[1] | ウエストさんからのコメント(2004年06月15日 22時11分33秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年06月15日 22時12分44秒
[2] | ウエストさんからのコメント(2004年06月15日 22時15分25秒 ) | パスワード |
高杉晋作ファンさん、はじめまして。
わたしもここBBSに下宿している長州人です。
東行庵などのアクセスはご存知ですか?
正直申し上げて、幕末の事しかわかりませんが
ファンの方々が何人かいらしゃっいますよ。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月16日 07時09分31秒 ) | パスワード |
書き直しです:
司馬遼太郎の作品は沢山読みました。
でも引越前の大掃除で全て処分してしまったので確認出来ないのですが
「世に棲む日日」では?
と思います。
日本国は高天原より始まりイザナギ・イザナミの2神が・・・・云々かんぬん・・・・
と古事記または神皇正統記を英仏米蘭四カ国相手にエンエンつらつら披露したとか?
でも、このお話は伊藤公のおハナシだそうで実際には確認が取れてない話とも聞いてます。
つまりハナシの基にあるのは
伊藤公の「脳力の高さ」(交渉能力の凄さ+政治能力の凄さ)を表している、って。
伊藤公は英語をきちんと勉強したわけではなく、通訳出来るほどの英語力や通訳力を持ってたわけじゃないけど
頭の良さは天下一品。
つまり高杉先生を凄い人だったという根底に流れるのが「自分の凄さ」という自己アピールだ、って。
私がもう1つ記憶している司馬遼太郎がらみの彦島観に中大兄皇子(天智天皇)が出て来るんですが
白村江の戦いで日本が敗れて
天智天皇は大宰府に水城を築き、さらにその最終防衛に彦島に砦を、という話です。
663年8月の終り、唐・新羅連合軍によって滅ぼされた百済を復興させるため
最後の戦いが白村江で起き日本が敗れた
すわ!日本の大事勃発!
司馬遼太郎にとって彦島の存在とは日本の神代の時代から絶対外国には割譲できない重要拠点という位置付けがあるんじゃないかな?と。
高杉晋作の彦島租借絶対反対話には
どこまでが司馬遼太郎の創作なのか?伊藤博文の自己顕示なのか?はたまた実際に高杉晋作が神の国発言を列強4カ国に対して開陳したのか?
場所が「日子島」だけに気に掛かります。
[9] | なかにし@お世話係さんからのコメント(2004年06月16日 22時23分47秒 ) | パスワード |
高杉晋作ファンさん、みなさん、こんばんは。
暇潰しのギャンブラーさんの書き込みの一部にあるとおり「伊藤公のおハナシだそうで実際には確認が取れてない話」だけれど郷土史家の先生方の共通見解として高杉晋作がご存じの通りの演説をぶったことは史実である・・・というのが結論だと思います。
出典はないはずですし、議事録にも記録されていないと聞いています。ただ、議事録を私自身が確認していないので定かではありませんが。
源平の合戦において吉川英治の小説があたかも史実のように広まっていることと同様に、高杉晋作においては司馬遼太郎さんの世界が「事実上の史実」なのかもしれません。
[10] | 高杉晋作ファンさんからのコメント(2004年06月16日 23時49分05秒 ) | パスワード |
皆さん、いろいろとお教え頂きありがとうございます!
ここに書き込みさせて頂いて本当に良かったです。
こんなに博学の方がたくさんいらっしゃるとは!
暇潰しのギャンブラーさんのご指摘通り「世に棲む日日」
を読んで以来、長州のことが知りたくなってしまいました。
司馬さんがお書きになったことがどこまで史実といえるのか
あれこれ調べていて上のような疑問にぶち当たりました。
出典がないとしたら少し残念ですが、
天智天皇の話もおもしろそうですし、しばらく彦島関係
の事をもっと調べようと思います。もちろん、近いうちに
実際に見に行こうと思っています。
本当に皆さんありがとうございます。歴史が楽しくなりました。
また何かわからないことがあったら教えてくださいね!
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月17日 02時56分28秒 ) | パスワード |
高杉晋作ファンさん
司馬遼太郎は凄い人ですよ。
私は司馬遼太郎をたくさん読んだお蔭で受け売りだけどアメリカでデカい面やってられます。
もの凄い勉強をしてる人だと思います。
言語学者としても軍人としても。
また彦島は不思議なパワーのある島だというのを私自身が納得してます。
古代からそういうパワーが知られていたと思います。
黄泉の国への入り口だったとか古代文字とかここのサイトで勉強なさってください。
そして彦島のパワーを実体験なさってください。
なかにし@お世話係さんの書き込みのように「郷土史家の先生方の共通見解として高杉晋作がご存じの通りの演説をぶったことは史実である」これで良いと思います。
「高杉晋作伝説」の1つで良いと思います。
幕末にいろいろな人が彗星のように現れ消えた
高杉晋作という人もその1人。
伝説は多い方が良いです。
良家に生まれた天才が身体を壊して若くして亡くなった、あの人がもし生きていたら?
と一生自体が伝説になる。
「神の国発言の真贋を問う」というのはヤボかも。。。
[12] | がねまるさんからのコメント(2004年06月18日 20時21分25秒 ) | パスワード |
出遅れましたが、晋作ファンで彦島人です。
万葉集の引用については、確認は取れませんでしたが、作家の冨成 博さんが、「高杉晋作」(発行・長周新聞社)を書いています。そのなかで、講和談判をめぐって、詳しく記述しています。冨成さんは、史料として、「東行先生遺文」(東行先生五十年祭記念会)、堀哲三郎著「高杉晋作全集」(三一書房)、奈良本辰也、村田峰次郎の「高杉晋作」伝を挙げておられます。
意気に感じたのは、談判の感想をアーネスト・サトウ(ERNEST SATOW)が、次のように漏らしているとして「私は驚嘆した。かれら長洲の使者の目的は、一にその意気の沮喪していないことをわれわれに知らしめることにあり、こちらの要求があまりに法外なときは、屈服するよりむしろ戦うことを望んでいたからである」「長洲人を破ってからは、われわれはかえって彼らが好きになり尊敬の念も起こったが、一方大君(将軍)の家臣に対しては、弱いくせに表裏があるので嫌悪の情が動き始めた」などを挙げられていることです。
参考にしてくださいませ。
【 彦島で熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.20 Rapha. |