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投稿番号:27686 投稿日:1998年11月15日 22時21分04秒
お名前:なかにし
 

なかにしin仙台

キーワード:仙台

コメントの種類:発見


なかにしin仙台〜

 先週、東北の仙台に仕事で行ってきました〜。

1日目

 朝一番の「のぞみ」で東京へ。500系のぞみは初体験。窓際の席は足元が狭いよぉ〜。普通車を取るときは通路側がいいかも。でも、300系のぞみよりも乗り心地は格段に改善されてます。しかも、小倉−大阪、ジャスト2時間は大阪によく出掛ける私にはとっても魅力。

 東京から「やまびこ」に乗り換えて仙台へ。いちお、服装は冬物でそろえてたんですけど、仙台は思ったよりも寒いです。駅前のバス停からバスに乗って仕事場へ。

1日目夜

 仙台といえば名物は牛タン。ガイドマップで下調べをしておいた「伊達の牛タン本舗」なるお店でビールに牛タンで夕食。おしゃれなバーみたいなすてきなお店でした。牛タン定食1200円は安い。仕事の疲れもあって、ホテルに帰るなり爆睡。

2日目

 寝坊・・・。ホテルから仕事場へは徒歩で10分程度。午前中の仕事を終わらせ、午後の仕事開始まで3時間以上あったので、これまた、仙台の名物らしいイクラで昼食を取って、「広瀬川ぁ〜 流れる岸辺ぇ〜」の青葉城恋歌で有名な青葉城へ行くことにしました。

 地図で場所を調べて、とりあえずその方向へ行くバスに乗りました。きっと「青葉城入り口」とかいう名前のバス停があるだろうと思って、車内放送に耳を澄ませていたのですが「青葉城入り口」はなくて、やがて終点の宮城教育大前・・・(^^;)。しかたないので、バスを降りて、大学のキャンパスを見学 (^^;)。やっぱ大学生は若いなぁ、などと思いつつ、折り返しのバスへ。バスの運転手さんに青葉城の最寄りのバス停を教えてもらいましたが、なんと、なんと、最初に私が乗ったバス停が最寄りのバス停だとか・・・。なんてトホホ者・・・。

 バス停から青葉城までは徒歩で20分程度。坂道を延々上ります。青葉城は正式には仙台城といい、伊達の居城ですが、天守閣はなく、大広間を中心にした宮殿かもしくは寺院のような構造でした。明治時代までは建物もあったそうですが、その後破壊されたり、戦災にあったりで、今はほとんど何も残っておらず、観光センターや護国神社が建設されています。平日の昼間ですが、観光客で相当賑わってました。

 青葉城からはきっと広瀬川が大きく蛇行して流れている様子が見えるんだろうなぁ、と思いきや、かつては断崖だった城址の斜面も、現在は木が生い茂り眺望はそれほどよくありません。しかも、ちょうど石垣の復旧工事とかで、フェンスで囲まれた城址は騒然とした雰囲気で、工事現場に遊びに来たような雰囲気でした(トホホ)。

 広瀬川かいわいや仙台の街の中も、思っていたほどにはきれいでなく、正直なところちょっとがっかりです。青葉城を降りて、そのふもとにある博物館を見学。仙台の旧石器時代から現代までを、発掘品やジオラマ、模型、写真などで多角的に紹介していました。各時代の地図が事細かに紹介してあるのが非常に興味深く、埋め立てによってどんどん姿を変えていく下関と対照的に、大昔から仙台の街の川の流れや道路のつながり方などの地形が変わっていないことに驚かされます。

2日目夜

 居酒屋で、仕事仲間とガーーーッと酒を飲んで、あえなく絶命・・・(^^;)。

3日目

 二日酔いで、頭がガンガン。昼間の仕事はごく平凡に過ぎていく・・・。明日の朝、大阪にいなければならないので、仕事を終えて仙台駅へ。出張のたびに各地のうどん・そばを食することを楽しみにしている私ですが、今回は、イクラとか牛タンとかヘビーな物が続いていてすっかり忘れてました。仙台駅のうどんやさんで鴨ネギうどんを注文。麺はちょっと太め。スープは東京風の色がやたらと濃い割に味はそれほどでもないタイプ。ネギも関西のように「ワケギ」ではなくて、長ネギの白い部分が使われていました。

 秋田新幹線「こまち」を初体験して東京へ移動し、23時発の寝台急行「銀河」へ乗車。以前なら、こういう移動には迷わず夜行高速バスを利用するところでしたが、最近は「やっぱ、少々(料金が)高くても横になるのが楽だよなぁ」ってことで、寝台列車を利用することが増えました。唯一年齢を感じるときです(これこれ ^^;)。ちなみに、私は2段寝台の上段でしたが、下段は東京ディズニーランド帰りの若い女性の二人組でちょっと緊張しました(これこれ ^^;)。

4日目 大阪

 WS彦島のCD-ROMのパッケージデザインをして下さった彦島出身大阪在住のグラフィックデザイナーの方が大阪で個展を開催されるという案内をいただいたので、大阪の友人を誘って見に行きました。

 そのあと、梅田センタービルの地下1階にちょうどこの日にオープンするポケモングッズ専門店をあさりに行ったのですが、ものすごい人出で、入場制限されてました。当然、私は入店を即座に諦めましたが、小さな子供を連れたお父さんは簡単に引き返すわけにもいかず大変そうでした。

 梅田センタービルの近くのイタリア料理屋さんで、バイキングの昼食を食べてのぞみで下関へ・・・。このイタリア料理屋さんのバイキング、たった1200円で、店にある物なんでも飲み放題、食べ放題、飲み物はワインまで飲み放題でオススメです。大阪の友人は料理はあまり口にせずに、ひたすらケーキとワインを食しておりました。




服部 明子さんからのコメント(1998年11月15日 22時45分28秒)
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のぞみ体験者ですか、私は未だです。来年は乗ってみたいですね。
小倉ー大阪がホントに2時間なのですか?信じられないくらい早いんですね。

仙台名物は「ささかまぼこ」と思っていましたが下関の人には興味はないですよね。弟が仙台の
学校に行ってたのでいつも土産は「笹かまぼこ」でしたよ。
弟がパスポートを作るのに役所へ出掛けたら「君は名古屋から通っていたっちゃ?」と転居届け
を出していなかった嫌味を言われたそうで、仙台も嫌らしい所だ、との悪印象があります。(^^:

寝台車で下に女性が寝てて中西さんが緊張なさったのですか?へえーっ、そんなものですか?

大阪って食べ物がいろいろあって、量があって、その上安いから、いいですよね。

なかにしさんからのコメント(1998年11月15日 23時20分39秒)
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ささかまぼこ・・・

 今日、下関駅のおみやげ物やさんを見たら、ささかまぼこそっくりの「ふくかまぼこ」ってのが売ってました。これは食べたことないですが(たぶん)、ささかまぼこはおいしいですよね。好きですよ。

のぞみで小倉−大阪2時間・・・

 JRのライバルは航空機ですからねぇ。北九州−大阪、広島−大阪、東京−秋田、なんていうのは航空機がじり貧状態ってって聞きますね。たしか、500系のぞみの次の型ももう量産に入ってるんでしたっけねぇ?? これはスピードは500系より速くはならないように記憶していますが、現在の「ひかり」の車両を、これらの高速型の車両で次々に置き換えて行くんだとか・・・。

 山口県小郡駅のぞみ停車問題の時に聞いた話では、500系のぞみを1駅停車させると10分くらい時間のロスになるらしいので、場合によっては、九州−首都圏にターゲットを絞って広島、岡山を通過させて、小倉−大阪、1時間半っていうのも実現するかも・・・。

仙台の印象・・・

 とくに嫌らしいところ、と思うほど地元の方と接しませんでしたが、下関同様、街の観光化にイマイチ失敗しているな、という印象は受けました。

服部 明子さんからのコメント(1998年11月15日 23時44分52秒)
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中西さん:
女性はいかがでしたか?
弟は「俺ってついてないなぁ。生まれが名古屋で学校が仙台、嫁さんが水戸と日本3大ブス圏(県)
しか行動範囲にないから」といつもぼやいてました。

なかにしさんからのコメント(1998年11月16日 00時14分39秒)
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 仙台の女性???
 ん〜・・・・特に印象に残ってません(苦笑)。仙台って日本三大ブス圏なんですか?(笑) 「印象に残らなかった」っていうのは、そのへんが原因だったのかも知れないですね。高校生のスカートの丈もそれほど短くないし(これこれ ^^;)。そういわれてみれば、ホテルも割と有名なホテルに泊まったわりにはフロントの女性は・・・(以下自粛 ^^;)

 ところで、寝台急行での女性の件は、普通なら、乗り合いですから、女性が乗っててもそれほど気にしないわけですが(でも、連れ以外の男女は車両を分けるよう心がけるべきかも)今回は、私より先にその女性二人組が、寝台に付いてて、私がその間を通って上段に上るシチュエーションになりました。

 で、さっきまで楽しそうに雑談してたのに、私が寝台番号たしかめて、「こんばんはぁ〜、ちょっとすいませ〜ん、上なもんで」って、にこやかに言うと(言ったつもり)、その女性二人組は「こんばんは」とも言わずに黙っちゃって、牽制してるんですよね。相手がそういう感じだからこっちも気を使っちゃいました。

 朝会ったときに「おはようございます」って言っても返事なし・・・ま、そんなもんかな・・・。

のいづ@NHK仙台時代からのもこリスナーさんからのコメント(1998年11月16日 00時26分17秒)
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 ついでながら、FM山口「ヒルアヴェ」DJの小川もこさんは、元仙台市民ですよ。

 日本三大(差別用語)圏にあてはまらないほどの美しい御方であることも、ひとこと付け加えておきます。
 (誰だ?もこさんは札幌生まれだとツッコミを入れるのは?)

のいづ・ぼんばぁ@現在東京都板橋区民さんからのコメント(1998年11月16日 00時30分11秒)
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 それから、仙台の11月は、観光で行くには市内はいまいちの時期でもあります。
 その代わり、市内から離れて作並か秋保(いずれも山形県境になるが)で温泉を楽しむにはもってこいですよ?

 12月になれば、市内の街路樹に電球をちりばめた「光のページェント」がデートコースにはもってこいなのだが、、、不況のあおりでスポンサーが減り、電球の数も少なくなるとか、、あ〜あ、来月帰ろかな?

なかにしさんからのコメント(1998年11月16日 23時05分20秒)
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 観光地は季節の問題はありますねぇ。仕事で出掛けるのが専らですので、なかなか季節が選べないのが辛いところですが、また12月頃行く機会がもてればいいなぁ・・・。

あるく@タビビトさんからのコメント(1998年11月17日 10時35分08秒)
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仙台といえば国分町(こくぶんちょう)でしょう。
久しく行ってませんなぁ・・・(^^;)

服部 明子さんからのコメント(1998年11月17日 10時41分18秒)
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私は「仙山線」だったか山形と仙台を結ぶJRに乗って感動しました。
仙台市の青葉区の広さに驚き、山また山の中を結んで走る電車に感激し、
また乗ってみたいです。

のいづ@新幹線MAX鉄マニアは小錦と呼ぶさんからのコメント(1998年11月17日 22時04分55秒)
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 「仙山線」といえば、作並駅に「交流電化発祥の地」の碑がありまして、旧国鉄時代に交流電化実験路線として歩んだ歴史もあります。ちなみに、松島海岸〜石巻方面を走る「仙石線」から観る海の風景も感動モノですよ?(以前は京浜東北線のおさがり車両が走ってたが、最近は改善された模様)

 青葉区がだだっぴろい原因は、政令指定都市めざすために、10年前に当時人口3万人の旧宮城町を合併したせいですが、仙台が政令都市になってトクをしたのは、合併後の大規模な公共投資でみちがえるほどに?変化した泉区(旧泉市)だけだとは、仙台の友人連中のもっぱらの話、、、、

服部 明子さんからのコメント(1998年11月17日 22時22分44秒)
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「仙石線」なのか全く知りませんが第3セクター方式を騒いでいた頃「リアス式海岸」が
見られる電車があると新聞で読んだことがあります。御存じでしたら教えて下さい。

青葉区はそれで「行けども行けども青葉区」なのですか。どうしてなのかヨソモノの私に
は不思議でした。
こういう裏技で政令都市に昇格したところなんかは流石「伊達政宗」を生んだ所って印象
で面白いです。

のいづ@生まれは三陸沿岸気仙沼市だよ!さんからのコメント(1998年11月17日 23時12分13秒)
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 第3セクターのリアス式海岸を走る列車でしたら、宮城県ではなく、岩手県の「三陸鉄道」のことでしょう?

 仙台から行くとすれば、東北新幹線の一関から、大正時代に地元政治家の利益誘導でひんまげられた「JR大船渡線」で終点の盛まで行き、そこから釜石まで走る『南リアス線』と、これまた大正時代に「サルでも乗せるのか!」と物議を醸した「JR山田線」で宮古まで行き、そこから久慈まで走る『北リアス線』があります。久慈からは青森の八戸まで未だにタブレットが健在(のはず)なJR八戸線まで、海がぞんぶんに楽しめます。

なかにしさんからのコメント(1998年11月23日 20時34分59秒)
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 仙台の写真ができましたぁ。

↓これが、広瀬川。


↓これは、修復中の仙台城本丸の石垣です。


↓本丸から見た仙台の街です。


↓博物館です。


服部 明子さんからのコメント(1998年11月23日 21時41分02秒)
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広瀬川は国の管理する1級河川なのでしょうね。コンクリートが打ち放しじゃないところが
詩情に溢れてていいです。土の土手 + 植物 + 丸みを帯びた水の流れ = 歌になりますね。

伊達家の石垣と脇坂家の石垣の比較の写真を見たことがあります。
伊達家の石垣は石がちゃんと処理してあってきちんと並べられているのに対して、脇坂家の
石垣は自然の大石を積んだだけという「素朴」といえば善意に満ちた心情的評価?ですがこ
れはモロに両家の「財力の違い」を表わしている、と非情にも書かれていました。
この記事を読んでからウチとお向かいの女優さんの家との財力の違いに目が明きました。ウ
チの石垣は積んだだけ、向こうはきちんと積んである。石垣1つとっても金持ちと貧乏人nの
差は一目瞭然なのです。

萩のお城も建物は無くて仙台のお城も建物が無かったと記憶しています。
尾張の墨俣や清洲のように無理なお城があるよりは歴史を思い出せていいのですが未だ評価の
定まらない「明治維新」が萩や仙台の消えたお城からは生々しく迫って来ます。



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