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投稿番号:31090 投稿日:1999年02月10日 15時02分10秒
お名前:服部 明子
 

平家物語の史跡を訪ねて その3

キーワード:平家 源氏 菩提寺

コメントの種類:発見


このページは源氏系・源氏好きの方達に多く利用されているようですね。
源氏方からの「平家物語」もどんどん書き込んで行って下さい。



なかにしさんからのコメント(1999年02月10日 23時24分31秒)
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http://www.mnet.ne.jp/~garaclub/hyuga/history/densetu.html

 宮崎県日向市の平家伝説です。安徳天皇は資盛、有盛、行盛さん達と奄美大島に行ったんだそうです。

なかにしさんからのコメント(1999年02月10日 23時25分04秒)
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 あ、上はいさぱっぱさんの紹介です。

服部 明子さんからのコメント(1999年02月10日 23時42分41秒)
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奄美大島というのは平安時代の位置づけはどんな場所だったのでしょうか?
「楽園」とか?

源為朝も奄美大島に逃げたことになっていますが。

犀川 武廣さんからのコメント(1999年07月04日 01時29分19秒)
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ニコニコさん、「頼朝さんの部屋」からこちらに移動してきました。
そっくり文章も移しましたので、もう一度ご覧になるか或はもう「谷戸巡り」をなさったのなら、感想でもお書き下さい。


『鎌倉の谷戸巡り』
鎌倉が大変お好きなようですが、私も鎌倉大好き人間です。
そして、何よりも頼朝大好き人間です。

今回メールでの「谷戸巡り」の質問も、頼朝に関係する「谷戸」を紹介させて頂くことにします。
「谷戸」歩きをするなら、まず大御堂ヶ谷に行っては如何でしょう。
頼朝の建立した三大寺院の一つ、勝長壽院跡から出発しては?
勝長壽院は、源義朝を始め、頼朝、政子、実朝と葬られた大寺院です。
今は、義朝の石碑しか残っていませんし、寺院の跡も石碑だけです。

しかし、付近をゆっくり散策すれば、きっと勝長壽院の香りを感じることが出来ますし、周りの静けさは遥か800年以上の時を感じない「何か」を身体に受けとめることが出来ます。
義朝の石碑は小さいものですが、大きな「源氏の夢」を自分で果せなかった悔しさと、頼朝が果してくれた安堵感を私たちに与えてくれます。

ここを見終わったら、これも三大寺院の一つ、永福寺のあった二階堂ヶ谷に向かって下さい。
身内の菩提を弔うために、藤原泰衡・精舎を真似たという大寺院の跡が目に入ってきます。
発掘が続く敷地に入ることは出来ませんが、広さは外からでも感じることが出来ます。
豊かな想像力で、大寺院を心に描いてはどうでしょう。


「鎌倉は谷戸から発展した」という人もいます。
私もそう思いますし、大きな谷戸・小さな谷戸を巡ると必ず寺社の佇まいがあります。
今、雨の季節。
そんな静かな時、落ち着いた谷戸巡りは心を洗われるいい機会でしょう。
こう書いているだけで、鎌倉へ行きたくなりました。

犀川 武廣さんからのコメント(1999年07月11日 18時47分33秒)
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もう、史跡巡りだけで八回目の紀行投稿になりました。
足の向くまま、気の向くまま投稿をしています。
今回、服部明子さんの「横浜旭区を訪ねたい」との投稿がありましたので、畠山重忠の史跡を紹介しましょう。


横浜市旭区。
相模鉄道、鶴ヶ峰の駅を降りて15分から20分で「畠山重忠史跡群」に着きます。
まず驚くのがそのお寺さん。
薬王寺というお寺さんですが、全然お寺さんらしくないのです。
雰囲気は普通の家よりお寺に近く、見た目はお寺よりも民家に近いのです。

薬王寺の正面に「畠山重忠戦没の址碑」があり、左右に畠山重忠の塚、家臣たちの六ツ塚がひっそりとあります。
こんもりと盛り上がった小さな塚は、今埋葬をしたばかりのように見えます。

薬王寺を出て、暫く歩くと今度は「駕籠塚」があります。
重忠の正室の塚です。
重忠のあとを追い自害、「駕籠ごと土中に埋めて欲しい」と懇願し、駕籠のったままの姿で埋葬した、という伝説があります。

重忠の正室は、北条時政の娘。
その娘を政争の中に引きずり込み策略を練り、夫である重忠を三浦義村に謀殺させました。
夫が目の前で戦死した悲しみと、父親に裏切られた悔しさと、義母・牧の方への憎しみが、こうした哀れな伝説を生んだのでしょうか。
それとも、本当に駕籠にのったままの姿で埋葬されたのでしょうか。

そこから10分程駅の方向へ戻ると、首塚や首洗い井戸があります。
畠山重忠、この人物が好きな人なら、一見の価値はあるでしょう。
首塚には小さな七重の多層塔と、これまた小さな重忠地蔵があります。
まるで人目を避けるように、ひっそりと木々に囲まれています。
首洗い井戸は帷子川(カタビラガワ)の河原にありましたが、今は川に沈み標識のみが残るのみです。

ここ、鶴ヶ峰から二俣川にかけては、重忠の伝承史跡が多くあります。
ただ、それだけではなく、畠山重忠という人間が、人を惹き付ける何かがあるのでしょう。
地元有志による「畠山重忠公碑」が、厚木街道沿いに建てられたのも、それを裏付けています。

尚、鶴ヶ峰の次の駅、二俣川はその戦場となった地。
戦場跡は今、万騎が原と呼ばれていますが、その面影は全くありません。
戦場跡から出土した遺骨を弔う意味で建立された、畠山地蔵(遺勲碑)が戦場の真中と思われる所に立っているのみです。

服部 明子さんからのコメント(1999年07月11日 22時14分11秒)
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犀川さま:

長い書き込みありがとうございました。<m(_ _)m>
愛する夫を自分の父親に裏切られた女性の悲しみや嘆きが伝わって来て
涙が出て来てしまいます。

畠山重忠にしてこの妻あり、というお2人の最期ですね。
いい夫婦だった、良い主従だった、というのが素晴らしい武士だった、というのが
ひしひしと心に迫って来る書き込みでございました。

もう1度ありがとうございました。

服部 明子さんからのコメント(1999年07月11日 22時14分46秒)
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犀川さま:

長い書き込みありがとうございました。<m(_ _)m>
愛する夫を自分の父親に裏切られた女性の悲しみや嘆きが伝わって来て
涙が出て来てしまいます。

畠山重忠にしてこの妻あり、というお2人の最期ですね。
いい夫婦だった、良い主従だった、素晴らしい武士だった、というのが
ひしひしと心に迫って来る書き込みでございました。

もう1度ありがとうございました。



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