[彦島を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:服部 明子 |
平家物語の雑談 その14 |
コメントの種類:歴史 新しい年を迎えまして心機一転どんどん書き込んでいって下さい。 |
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http://www2.tip.ne.jp/~nakani00/heike-ring.htm
ま、要するにはリンク集のようなものですが・・・
「平家物語の雑談 13 」にも書き込みましたから重複しますが:
いんこさんから聞きました。
>1月18日に岩波文庫から「子午線の祀り」が復刊されるようです。
知盛さまと厳島のミコさんの幻想的なお話です。
是非読んで下さい。
18日ですね。買います、買います。
司馬遼太郎が語る日本: 防衛と日本史(下)
週間朝日 98年7月31日号 p50より
・本当の日本が出来上がるのは12世紀の終わりの鎌倉幕府の成立からで
あります。
・われわれは鎌倉幕府の成立あっての子孫ですな。
言ってみれば、われわれは天智天皇の子孫でもなければ、11世紀の紫式部の子孫
でもないですね。「源氏物語」は素晴らしい小説ですけれど、そこにはわれわれの
庶民は少しも描かれていません。鎌倉幕府で初めて庶民のリアリズムが濃厚に姿を
現わしました。
・「大化の改新」により、土地はほとんどが国有ということになり、農民は国から
土地を借りるという決まりが出来ました。
・鍬というものは、国が持っていました。朝になると農民に貸し、夕方になると
返させる。むろん農民も鍬を持っていましたが、それは木の鍬でした。木の鍬だと
なかなか土を砕くことができません。
・平安朝半ばぐらいになりますと、鉄の生産が盛んになってくる。
・力を持った百姓は、自分のポケットマネーで鉄の鍬を買うことができるように
なります。すると鉄の鍬で今まで田んぼではなかった山地を開くことができるよ
うになる。我が田に水を引くこともできるます。
・この関東地方ですと、熊谷あたりに大きな田ができて、その主が熊谷次郎直実
ですな。畠山重忠は畠山郷の主です。
・土地は国有だという取り決めの中で彼らはいわば違法に存在した。
・もめごとが多かったようですね。
・違法ですから、いちおうは京都のお公家さんとか大きな寺の領地だということに
してあります。
・しかしこれでは所有権は不安定ですね。京都のお公家さんの機嫌を損じたらおま
えは気に入らないから、おまえの弟に継がせろと。
・関東平野には多摩川や利根川があるくらいですね。大きな川がわずかしかない所
に、網の目のように潅漑用水を引いて土木を施したのは、われわれのじいさんであり、
ひいじいさんです。この土地が京都のお公家の機嫌ひとつで変わるというのはかな
わない。
・われわれの政権をつくろうということになった。それが頼朝を旗頭にした鎌倉幕
府であります。
・鎌倉幕府は、政治をするよりも土地問題を解決するためのものでありました。
そうすると、世の中はリアリズムになりますね。
・鎌倉時代の彫刻では、仏様はきれいな顔をしているだけではありませんね。
仁王様が怖い顔をしています。偉いお坊さんがへんてこりんな顔をしていても、
へんてこりんな顔のままリアリズムで彫刻を残す。非常に優れた彫刻が残っています。
土地問題が解決すると、これだけ生き生きしてくる。
・人間の魂も生き生きしてきますね。
おれは武士であると。非常に潔くて、いろいろな日本人の理想的な精神が「平家物語」
の中に描かれています。こういう人たちは、「源氏物語」の時代にはいませんでした。
本買いました。
別冊歴史読本「源氏一族のすべて」新人物往来社刊
表紙だけ見て購入してまだ中身は見てないんですけど、なんかいろいろ書いてあるみたいです。平家についても源氏のライバルという立場からいくつか文章が掲載されています。
去年の年末に発売された本のようです。
早速友人に連絡致しました。
味方を知るには「敵」を知らなくては、ということで。
>味方を知るには「敵」を知らなくては、ということで。
私もそう思って買いました・・・。 敵のこともきちんと理解していないと正しい批判が出来ないですもんね。
新国立劇場で「子午線の祀り」が20日まで上演されているようですね。
日本経済新聞(2月16日夕刊)より
以下は演劇評論家の川本雄三氏の記事よりご紹介。
木下順二の代表作「子午線の祀り」は「山本安英の会」によって1979年に
初演されて第5次までの上演を重ね、今も消えぬ感銘を残した。今回は、新国
立劇場による第2期の上演の開始で、この舞台も端的に言って成功、新鮮な印
象を刻んだ。
源平の戦いに敗れて壇の浦に入水した平知盛(野村萬斎)が主人公だが、その
悲劇を単に外側から描いたものではない。人知を超えた宇宙の非情な相のうち
に感得される人間の運命。知盛という知将が、それにさめた知覚で向き合うと
きに生じる意識を悲劇的な感覚としてとらえた現代劇である。古語と現代語を
融合させた文体、複層的な形式を駆使した快い緊張感が約4時間を飽きさせな
い。
全曲上演の大きな効果は源氏方の動静、ことに義経(市川右近)像の鮮明化で
ある。すぐれた猛将、軍略家。にもかかわらず自分の危うい立場が読めない。
観客は周知だが劇中の義経は、まだ自分の末路を知らないという劇的なアイロ
ニー。この義経にも十分の哀感がある。そして知盛。天地の理にあらがいつつ、
ついにはそれに抱き取られて滅びざるを得ぬ宿命。その覚悟の瞬間には、一種
の官能性さえ漂っている。
狂言の萬斎と歌舞伎の右近。この配役がいい。古典芸能の役者は、いわゆる甲
(かん)の声を使うことができる。それが台詞を貫く心棒となって、戯曲の文
体の腰の強さを支える。狂言と歌舞伎とでは芸質に静と動、受けと攻めの差異
があるのだろうか、それが役の対照にうまく生きている。
知盛の対話の相手でもあり思念の投影でもある影身の役に三田和代。非具象の
象徴性といいたい次元にまで高めていった山本に対し、三田は、やや生身の具
象性に引き付けて別趣の新鮮味がある。現代劇の俳優たちもベテランたちは、
さすがに年功がものをいうが、もう4半世紀もたてば、こういう強い劇文体を
支え切れる俳優が、どれくらいいることだろうか。観世栄夫ほかの共同演出。
20日まで新国立劇場中劇場。
毎日新聞3月4日第7ページの情報クロスロードの「遊び歳時記」<こぶし>より
コブシは長い冬の後の春を満喫するような明るさにあふれている。
ところがそうばかりではない。九州山地の奥深く、熊本県益城郡矢部町には
こんな悲しい物語が言い伝えられている。
壇ノ浦合戦で源氏に敗れた平家の一族が、矢部町の山奥に落ちて来た。ここ
まで来れば大丈夫、と思っていたのに、ある朝目覚めると山一面が白一色。
「源氏はここまで迫って来たか」と観念し、一同腹を切ってあい果てた。
(従っていた女官たちは石になった)。。。
というのである。源氏の白旗と思われたのは実はコブシの花だった。
九州山地の町や村にはこれに類した平家の落人伝説が残り、平重盛の小松内
大臣にちなむ「内大臣」などの地名も残っている。内大臣国有林は今もコブ
シの名所である。
↑
夕刊でした。
「源平合戦の悲話の元にも」という副題がついています。
平家一門のこの早とちり癖はなんとかならないもんですかねぇ。
「こぶし」といえば、千昌夫の「北国の春」を思い出すのは私だけでしょうか?
ところで、熊本県益城郡矢部町のこぶしっていうのは、今がちょうどいい頃合いなんでしょうかねぇ??
このサイトのある、山口県下関市では毎年ゴールデンウイークに「海峡祭り」なるイベントが実施されます。
これは、下関市が街をあげてのお祭りで、多くのイベントが市内各所で開催されますが、そのメインイベントは赤間神宮で行われる「先帝祭」です。先帝祭は壇ノ浦の合戦後、平家の女官が、安徳天皇陵のある赤間神宮に参拝する様子を再現したもので、きらびやかな衣装と、独特の外八文字を踏む歩き方が有名です。
詳しい説明はこちら↓
http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/senteisai.html
(ところで、これによると安徳天皇の命日って5月2日なの?? なんで??)
今年は5月3日に開催されます(下関市の公式サイトには今日現在、5月3・4日両日開催になっていますが、あれは間違いです。
上臈参拝に先立って、上臈や鎧を着た武者による市内パレードが実施されますが、その鎧を着てパレードに参加する人が募集されています。その募集「される」人が「義経」「静」「武者」だとか・・・。公式発表はまだだったと思いますが、「なんで静が壇ノ浦に〜」とか「なんで、義経は個人名が出るのに、かんじんの平家一門は"武者"でまとめられてしまうのか〜」などといった素朴な疑問がわいてきます。
安徳天皇を偲んで上臈参拝が行われている横では、義経の八艘飛びが再現されて(大型クレーンで義経役の人をつり上げて平家の船に見立てた漁船の上を飛び越える ^^;)、それにご先祖様は義経にこてんぱんにやられたはずの下関市民が拍手喝采するという、歴史的観点から見ると、支離滅裂で企画した人の頭の中カラッポって感じのイベントですが、それなりに楽しい休日は過ごせると思いますので、興味のある方はどうぞ。
ちなみに、パレードの参加には、数万円の参加費が必要のようです。朝日新聞には詳しいことが掲載されていたみたいなんですが、うちは読売新聞で、開催日くらいの情報しか載ってなかったdす(涙)。
あ、安徳天皇と弁慶も名前付きで募集されるみたいですね。
・・・しかし、これじゃぁ、壇ノ浦に沈んだ平家のみなさんも浮かばれん・・・・。いや、浮かんできたら怖いけど (これこれ ^^;)。
このあたり、歴史を無視した、楽しむだけのお祭りはぼちぼち卒業して、ある程度の時代考証や、平家物語を読んで企画するような、しっかり筋の通ったお祭りが欲しいところですね。
入水した<らしい>のが3月24日で、御遺体が<はっきり>見付かったのが
5月2日なのでしょうか?
旧暦3月24日は今の暦では4月25日に当たるそうですから、根拠となる
あとの可能性は印刷ミス?(^^;
ある人の御指摘では、義経の性格は長兄の悪源太義平に似ていたそうですから、
かなりイメージが世間で通っているものとは違っているようですね。
史実に反するドタバタ祭りは「市」の係わる物としては批判が起こるべきで
「市」としての姿勢が問われるべきですね。学生の仮装行列じゃないのだから。
壇の浦の合戦が長門国または下関市にとってどういう意味があったのかが
考慮されなければ、<歴史に>または<歴史から>何も学ばなかったというのが
見えて来て、結局は、祭りの形骸化を露呈してしまいます。
「先帝祭」をする精神を思い起こすべきでありますね。
>旧暦3月24日は今の暦では4月25日に当たるそうですから、根拠となる
>あとの可能性は印刷ミス?(^^;
でも、引用元は赤間神宮の公式サイトですからねぇ・・・。赤間神宮には何か関連する文書が残ってるんでしょうかねぇ・・・。
まつりのあり方については、私自身がきちんと勉強して市に提案していこうと思っています。何かアドバイスなどありましたらよろしくお願いします。
宮島の厳島神社の話題です。
宮島大鳥居、新調したいが大クスノキない 雲南省に期待
世界遺産・厳島神社(広島県宮島町)で、8代目になる現在の大鳥居が建立から124年になり、傷みが目立ってきた。建て替え時期が近付き、観光地・宮島のシンボルを放置できないと、町もクスノキ探しを始めたが、材料になる巨大なクスノキが国内では見つからない。中国雲南省にありそうだということを聞きつけ、日本の外務省に協力要請もした。無事、クスノキ手に入れることができるか。
国の重要文化財に指定されている大鳥居は高さ約16メートル、2本の主柱の周囲は、それぞれ約10メートルある。干潮になると地表に現れる根元部分には、フジツボがびっしりとついている。フナクイ虫による食害もあり、傷みが激しい。
歴代、数十年から100年前後で建て替えられてきた。8代目は1925年にコンクリートで周りを固め、数年前にはプラスチック樹脂を注入するなどの補修がされてきた。今のところ大丈夫だが、この先いつまで持つかわからないという。
町は「早い時期に材料だけでも見つけておかなければ」と、数年前からクスノキ探しを始めた。これだけの大きさに育つには400年ほどかかるとされる。以前は島内の木を使ったり、高知、佐賀、宮崎県などから運んできたりしたと伝えられるが、今は国内に目ぼしいものが見つからない。あっても天然記念物だったり、神木だったりして、伐採できないという。島内には将来に備えて植樹されたとみられるクスノキが約200本あるものの、まだ150年ほどで大きさが足りない。
思いあぐねていたところ、国際交流で島に来た中国人から、雲南省に大きなクスノキがあることを聞いた。97年5月には、北京に出かけた梅林良定町長が中国政府文化部にクスノキをもらえないかと依頼。今年3月には高村正彦外相に会い協力を要請し、「できることがあれば、協力したい」との返事をもらった。
しかし、中国側の協力が得られたとしても、輸送手段や輸送費などの問題が残る。現地には大きな輸送機械がなさそうで、「人民解放軍に手伝ってもらい、メコン川づたいに持ち出す」という案も出ている。
#あれって、1本の木だったんですね (^^;)
400年ですか。
スケールの大きさに驚愕。
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