[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年10月15日 01時41分29秒 ) | パスワード |
nyaoさん
お久です。
ハワイに引っ越したのでHNをちょっと変えましたから誰か分からないかもですが
旧ギャンブラーです。
ぺこり
今は橋が出来たり
高速が安くなったりで
フェリーは衰退の一途になっていますね。
でも東日本大震災でフェリーの必要性が再認識されたはずなんですが。
まさかの大災害にフェリーは物資の輸送に最適ですから
国が保護をして欲しいのですが
アメリカ軍のトモダチ作戦も今後はどうなるか分かりませんから。
nyaoさん
最近自転車の事故がすごい事になっていますから
運転?中(笑)の携帯いじりは禁止にするとか
道交法について
小学校から学習させるような運動をしてください。
[2] | nyaoさんからのコメント(2011年10月17日 21時59分05秒 ) | パスワード |
>空の青海のあをさん
彦熱で随分お世話になっておりますから覚えてますよ。
最近は戸畑・黒崎方面へ買い出しの機会が増えたことから、
個人的にはフェリーの利用頻度が増えていましたし、
二輪・自転車で山陰方面へと繰り出す面々にとっては、
それこそ経路をシュートカットできる「海上バイパス」。
今回の騒動で最も打撃を受けるのは二輪・自転車、
トンネル等の通行を制限される特殊貨物トラック・トレーラー、
それに「ミニカー」と呼ばれるコミューター用50cc車。
一度ミニカー愛好者の方々に船上で話を伺ったのですが、
コミューターとして便利な反面自動車専用道路を走れず、
またメーカーが少なく整備・保守が大変なのが悩みの種だとか。
フェリー廃止となれば関門海峡の往来が事実上不可能…?
さて「まさかの大災害」におけるフェリーの活躍を紐解くと、
フェリーを本格的かつ集中的に非常事態運用した記録は、
1940年5月下旬から6月上旬にかけて英軍が実施した、
「ダイナモ」作戦…ダンケルク撤退戦まで遡ることができます。
中小の港でも人員その他がスムーズに乗降できることから、
西方電撃戦で負け戦の空気が流れ出した直後という早い段階で、
英海軍は徴用していた英仏海峡航路用のフェリーを、
撤退作戦に備えて確保していたのだそうです。
この準備なしには1週間で30万人の将兵を撤退させることなど、
到底覚束なかったでしょう。
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年10月18日 00時54分34秒 ) | パスワード |
さすがnyaoさん
>「ダイナモ」作戦
1940年ですか。
日本では戦後、大陸や南方から数百万人にものぼる日本兵や日本人を帰国させるのに
輸送力というのを真剣に考えた、と思うのですが
今回も(笑)アメリカ軍に協力してもらって
その見返りが「おもいやり予算」でしっかり巨額をふんだくられることになりましたが(汗)
九州の原発が今後どうなるのか知りませんが
「まさかの大災害」にフェリーは必要ということ
国の保護が必要だと思うのですが。
でも!
海運業界に闇の世界が厳然と存在しているので
国家権力としては「とりあえず」出来るところから
ということで「フェリーを衰退させる」が今出来る国策なのかな?
とも思うのです。
わたくしの母方高祖父が維新後海運業を始め
(海運業などとはおこがましい。船回しというレベルだったでしょうけど。
当時の大坂・神戸・松山・川之江・高松・名古屋あたりの航路で物資を動かしていただけですから)
たぶん港湾労働者を管理する神戸の闇の世界の世話になっていたんだろうな
と今回の野球賭博や八百長事件や名古屋場所休場事件で思い至り、
青くなりました。
名古屋場所が休場になったのは
現在の神戸の闇のカシラが(本籍は大分だそうですが)元は名古屋のXX組の組長だったからだそうで
テレビに砂かぶりにいるカシラの姿が映っては
塀の中の子分を喜ばせるからイケナイと。
それで名古屋場所だった、というワケなんだ。
アメリカからの圧力もあって893をなんとかする必要に迫られ
国が動くにあたって
フェリーを取り敢えず衰退させるのか
とぼんやり考えていたところでした。
母方の海運業は
戦争中に船を沈められ、若い男は兵隊に取られ、油は回して貰えずの
開店休業状態で
戦後、結局、盛り返すことなく祖父および祖父の兄弟達は失意のうちに廃業に至りました。
子供心に、母方のゲイシャ上がりの継祖母の昔語りを思い返すと、
神戸の闇の力があそこまでになったのは
沖仲仕を束ねていたからか
と思い当たるのでした。
フェリー衰退の裏の事情の1つはこんなところでしょうか?
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年10月23日 02時56分16秒 ) | パスワード |
本当に運休になるんですねえ。
日本のような災害の多い国にはフェリーは必要なのに。
涙
以下はネットの毎日新聞の記事のコピペ。
全文はそちらでどうぞ。
関門海峡フェリー:来月末に運休 超大型車、越せぬ関門 九州・本州間の物流に打撃
橋とトンネルは通行制限 北九州−下関の迂回路、フェリー来月末に運休
北九州市と山口県下関市を結ぶ関門海峡フェリー(山口県下関市)が11月末で運行休止することに伴い、本州・九州間の物流に影響が出そうだ。高速道路の関門橋と、海底トンネルの関門トンネルには通行制限があり、主に全長30メートル、総重量35トン以上のトレーラーやクレーン車などは通れないためだ。超大型車は行き場を失うが、管理する国土交通省、西日本高速道路(大阪市)とも、規制緩和は難しいという。【高橋克哉】
フェリーは高速道のETC割引制度のあおりを受け、昨年度の利用台数16万8000台は05年度の約半数。燃油高騰も経営に追い打ちをかけた。乗船する大型車は年延べ約1000台で、同フェリーの南隆美社長は「民間の努力で運行継続は困難だった」と話す。
13日の休止発表後、関門橋を管理する西日本高速道路九州支社には連日、運送業者から規制緩和の要望、問い合わせがあるという。だが同社は「法改正が伴う」。国交省北九州国道事務所も「関門トンネルの構造上、緩和は難しい。運送業界で善後策を考えてもらうしかない」と話す。
[5] | nyaoさんからのコメント(2011年11月01日 22時38分59秒 ) | パスワード |
>主に全長30メートル、総重量35トン以上のトレーラーやクレーン車などは通れない
大局的にはやはりこれが最大の問題だと思います。
フェリーがあれば設備の少ない港湾でも作業は簡単ですが、
消えてしまうと特殊貨物の運び方がとても難儀なことに。
バージ(はしけ)だと積み降ろしが大変だし入港もしんどいし、
狭い海域でのピストン輸送なんて無理。
かといって「算盤のオバケ」ことユニットドーリーを使うなら、
1000トン級のプラントでもない限り勿体ないし、
デリッククレーンなど船または港湾の仕掛けが大きくなるし、
そこから先の積み替えがまた難儀。
結局フェリーによるロールオン・ロールオフが手っ取り早いわけです。
んでもって日本全国全てのフェリーが閑古鳥かというとそうでもなく、
「しまなみ海道」起点の尾道駅と対岸の向島を結ぶ小型フェリーは、
自転車・歩行者に特化し運賃も自転車込み100円前後と抑えており、
それなりに繁盛していたりします。
実際に乗った船の姿はまさしく「ふく彦」のミニチュア版でして、
概ね自転車30台程度でほぼ満車になるのですが、
この大きさが「しまなみ詣で」の巡礼者には丁度良いらしく、
船上では方々からのサイクリストが色々と話し込んでおりました。
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