[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年07月30日 12時14分00秒 ) | パスワード |
今日、NHKの番組の鳥取砂丘の話を紹介してました。
あまりにも興味深い話だったのでちょっと書いて置きます。
いろいろな疑問がちょっと解けました。
1.
戦後砂防林が出来る前は
春の嵐などで一晩で一軒家が砂に埋もれて住人が死んだなんてあったそうです。
2.
鳥取砂丘は戦中まで軍事教練に利用されてて
今でも埋もれていた当時の38銃の弾なんかが浮かび上がって来るそうです。
夏は60℃にもなる砂丘で
30kgの重装備で匍匐前進などの訓練を受けていたそうです。
熱中症も重なって、兵隊さんが頭から倒れたなんてあったそうです。
窒息死しちゃうよね。
それでなくても、この訓練に耐えた鳥取連隊はビルマなどに送られ
2500人が戦死したと言ってました。
3.
鳥取砂丘でも湧き水が出るそうです。
鳥取大学の某教授によると、湧き水の成分は「雨水」と同じだそうで
これは降った雨が砂に沁みこんで、
下にある火山灰層で止められたのが
湧き水として出て来るそうで
いつ、どこに、湧き水が出て来るかは、分からないそうです。
湧き水の出るところに水神様を祀るんだけど
湧き水の場所が変わるたびに水神様には御動座願うそうです。
笑
4.
鳥取砂丘での生物は、200種類の虫が棲んでいるそうです。
げ〜
5.
鳥取砂丘は東側が風が強過ぎ、西は比較的あんまり風が強くなく
それで砂防林は江戸時代から頑張ってやっているけれど
いくら木を植えても
例えば5000本植えても 3年後には埋没してしまって 役に立たなかったのが
戦後、新しい砂防林の造り方が研究され
まず海に近い場所に人工砂丘を造り、
これで後方のいわゆる砂丘の動きを止め、
更に人工砂丘を造って砂山を高く盛り
そこに木を植える、
ということで10年かけて砂防林を成功させたそうです。
これが成功したのは数十年前あたりだったそうです。
1960年代あたりかな?
5.
砂丘の砂の層と砂の層の間に「黒砂」くろずなと呼ばれる層があって
これはかつて砂丘が、緑の、人間の住める土地だったことを示していて
室町時代の備前焼などの生活用具が出て来ることがあるそうです。
黒い砂ということは「炭化して」黒くなった、ということで
それで砂丘が生きているのが断面を見れば分かる、と。
砂丘は砂→緑→砂→緑の世界をエンエンと繰り返して来たのが分かるそうです。
6.
砂丘でも農地にしようと昔から大変な努力をして芋などを育てようとしたけれど
砂丘の砂ではいくら水を天秤棒で運んで与えても無駄で
今は砂地で育つ「らっきょう」を育てているそうです。
で、らっきょうを育てている畑の前面に麦を植えて
砂防林の役をさせている、というのも生活の知恵として紹介していました。
7.
風紋は、細かい粒子が海からの風で飛ばされて
それが落ちた所で、もうちょっと大きい粒に当たって
大きい粒が巻き上がって落ちて、風紋を作るそうで
現在、風紋の規則性を研究中で
鳥取大学の某教授のゼミでは
学生に1人10回砂を掴んで投げさせて人工風紋を作る研究をしているけど
何セットやってもゼンゼン風紋は出来ず、学生はへたばり
某教授も自ら砂を掴んでは投げて人工の風紋を作ろうという(不毛な 笑)
努力に頑張ってました。
あはは
ゼミの学生さんに「教授、頑張って〜」なんて励まされてました。
笑
8.
現在の鳥取では砂丘に草が生え出していて
砂丘が消えていくのを惜しみ
草取りにボランティアを募集中。
笑
記憶しているのはこのあたりです。
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