[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月04日 20時27分19秒 ) | パスワード |
映画にはチトうるさいNEOKIさん
これは名作ですね。
古い古い作品ですね。
昔々テレビで見た感じの題名ですが←ホント!戦争前じゃないわよ!
内容は100%覚えてないです。
寝る子さん宅はお父さまご同伴なんていかがでしょう?
[2] | キネマイマジンさんからのコメント(2002年10月07日 09時57分31秒 ) | パスワード |
>これは名作ですね。
古い古い作品ですね。
淀川さんかと思った(笑)。
キネマイマジンは古い映画を継続的に上映してます。「昔、観たよ。もういちどみたかった」という年輩の方にたいへん喜ばれておりまして、自称「高齢者文化福祉事業」です(笑)。もちろん若い人も古い映画を楽しんでくれるといいなぁと思ってます。
今回上映した「大いなる幻影」は、今月、DVDとして発売されるというはなしも聞いています。
昨日は雨の中にもかかわらず、足をお運びいただきましたみなさま、ありがとうございました。
キネマイマジン代表 NEOKI
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月07日 10時15分28秒 ) | パスワード |
>自称「高齢者文化福祉事業」です。
昔見た白黒の「無防備都市」とか「会議は踊る」「アッシャー家の崩壊」とか
「高齢者文化福祉事業」でいいから見たいですね。
遠くで行けないのがツライけど。
[4] | 寝る子さんからのコメント(2002年10月07日 14時49分27秒 ) | パスワード |
行きたかったんですけどね・・・^^;
うちの父がこともあろうに私たちが知らないうちに、
木を切ろうと梯子に登って落ちちゃいまして。
まったく元気の良すぎる80代ってのも困ったもんです(汗)
どさっと言う音と悲鳴を聞いて駆けつけたら、目を閉じて動かないので
一瞬どきっとしましたが(剪定鋏がお腹のすぐ横に落ちてました)
長靴の上から鋏の先がちょっと刺さったのと、頭、肩のすり傷位ですみました。
キネマイジンさん、また素敵な映画をご紹介下さいね。
>昔見た白黒の「無防備都市」とか「会議は踊る」「アッシャー家の崩壊」とか
いいですねぇ。「オーケストラの少女」とか「血と砂」なんかも観たいなぁ。
そうそう、木から落ちたうちの父も1度だけ戦争映画で出演したんですって。
船とともに沈む役だそうですが(笑)
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月07日 22時56分55秒 ) | パスワード |
>船とともに沈む役だそうですが(笑)
寝る子さん
お父さまがお元気なモトはここで1回生まれ変わってるからでしょうか?
ご本人のご気分はまだ40代ぐらいかもですね。
[6] | 寝る子さんからのコメント(2002年10月08日 07時59分57秒 ) | パスワード |
あはは。
これ、第二次世界大戦で陸軍の船舶砲兵部隊にいた父が、
戦意高揚のための映画を作ることになり(当時はそんなものだったらしいです)
抜擢されて出たらしいんですよ。
大映の「海の虎」という映画らしいんですけど、
フィルムは焼失してしまったみたいで、私は観ていないんですが。
この映画で映画スターと共演出来た上に、監督から「女殺しの目をしてるねぇ」
といわれたとかいうのが自慢らしいです(笑)
誰も知らないので好きなこといってらぁ、という感じですけどね。
その後戦況が厳しくなり、
父はこの映画と同じように太平洋で沈むわけですが、
生命力が強いのか、何かの力に助けられたのか、
殆どの方が亡くなられたのに2日以上漂流して救助されたとのこと。
>お父さまがお元気なモトはここで1回生まれ変わってるからでしょうか?
何度も生まれ変わるようですよ^^
相変わらず昨日もうちで、娘のおかずを横からちょっかい出して隠したりして
怒られておりました・・・(^-^;
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 08時42分40秒 ) | パスワード |
>監督から「女殺しの目をしてるねぇ」といわれたとかいうのが自慢らしいです(笑)
これは自慢ですよ。
オトコとしては言われたい。
(笑)
残念ですねえ。
当時では田舎の倉にテープやCDで残ってるというわけにいきませんから。
確かに生命力強そうですね。
この間もサルモネラに打ち勝ったばかりですし。
[8] | キネマイマジンさんからのコメント(2002年10月08日 09時01分56秒 ) | パスワード |
寝る子さん・明子姉さんへ
お父さんのお話は楽しかったです。女殺しの目、ですか。
「海の虎」という映画のことは何も知りませんでした。いつか詳しく調べてみます。
「オーケストラの少女」は一昨年に上映しました。「会議は踊る」はいつか上映したいリストに入っています。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 09時34分51秒 ) | パスワード |
検索したらありましたよ!
海の虎
製作=大映
1945.02.08 紅系
8巻 1,943m 71分 白黒
製作 ................三浦信夫
監督 ................春原政久 伊賀山正徳
脚本 ................北村勉
撮影 ................高橋通夫 相坂繰一
音楽 ................横田昌久
美術 ................仲美喜雄
録音 ................岩間久政
出演 ................小杉勇 月丘夢路 若原雅夫 杉村春子 石黒達也 小松原重政
[11] | 寝る子さんからのコメント(2002年10月09日 07時28分54秒 ) | パスワード |
ありがとうございました。
娘である私が早く検索するべきでしたね(笑)
昨日はこの話で父が喜んで、食事の時に懐かしい話を沢山してくれました。
菅原謙二さんがニューフェイスで、この作品が初めての映画出演だったとのこと。
父の部下役だったそうです・・・お気の毒にね^^
「卵と私」「或る夜の出来事」なんていうモノクロ映画も大好きでした。
昨日は映画好きの両親が古い映画の話で盛り上がってもう大変。
名前が出てこないので、「あの〜なんとかいう〜」「そそ、あれよ、あれ」
などと、こそあど言葉でず〜っと話してたので疲れました。
映画大好きなこんな女に誰がした〜♪(ふるっ。)というのは、
彼等の責任だったりするのですよ。
・・・責任転嫁・・・(^-^;
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月09日 09時06分58秒 ) | パスワード |
>「卵と私」
一瞬お父さまの第2作だったのかしらと思ってしまいましたよ。
>「或る夜の出来事」
題名だけは知ってます。
意味深ですね。
[13] | キネマイマジンさんからのコメント(2002年10月17日 09時16分30秒 ) | パスワード |
「海の虎」についてやっとしらべがつきましたよ!!(少しですから、威張るほどではないが)。『帝国の銀幕』という戦前日本の映画史についての本が言及してました。
弾薬を積んだベニヤ板製の船に乗って敵艦船に体当たりするための訓練をする若者たちを描いた映画、らしいです。45年2月ですか。翌月の東京大空襲でフィルムは焼けてしまったんでしょうね。いくつかの映画データベースをあたったんですが、これ以上はわかりませんでした。こんどいつか、古いキネ旬なんかにもあたってみます。
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月17日 11時20分56秒 ) | パスワード |
べ・・・ベニヤ板の船ですか・・・
「肉弾3勇士」なんて思い出してしまいました。
私って幾つ?
[15] | 寝る子さんからのコメント(2002年10月18日 07時27分06秒 ) | パスワード |
キネマイジンさん、お調べいただいて本当にありがとうございました!
>弾薬を積んだベニヤ板製の船に乗って敵艦船に体当たりするための訓練をする若者>たちを描いた映画、らしいです
ストーリーのなかのエピソードだと父は嬉しそうに話してくれてました。
詳しい話は専門的なので(よく覚えていると思う・・・^^;)
聞いてて、ほぉ〜っていう感じだったんですけれど、
人間魚雷みたいなものかと尋ねましたら、
それより爆発する時間が短い爆弾を積んでぶつかるそうで・・・。
そういう話ってあったんですねぇ。
大変喜んでおりまして、
懐かしそうに語る父を見てると私まで嬉しくなってしまいました。
本当にありがとうございました♪
[16] | 稲垣 豊郎さんからのコメント(2005年08月09日 10時23分58秒 ) | パスワード |
映画「海の虎」は今月初亡くなった姉に連れられて横浜の封切館へ見に行きました。
13年前亡くなった次兄がこの特攻隊部隊に配属されていて、映画のエキストラで出演していたからです。
広島近くの島に居た為原爆被災直後の復旧整理に駆り出され、戦後結婚する時2次放射能後遺症が出ないか随分心配してました。
当時満7歳だったと思いますので、記憶に有るのは波しぶきを浴びて猛スピードで走る艇の様子だけです。
偶々良く面倒を見てくれた姉を思い出しながら、この映画の事を検索していて投稿を
見つけ驚きと深い感銘を受けてます。
記事からすると「寝る子さん」の御父君と次兄とは同じ部隊に配属されていたのでは
ないでしょうか。
義姉が東京におりますので伝えておきます。
2005年8月9日 大阪府枚方市東山2−3−404 稲垣豊郎
[17] | 寝る子さんからのコメント(2005年08月10日 13時35分03秒 ) | パスワード |
稲垣さん、ありがとうございました。
このスレッドが上がった2002年はまだ元気いっぱいの父でしたが、
今年の春、肝臓がンでこの世を去ってしまいました。
家族でずっと見守ってきた中での、穏やかな最後でした。
うちの父も原爆投下時広島におりまして、
たまたま仕事で地下にいたとのことですが、
もの凄い衝撃と、窓から見たキノコ雲は生涯忘れることはなかったようです。
すぐ軍人として市内に飛び出し、復旧整理に連日無我夢中で働いたようです。
一時は白血球が異常値を示してかなり体調の悪いこともあったようですが、
84歳までみなさんの分まで生かして頂いたように私は思っております。
父が亡くなりましたので部隊名は今はわかりませんが、
きっと同じところに配属されておられたのかも知れませんね。
戦後60年。
直接には存じませんが、こういう時代が過去あったこと。
その時の方々のお陰で今私たちがこうしていられること。
忘れずに居たいと思っています。
父から聞いた広島の惨状は、高校生の私の娘へ。
願わくば娘からまた次の世代へと語り継がれることを願っています。
今年は特別な年になりました。
亡くなられたお兄さまの仏前にお参りすることもかないませんが、
きっとご縁があったものと信じています。
ありがとうございました。
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