[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月22日 14時01分30秒 ) | パスワード |
花びらは、男の子の帽子にも
背負った荷物の上にも来てとまる
この部分
花びらは、男の子の帽子にも
旅人の背負った荷物の上にも来てとまる
だと思っていました。
そうか
脳内で勝手に人の話を作り変える癖は
ここから始まっていたのか。
しみじみ
花びらは、
男の子の帽子にも
男の子の背負った荷物の上にも
来てとまる
ってコトだったの?
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月22日 14時04分45秒 ) | パスワード |
旅人は、花びらの上に腰掛けて、春の山脈を眺めている
この「旅人」ってのは 男の子 のこと?
男の子が春の山脈を眺めている の?
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月22日 14時12分52秒 ) | パスワード |
本日放送された「ファミリー ヒストリー 野村萬斎」の番組で取り上げられてて驚きました。
坂本越郎は野村萬斎の母方のお祖父さまだったかな?
その先祖は永井(長田)直勝で
坂本家に養子に来たと言ってました。
それで永井荷風は従兄弟だ、と。
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月22日 14時51分24秒 ) | パスワード |
東端城
現在は安城市内
長久手合戦で池田恒興を討った長田重元の次男(実は養子?)・永井直勝の居城
現在は城山稲荷社
https://www.oshiromeguri.com/anjyou/08higashibata.html
全文はURLへ
歴史
東端城の築城は天正八年(1580)で、大浜(碧南市)の長田尚勝によるものといわれています。
ということは
長田尚勝さんは
源義朝を暗殺した長田忠致の兄上・親致の子孫で
当時、高浜・碧南・安城あたりを支配してたのか?
長田尚勝さんの弟が永井伝八郎直勝
天正十二年(1584)、尚勝の弟・永井伝八郎直勝が小牧長久手合戦において、秀吉方の武将・池田恒興を討ち、恩賞として東端城を与えられました。
この時、城主だった兄上の尚勝は大浜上之宮神社の神官となって退きました。
ここは熊野神社
長田家は代々藩主をやりながら熊野の神官でもある
東端城主となった直勝は、幡豆郡寺津村の豪族・大河内秀綱の娘『ゆり姫』を妻としました。
この側室「ゆり姫」との間に生まれたのが永井正直で
その子孫が永井荷風と野村萬斎
永井荷風の12代前の祖先が鳴尾永井家。
鳴尾は名古屋市南区の鳴尾村。
しかし翌年、ゆり姫は伝八朗直勝の不在中、根崎村(安城市)で自害してしまいます。
直勝と正妻・阿部正勝の娘との間に生まれた尚政が三島の11代前の祖先。
それからというもの伝八郎直勝は家康に従い各地を転戦、関ヶ原、大阪冬・夏両陣とも武功をあげ、元和二年(1616)常陸国に移封となり、東端城は廃城となりました。
直勝のシスター達は皆さん西三河の名家に嫁いでますね。
神谷さんとか杉浦さんとか。
直勝の母上は鈴木さんの出だし。
もともと 地縁とか血縁 なんだろうね。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月22日 14時56分30秒 ) | パスワード |
すごいハナシを見つけてしまったかも。
https://blog.goo.ne.jp/nobolook47/e/a3717d9e03cd1723a732f68d6f26a906
永井直勝の最初の妻・百合姫自害の深層を考察する。その1
長田重元の本来の実の息子は長田尚勝。
直勝は養子だとか?
[6] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月22日 15時00分49秒 ) | パスワード |
直勝の子の正直は名古屋市南区星崎に塩田を作っていて
100ヘクタールだとか
ブランド名は 前浜塩 だったそうです。
レス<5>のハナシに合いますね。
直勝の実の親は幼くして亡くなっているみたいです。
父親の長田重元は親戚、または伯父か叔父ではないかと思われます。
直勝の実の弟は豪農、豪商に成っていますし、その説も有りますので。
【 彦島で熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapah. |