乱するばかり。
つまり、私の目の前にある「マクドナルドと住友銀行」は東口にも北口
にも同じような位置関係でそっくりそのまま存在していたのです。
服部さn>
それは大変でしたね!言って頂ければ、成田までお迎えに参上したのに(笑)
亀戸はごちゃごちゃしていて、地元の私でも分かりづらいです。
無事着いただけでも儲けものかと(笑)
ACCさん:
亀戸ってぇのは広いんですねぇ。
それにアメリカとは違って日本の住所表記は番号順じゃない、
というのをころっと忘れていました。
目の前で迷子になる私の<面目躍如>の里帰りとなりました。
親からは「この子は子供の時からすぐ迷子になる子だった」と
言われるし、「日本で迷子になるのに、良くまぁアメリカにまで
行ったもんだ」と話が飛ぶし。
これって、私だけに原因があるとは思えないんですがねぇ。
いきなり4月15日・木曜日に飛びます。帰国の日であります。
亀戸から都バス(市バスじゃございませんですよ)に乗って押上下車。
ここから電車で成田空港に行ったのですが。。。
時刻表をド近眼の目で一生懸命見上げていたのです。
随分長い時間がかかりました。
そしたら素敵な紳士がツカツカツカ。。。
ナンてワタクシに言ったと思います?
「それ、日曜日の時刻表ですよ」ですって。
(^^;
しかし、彦島で「お迷子」にならなくてよかったですねぇ〜。「彦島には入れるけど、一度入ると出口がわからない」ってみなさん言ってます。
私は基本的に迷子にならないタチなんですが、梅田の地下街だけは、何度行っても迷います。駅前に立って、「よし、斜め前のあの出口に出よう」と決意して地下街に入って、目指した方向に歩いているつもりなんですけど、地上に出てみると、さっき入った入り口のすぐ隣から出てたりとか・・・。
あと、梅田のJRと高速バスの乗り換え方法。あれも、最近はさすがに迷わなくなりましたけど、10回くらい迷いました。
東京って、道案内が良くできてますよね。「あれ、どっちかな?」って旅行者が迷うところに必ず親切な案内があって、道のわからない人の心理を知り尽くしてるという感じ?
>亀戸から都バス(市バスじゃございませんですよ)に乗って押上下車。
おおっ!豊海水産埠頭行きのバスですね。
押上は職場の隣の駅です。言って頂ければ仕事さぼってご案内しましたのに・・・
(しつこい!)
市バスではございません。東京都交通局です(江東区は都バス天国!)
なかにしさん:
彦島はボトル・ネック(アイ路?)型だから 方向感覚が狂うのでしょうね。
でも、私なんかがこんなことをコメントしていいのかしら?
服部 明子からそんなこと言われたくないよ、と座布団が飛んで来そう。
(^^;
ACC さん:
どっち方向ですか?
弟は東駒形で、嫁さんとこは吾妻橋なんです。
すぐ、近くみたいですね。
やっぱり遠慮せず前以て連絡しとけば良かったですね。
私の余りのお迷子ぶりに昔の知人が「次回日本に来る時は連絡して」と
言って来ました。「絶対に日本で迷子にさせないから」と。
船で門司から下関に戻った時、船の中で迷子になったワタクシ。
これ読んだ人は「その船って大きかったの?タイタニック位の大きさ?」
と思う事でしょう。
(^^;;
あれにはワタクシ自身、驚いてしまいました。
>どっち方向ですか?
弟は東駒形で、嫁さんとこは吾妻橋なんです。
すぐ、近くみたいですね。
やっぱり遠慮せず前以て連絡しとけば良かったですね。
ええ、すごく近いようです(笑)
職場は吾妻橋1丁目です。ご近所ですね。
ぜひ、次回はご案内しますです。(^^)
>船で門司から下関に戻った時、船の中で迷子になったワタクシ。
>これ読んだ人は「その船って大きかったの?タイタニック位の大きさ?」
そんなにデカイ船の渡船だったら、こっちの港を出港したときには、舳先は対岸の港にぶつかってます (^^;)。
先日の土曜日も、グランドホテルのまわりをウロウロして、渡船に乗って対岸にも渡ったんですが、いかんですねぇ。ホームシックならぬ、服部シックにかかっとる(これこれ ^^;)。
ちなみに、服部さんは、定員が70人くらいのバスみたいな船の中で道に迷いました(暴露!)。
ちなみにワタクシは、定員が70人くらいのバスみたいな船の中で道に迷いました
(暴露!)。
ふふふ
昨日5月25日はどういう訳か到着場でウチのフライトが着いた時は何処の会社の
フライトも到着してなくて、ウチだけだったんです。
私は昨日は1人で仕事をしなくてはならない日で、これ幸いと入国審査の係官と
飛行機が着く迄と思い、馬鹿話をして遊んでいたのです。無線で「到着」の連絡が
入って「さぁ、仕事をしましょ」と思い後ろを向いたら何と入国審査の係員達が
全員私のことをじとっと見ていたのです。
(どこの航空会社のエージェントもいなくてスカートを穿いた存在は私1人だったので
暇な係官達は私を見て暇を潰していたわけです)
それで真っ赤になって(←かなり嘘)上がってしまって(←かなり本当)仕事の手順が
狂ってしまい、ウチが指定された荷物の出て来る回転台にウチの会社のサインを運ぶ
のを、勘違いしてしまいアッチウロウロこっちウロウロしてしまいました。
それが自分でも恥ずかしくなる位、右へ行ったり左へ行ったり通り過ぎたりしてしまい
とうとう黙って見ていられない人から「どうしたの?何やってるの?」と訊かれて
しまいました。
1990年から働き始めて、それも毎日仕事してる所で迷子になったなんて、今日は
入国審査の係官達の顔が平然と見られませんでした。その内「明子って見てるだけで
可笑しい」って言われそうです。もう言われてるかも。それで昨日は係官達が鈴なりに
なって私の事を見ていたのかも。
(^^;
>無線で「到着」の連絡が入って「さぁ、仕事をしましょ」と思い後ろを向いたら
何と入国審査の係員達が全員私のことをじとっと見ていたのです。
それは空港のアイドルだからですよね。
今度もし行く機会があったら「Do You Know Akiko ?」と聞いてみますね。
きっと税関の人と仲良くなれること請け合いです(笑)
ACCさん
アメリカにいらっしゃる時はウチのをご利用下さい。
でも火曜日は1人で働く所に振られてるかも知れないですが。
月曜・木曜・土曜日はめちゃくちゃ混んでいるので止めた方がいいです。
すいてる時は日曜・水曜日。
今日は木曜日ですから仕事忙しそうです。
是非、こう訊いて下さい。
「ちびなのに顔と態度のでかい明子知ってる?」と。
分かりました「キュートで、笑顔がきれいな明子さん知っている?」ですね!
でもどこなんだろう?PANN○Mではないだろうし・・・(笑)
友人とメール交換をしてて気がついたことが有りました。
私って高校1年の時の「地理」の成績がいつも低迷状態でした。
「韮山」を「こらさき」って読んでいたし。
どうやら途切れることなく私は方向感覚・地理感覚に欠けていたようです。
(こんなことえばってどーする!)
今入って来たメールのやりとりでは「ひょっとすると
生まれて来る先も迷子になったのかも」でした。
私の本当の両親は何処に?
00113 栃木県って不便ですね。
西暦1999年07月20日 11:19:01
「本郷和人先生のHP」より転載
今年の里帰りに「太田」と「足利」と「佐野」に行こうとしました。
「太田」は新田家の地ということで。
「足利」は足利家の地ということで。
「佐野」は藤原秀郷公のお墓を見に。
亀戸の両親宅から新幹線で小山に出て両毛線でとことこ行くつもりでしたら
1日に1箇所がせいぜいでした。
「佐野」というか「田沼町」の秀郷公墳墓を見に行き、それで1日が終わりました。
神社じゃなくてお墓を見たいと町の人に言ったら喜んでくれました。写真を撮って
アメリカまで持って帰ります、と言ったところ、突然、雷が轟き渡り、ハイゼンたる
雨に見舞われました。
「足利」の前には「太田」を見て、両者の比較をしようと思いました。負けた方の
消沈ぶりと勝った方の賑わいを比較出来たらと期待していましたが、「足利」から
「太田」にどうやって行くのか分からなくて、怖くなって家に戻ってしまいました。
次回は浅草から東武で「太田」に行こうと思います。
足利の足利学校跡は茅葺きの屋根で、さすが公的資金で管理がなされているのが分
かって「太田」は止めておいて良かったと思います。負けた方の惨めさにいよいよ
哀れを感じてしまったでしょうから。ウチのホンヤは420数年に渡って「茅葺き
の家」に住んでいるのですが「材料と職人がいつまで続くものか」不安があるので
足利学校の建物を見た時に個人で管理しなければならない「重要文化財」に住んで
いる者の惨めさ(ホンヤは南朝方でした)が現実に迫りましたから。
渡良瀬川の氾濫で「ここまで水がきました」という案内板を見ていたら、この川で
両家が水争いを続け、それが日本を2分する争いに発展し、片方は天下を手に入れ
もう一方は。。。と思ったら、負けることのみじめさがたまりませんでした。
上記の書き込みに思い違いがありましたので訂正致します。
渡良瀬川を挟んで「足利」と「太田」がありますが
太田は「群馬県」になるそうです。
川が国境になったり県境になったりする好例ですね。
失礼致しました。
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