[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年11月08日 10時05分22秒 ) | パスワード |
ベントレーさんなんて良い名字ですね。
イタリア人だとフェラーリさんって名字があるけど。
>乗船していた疎開児童の大半が犠牲となったこと。このくだりを読んだ後、しばらく絶句してしまいました。
気の毒ですよね。
戦争は残酷です。
今日はちょっとアメリカ軍のオフィスに用があって行ってきたんですが
担当の女性が間に合わない感じで
(こんなだもの、誤爆する筈だ)
と夫と話してたんですよ。
[2] | nyaoさんからのコメント(2003年11月08日 14時14分52秒 ) | パスワード |
>ベントレーさんなんて良い名字ですね。
>イタリア人だとフェラーリさんって名字があるけど。
作曲家のクライスラーとか大統領のフォードとか、
探せばきりがないかも(笑)
第二次大戦で英国海軍がしでかした大失敗としては、
1:戦艦ロイヤル・オーク、オークニー諸島の本拠地で潜水艦に撃沈される(1939年9月)
2:巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、北大西洋でドイツ戦艦ビスマルクに撃沈される(1941年5月)
3:ドイツの高速戦艦2隻と巡洋艦1隻が英仏海峡を突破!(1942年2月)
4:ソ連向け船団PQ17、北極海で「置き去り」!(1942年7月)
といったところが挙げられますが、『輸送船入門』でクローズアップされたのはPQ17船団「置き去り」事件です。支援のため随伴していた主力艦隊の部隊が、「戦艦ティルピッツが動いた!」の情報で怯えた本国の司令部から撤収命令を受けたため、置き去りにされた船団と直援の小さな艦艇は潜水艦の袋叩きに遭い、無事に着いた輸送船は38隻中わずか11隻。
PQ17は英海軍が護衛した船団ではもっとも壊滅に近い被害だったわけですが、さすがにその後は持ち直し、日本のように文字通り全滅になることはありませんでした。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年11月08日 23時44分07秒 ) | パスワード |
>巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、北大西洋でドイツ戦艦ビスマルクに撃沈される(1941年5月)
プリンス・オブ・ウエールズ(皇太子・王位継承者の意味)が撃沈されてはいけませんね。
ドイツも初めは調子が良かったんですねえ。
そしてヨーロッパ戦線でも見られる英国のていたらく。
やっぱりアメリカのお蔭というのが大きかったんだろうな〜
などと。。。
>4:ソ連向け船団PQ17、北極海で「置き去り」!(1942年7月)
こういう事ってホントに起きるんですねえ。
私の職場でも権力闘争に巻き込まれてボヤボヤしてると「置き去り」されて大変でしたよ。
規模は違うけど。
やっぱり人間関係
兵法はしっかり学んでおかないと
過ちを繰り返しますね。
[4] | nyaoさんからのコメント(2003年11月10日 03時17分06秒 ) | パスワード |
訂正です。
<英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズ>
ビスマルクとの戦闘では沈んでませんでした。最終的に沈んだのは12月、マレー沖海戦で日本海軍の飛行機に沈められたのですが、このときは沈没寸前だったということで…。いかんいかん、関連する本を15冊も読んでいながら間違えるとは(汗)
そいじゃお茶濁しついでにもう1冊!またまた海軍モノですが(笑)
『太平洋戦争 日本海軍 戦場の教訓』
半藤一利+秦郁彦+横山恵一、PHP出版、2003年(文庫本)
*原著は同社より2001年刊
なんと座談会形式の歴史書でございます。メインは歴史作家の半藤氏と歴史学者の秦氏ですが、出てくるエピソード自体がとんでもない話ばかり。
特に目を引いたのは、前述のマレー沖海戦は決して日本側の楽勝だったわけではないということです。2隻の戦艦に攻撃した87機中、撃墜された機数こそ3機だけでしたが、他に被弾した機体が31機もありました。ついでに言うと随伴した巡洋戦艦レパルスは、その後大活躍した姉妹艦レナウンと比べて対空火器をあまり備えていなかったのです。もし極東に回航された英海軍の戦艦群が、キング・オブ・ジョージ5世とレナウンのコンビだったら、結果がまるで違ったかもしれません。ちなみに対談でも、仮に空母インドミタブルが座礁せず戦闘に参加していたら、日本側に勝ち目はなかったかもしれないと言っております。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年11月10日 05時01分52秒 ) | パスワード |
>> <英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズ>
>> ビスマルクとの戦闘では沈んでませんでした。
>> 最終的に沈んだのは12月、マレー沖海戦で日本海軍の飛行機に沈められたのです
日本海軍に沈められたのですか。
それじゃもっとショックだったでしょうね。
>> マレー沖海戦は決して日本側の楽勝だったわけではないということです。
日本は決して快進撃というわけでもなかったのですねえ。
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