[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月02日 13時14分16秒 ) | パスワード |
>輸送船「阿波丸」を米海軍の潜水艦が沈めてしまったのだ!
さわりの部分をお知らせ下さいね。
で〜もね〜
アメリカ人のウッカリから起きたミスかしら?
[2] | nyaoさんからのコメント(2002年11月05日 23時19分19秒 ) | パスワード |
3連休で結構動き回ってたので亀レスになりかかってますが…(汗)
『阿波丸撃沈』についてちょっとだけストーリーをご紹介。
日米とも互いの捕虜や移民の取り扱いについて不満を持っていたので、
その不満を解消すべく救援物資などを相互に提供しようという協定が、
太平洋戦争の真っ最中に取り決められて実際に船で運ばれていました。
日本側は捕虜を収容している地域に救援物資を運ぶついでに、
戦争に必要な物資をあちこち配達して回っていたのですが、
これは厳密に言うと国際法上の安全航行権を失いかねないルール違反。
しかし米国側は多少の物資輸送には目をつぶり黙認していました。
最初のうち日本側の船は比較的低速の船だったのですが、
1945年2月に南方へ派遣された「阿波丸」は当時最も優秀な船であり、
満載状態でも18ノット(時速33km)と当時の標準の倍の速度で、
1万重量トンの貨物を輸送できるという軍用補給艦並みの性能でした。
当時は米海軍・潜水艦部隊による通称破壊作戦が最盛期を迎えており、
悪天候に耐えるだけの立派な輸送船は数えるほどしか残っておらず、
確実な救援物資輸送(+戦争用の物資輸送)を行うためには、
この虎の子の阿波丸を通常の輸送業務から引き抜かざるを得ない有様。
かくして往路インドネシアまで無事に着いた阿波丸でしたが、
復路の東シナ海は沖縄上陸作戦の直前で米海軍の潜水艦も神経ぴりぴり。
阿波丸の復路については一応ニミッツ提督(太平洋艦隊のボス)から、
ロックウッド提督(潜水艦部隊のボス)を通じて全ての潜水艦に、
「間違っても阿波丸は沈めるな」と厳しいお達しが出ていたのですが、
そのお達しが全ての艦長にきちんと伝わったのかどうか…。
なお原著のタイトルは以下のとおり。
Ghost of War
The Sinking of the Awa maru and Japanese-American Relations,1945-1995
(戦争の幽霊…阿波丸沈没と1945〜1995年の日米関係)
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月07日 09時50分01秒 ) | パスワード |
>そのお達しが全ての艦長にきちんと伝わったのかどうか … 。
そうでしたか。
せっかく見逃すようにと命令が出てたのに。
悲しいですね。
[4] | nyaoさんからのコメント(2002年11月18日 23時35分22秒 ) | パスワード |
現在の自宅付近の気温1℃…氷点下まであと少し。
しかし私の読書熱はヒートアップしてます。
ノンフィクション戦記ばかり3連発!
『八甲田山から還ってきた男』(文庫本)
●・木勉・著、文藝春秋、1990年*ハードカバーは1986年
「八甲田山の悲劇」は映画や小説になって結構有名ですが、
同じ時期に準備万端整えて弘前市から八甲田山を越えて、
ちゃんと青森市まで全員戻った部隊があることをご存知でしょうか?
その部隊の指揮官だった福島泰蔵大尉の甥が、
なんと作詞家の・木勉さん(1913〜1988)だったとは…。
・木さんは作詞活動のかたわらで「偉大なる伯父上」の研究を続け、
その集大成というべき作品がこの著作です。
『八甲田山死の彷徨』よりこの著作の方が文献の価値は高いですね。
この作品と次に紹介する作品をセットで読むと、
日露戦争における日本陸軍の実情が手に取るようにわかるはずです。
『秋山好古』(文庫本)
●野村敏雄・著、PHP出版、2002年
日露戦争で日本の騎兵部隊を指揮してコサック騎兵と渡り合い、
「日本騎兵の父」と称された秋山好古については何冊か伝記が出ていますが、
この本はひとつの点を除き彼の言行を精密に描写しています。
その唯一の間違いとは「首山堡の戦い」において間違った選択を行ったのが、
第二軍の首脳部であったと断定している点です。
事実は上級司令部である満州軍総司令部の判断ミスだったのですが、
『坂の上の雲』連載当時の司馬遼太郎氏も同様の間違いを犯し、
文庫本第8巻にて訂正が必要であったと懺悔してますが、
野村氏は「首山堡の戦い」のくだりを叙述するに当たって、
『坂の上の雲』ハードカバー版を丸写ししたのでしょうか。
ともあれ以下のことだけは強調しておくべきでしょう。
秋山好古が日露戦争に際して率いていた騎兵部隊が、
量はともかく質において当時世界最強の機動兵力であったということを。
『巡洋艦インディアナポリス撃沈』(文庫本)
●リチャード・ニューカム著、平賀秀明・訳、ソニーマガジンズ、2002年
*原著は1958年、米国にて出版
「阿波丸撃沈」が海運史上最大の悲劇とするならば、
こちらは米海軍史上最大の悲劇&スキャンダル。
事の始まりは太平洋戦争の終戦直前に原爆の部品をテニアン島へと届けた、
巡洋艦インディアナポリスがフィリピンへと向かう途中で撃沈されたこと。
ところが米海軍がこの艦の一大事を知ったのは沈没してから3日後!
かくして60年近く続く一大論争の種が生まれたのであった…。
米国での発行の翌年には邦訳版が発行されているほか、
沈めた側である潜水艦「イ58」の艦長だった橋本以行(もちつら)氏も、
『伊58潜帰投せり』を1952年に著作しているなど、
インディアナポリスは米海軍の巡洋艦にしては珍しく日本で有名なのです。
田宮模型はインディアナポリスもイ58も模型にしてるのですが、
ペンサコーラとかアトランタとかは出してません。<マイナーだから?>
興味ある方は書店もしくは模型店へどうぞ。
[5] | nyaoさんからのコメント(2002年11月18日 23時37分03秒 ) | パスワード |
ありゃりゃ…『八甲田山〜』の著者は高木勉さんなのですが、
文字化けしちゃってます。(汗)
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月19日 01時16分35秒 ) | パスワード |
日露戦争は遠いです。
ニコライエフスク?の虐殺をちらっと覚えてるあたり。
あとは乃木さんとか東郷さんとか
とにかく日本がよく勝てたと。
『八甲田山死の彷徨』
これは読みました。
今年の1月23日が100周年でしたっけ?
映画はテレビ放送で見ました。
200人近くが遭難したのでしたよね。
徳島隊がほぼ全滅でしたっけ?
[7] | nyaoさんからのコメント(2002年11月19日 02時00分54秒 ) | パスワード |
『八甲田山死の彷徨』では部隊名など一部仮名になっているのと、
いまいち具体的な資料の紹介が少なかったと思います。
成功した弘前連隊・福島隊は2年前から基礎研究を始め、
1年前には岩木山(津軽富士)で2泊3日の冬山行軍演習、
さらに半年前には本番とほぼ同じコースを炎天下のもと行軍演習。
いわば用意周到に計画を進めていたのです。
結果は38人中1名は早退したものの残りは全員帰還。
ところが「死の彷徨」をやる破目になった青森連隊・山口隊は、
天気のいい日に近場で訓練したら結果がよかったので、
勢いで八甲田山の山腹まで行こうとしていたのですが、
福島隊に比べると準備不足のうえに悪天候をなめてかかり、
挙げ句判断ミスを連発してしまったという次第。
210名中199名が凍死して残りも大半が凍傷のため手足切断。
事実上全滅に近い惨状をさらけ出したのです。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月19日 08時08分59秒 ) | パスワード |
>210名中199名が凍死して残りも大半が凍傷のため手足切断。
>事実上全滅に近い惨状をさらけ出したのです。
気の毒ですね。
上に立つ人の判断ミスで命を落とした兵隊達は気の毒。
反対する訳にはいかないし。
山口隊でしたか。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2002年12月01日 16時49分00秒 ) | パスワード |
今日の「報道特集」で
日本の補給艦は湖の名が付けられている
と紹介してました。
それは「水をたたえる」という事からだそうです。
[10] | ころんさんからのコメント(2002年12月02日 01時53分22秒 ) | パスワード |
最近こんな本買いました。(ネタバレにつき、要注意。おまけに長い(笑))
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「停電の夜に」ジュンパ・ラヒリ
結婚3年目のあまりうまくいってない夫婦。そのきっかけは1年前の死産。
その大切な時、夫は仕事の都合で遠方にいて、知らせを聞いてかけつけたけど間に合わなかったこと、楽しみにしていた子供が亡くなったことが、うまくいかなくなった原因。二人は無理して会話するのがいやで、なるべく一緒にいる時間を作らないように、それとなく避けて生活をしている状態。食事も仕事にかこつけて、別の部屋でとっている状態。
ある日8時から1時間5日間ほど停電になるという電力会社からの通知。
そして最初の停電の夜、妻が「我が家では停電の時、ろうそくの炎でお互いの秘密を打ち明け合っていた」という話をして、それを実践することに。
1日目、2日目・・・・と他愛もないうち明け話は続き、それでもそれまで特に会話もなく、食事も一緒じゃなかったのに、少しずついい関係に戻っている感じがして、その停電のうち明け話をやがて楽しみにするようになる夫。
最後の停電の夜になるその日、電力会社から「予定よりも作業が早く終わったので、もう停電はない」との連絡。楽しみな気持ちになっていたので、がっかりしていたところに妻から「このまま一緒に暮らしていてもしょうがないから、別に部屋を借りることにした」とうち明けられる。
これまでいい感じに戻っていると思っていた夫は、それが妻の別居をうちあける為の準備だったと知る。
そこで、最後のうち明け話をする夫。それまでのうち明け話は、学生の時カンニングをしてしまった・・・など、小さな出来事だったんだけど、夫が最後にうち明けたのは。。。。
妻が絶対に聞きたくないと言っていたこと。だから一生話すまいと決めていたこと。それは死んだ子供の性別。
夫が駆けつけた時にはすでに亡くなっていたけれど、妻が眠っている間に、夫はその死んだ子供の供養として、最後に抱いてあげ、それがかわいい男の子だったことをうち明ける。
そして二人は一緒に泣く。
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というお話。
[11] | ころんさんからのコメント(2002年12月02日 02時01分45秒 ) | パスワード |
さて、この「停電の夜に」ってのは、2000年ピュリツァー賞やら、Oヘンリー賞やら、ヘミングウェイ賞やらとってるらしいです。
ジュンパ・ラヒリさんは新人さんで、インド系の女性作家さんだそうな。
短編集で、他にも数編が書かれているんですが、
題名の「停電の夜に」も、「二人は泣いた・・・」で終わるんです。
最後にどうして夫はそんなうち明け話をしたのか、
その後二人がどうなったのか、
そういうことははっきりわからない。
それは読み手の受け止め方次第・・・って感じ。
どのお話も、とても日常的で、情景が想像出来るような美しさがあって・・・美しい・・・というか品がいい・・・というか。
で、どっぷりと落ち込むってほど重くなく、でもなんとなく考えさせられる・・・
ちょっと、なんか悲しい。なんか淋しい。
そんな本でした。
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2002年12月02日 05時12分42秒 ) | パスワード |
>ちょっと、なんか悲しい。なんか淋しい。
>そんな本でした。
私も上記の書き込みだけで泣いてしまいました。
我が家の両親の友人の家庭で
1人息子がベトナム戦争に徴兵されて
戦死してしまいました。
それまでは裕福で幸せで人も羨むいわゆる恵まれた家庭だったのに
息子の死をきっかけに離婚になってしまいました。
私には理解不可能でした。
息子が戦死したら夫婦をもっと、もっと近付けるのかと思ってましたが
この御夫婦の場合は逆でした。
ころんさんお書きの夫婦はどうしたのでしょうね?
[13] | ころんさんからのコメント(2002年12月02日 21時53分10秒 ) | パスワード |
あちゃ、ごめんなさいね〜>nyaoさん
なんかクラいスレッドにしてしまったようで。
>息子が戦死したら夫婦をもっと、もっと近付けるのかと思ってましたが
この御夫婦の場合は逆でした。
共に乗り越えよう・・・と考える夫婦と、
一緒にいること自体が思い出してしまってつらいと考える夫婦と
いるんでしょうね。どちらのパターンも。
亡くなった息子さんとしては、やっぱり共に乗り越えて欲しかったでしょうにね。
でもそのご夫婦も、そんなことは百も承知で、
それでもうまくは行かなかった・・・んでしょうね。
人間ってかなし〜なぁ・・・と思います。
いか〜〜〜ん!今月は楽しい本を読もう!(笑)
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2002年12月02日 23時24分54秒 ) | パスワード |
良い話題だったと思いますよ、ころんさん
ころんさんのお話で
我が家の義父母の友人夫婦の離婚がやっと理解出来ました。
なんで息子の死が離婚に繋がるの?と私には理解不可能だったのです。
岡田由希子の御両親も離婚なさいました。
この時も理解出来なかったです。
そう言えば夫の母親の介護をしていた嫁が義母が亡くなった途端に離婚した
というお話も聞いた事がありましたっけ。
人間って悲しいですね。
でも、そういう悲しい選択の裏がちょっと分かったと思います。
[15] | ころんさんからのコメント(2002年12月03日 00時02分03秒 ) | パスワード |
>良い話題だったと思いますよ、ころんさん
そ、そうっすかぁ〜〜?(ぽりぽり)
きっとね。
どういう道を選択するにしても、いっぱい傷ついて、
悲しんで、悔やんで、悩んで、泣いてる・・・んだと思います。
それでも、それまで愛してた人と、これ以上は一緒にいられないという選択しか
出来ない・・・そうせざるを得ない・・・っていうのが。
そういうとこが人間って悲しいなぁ・・・と思うんですよね。
あは。こういうのってうまく伝えられないや(涙)。
でも、そうして選んだ悲しい選択であっても、
それが真剣に考えて選んだ道であったならば
その方達のその後の道が幸せでありますように・・・って思います。
ん〜〜・・・なんかしめっぽいぞ。私のキャラじゃない気が。。。(笑)
[16] | おっちゃんさんからのコメント(2002年12月03日 08時52分42秒 ) | パスワード |
JRのダイヤ改正があったので、
久々に時刻表を買いました。
インターネットで便利に調べられる現在ですが、
やっぱ、いいですね。本の時刻表。
かえでちゃんと一緒に旅しちゃいました(^^)
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