[1] | 仲間はずれはいかんぜよさんからのコメント(2001年12月20日 19時05分35秒 ) | パスワード |
彦熱にしては珍しいですね。レスなしなんて。放置プレイもたまにあるのですね。
[2] | お世話係なかにしさんからのコメント(2001年12月21日 08時32分54秒 ) | パスワード |
おはようございます。
このタイプの話題は当日の連絡先の打ち合わせなどで携帯番号をやり取りしたりしますので、基本的には募集だけ彦熱でかけてあとはメールでというパターンが多いようですよ。
ちなみに私は参加予定でこんちゃんに連絡してます。興味のある方はご参加よろしくお願いします。
[3] | おっちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 17時24分30秒 ) | パスワード |
老の山や田の首砲台は、どうなってるんですかね。
[4] | お世話係なかにしさんからのコメント(2001年12月29日 14時10分16秒 ) | パスワード |
見学会で撮影したビデオを
http://www.hikoshima.com/movie/index.htm
に置きましたので興味のある方はご覧下さい。
構造などの良くわかる静止画の方はまた後日改めてページを作成して公開したいと思います。
[5] | こんちゃんさんからのコメント(2001年12月30日 14時24分28秒 ) | パスワード |
>見学会で撮影したビデオを
自分の映ったビデオを見られるなんて感激!
長年暮らしていて、まだ、知らないことや見たことがないのもたくさんあると、実感しました。山を下りるとき見た桃色の実をつけた木がありましたが、いま、何という名前の木が調べているところです。
>老の山や田の首砲台は、どうなってるんですかね。
コメントが遅くなり申し訳ありません。
老の山については、「日本築城史」でも、文章による説明だけで、配置図もありません。ただ、偶然、今月中旬、老の山で終戦を迎えたという90才の方と知り合いになり、老の山に案内しました。そこでわかったことは、整備をするに当たって、当時の原型を大切にしながら公園としたようです。例えば、公園の中央部にあって、「花祭り」の時に、「式典」を行うところは、「でんたん」…日本版レーダーが座っていたところだそうです。生存者の証言をもとに復元するしかなさそうです。
田の首砲台跡は、壊されてありません。位置からすると、現在の南霊園か、それより田の首よりのところと思われます。
砲台の図面が詳細に残っているのは、「金比羅」です。(金比羅公園)
[6] | お世話係なかにしさんからのコメント(2002年01月08日 00時07分11秒 ) | パスワード |
こんちゃん、こんにちは。先日は良い体験をさせていただいてありがとうございました。
ビデオを気軽に自分のサイトでストリーミング再生して多くの人に見てもらえるようになるとは、インフラ&製品技術の進展はめざましいですね。ホンネではインターネットでバーチャルに体験するよりやはり現地に苦労して足を運んでもらってその場の空気を吸って考えていただきたいところですが、多くの方がドヤドヤと史跡に入り込むとムチャクチャなことになってしまいますから、やはり技術の進展は歓迎すべきものですね。
老の山や田の首なども証言を元にマップがいつかできることを期待しています。こんど発行されるとうわさに聞く彦島史誌にそのあたりも含めて新しい記述がたくさん含まれるといいですけどねぇ・・・今までの出版物の寄せ集めはもう飽き飽きです。
次は金毘羅探検でしょうか?(これこれ ^^;)
[7] | 田村 康夫さんからのコメント(2002年05月29日 11時13分01秒 ) | パスワード |
はじめまして、筋山のことが書いてありましたので奥浜名湖に住む田の首生まれの
やっちゃんが、覚えていることを書き込ませていただきます。団塊の世代のはしりである私の家では筋山の上に畑を開墾し芋などをつくり食糧難対策をしておりました。
田の首のガキどもを引き連れて各兵舎(壕)を陣地としてチャンバラごっこをしたものです。塩浜から大山海岸に出る道は朝鮮戦争当時,米軍が上陸用舟艇で大山にきて
キャンプを張りブルトーザ-などの重機で造りました。一番奥の壕までジープなら行けました。探照鐙(たんしょうとう=大きな照明)のことがかかれていませんがこれは兵舎の北側に高さ4−5mの尾根がありこれの西北の頂点に丸い土塁で囲まれた中に直径4mくらいのコンクリートの座があります。太平洋戦争のとき夜間飛来するB29などを上空に照らし出し他の高射砲陣地から撃ったそうです。いま望洋台の南にある霊園の下にも4つ兵舎がありました。先の尾根には2箇所花崗岩の防空壕がありました。
本当に懐かしいメールを読ませていただき有難う御座いました。
[8] | nyaoさんからのコメント(2002年05月30日 00時24分25秒 ) | パスワード |
砲台跡の位置を地図で確認しましたが、海峡の航路に機雷投下しようとする航空機を門司側から対空射撃するとき、探照灯を照射するにはうってつけの位置であったと思われます。
記録では佐世保から門司に回航された防空駆逐艦「冬月」が、終戦間際に照射支援を受け低空飛行中のB29を撃墜したということになっていますが、おそらくそのときも筋山砲台などから探照灯が照射されたのでしょう。
*「冬月」については別スレッドを参照
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2002年05月30日 12時27分13秒 ) | パスワード |
>探照鐙(たんしょうとう=大きな照明)
現代の「サーチライト」のことなんですよねぇ・・・
(しみじみ)
この言葉を知ってる「彦熱人」は nyao さんぐらいでしょうね。
良いお友達が出来ましたね> nyao さん
[10] | 石橋 重夫さんからのコメント(2011年01月24日 13時24分37秒 ) | パスワード |
前略、興味を持って拝見させて貰っている彦島の住人です。
近日中に彦島ピラミッドに上がる予定をしています。
詳しい情報などあれば教えていただけないでしょうか。
[11] | がねまるさんからのコメント(2011年01月25日 21時38分03秒 ) | パスワード |
六年ほど前に登った事があります。個人所有の山だそうですが、二、三人なら、許可は取らずに登れそうです。
ルートは彦島桜ヶ丘町の桜ヶ丘団地から入ります。
団地の入り口から最初の舗装道路を左に曲がり両側に家並みを見ながら進むと小山にぶっかります。
私が訪ねたときは、道路の端から、人が登った跡がはっきり附いていました。
小山の中を道とか整い並んだ石ころに導かれて、登りました。百メートルも登ると頂上付近だった記憶があります。
巨石が頂上付近にあり、人が並べたと想われる少し大きな石ころが整然と並んでいたと記憶しています。
登ったと言っても、このピラミッドに関する知識は、サイト当該記事を一歩も出ていません。ので悪しからず。
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