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 投稿番号:101264 投稿日:2001年09月05日 23時31分31秒  パスワード
 お名前:服部 明子
まいふぇばりっとな大河ドラマ その2

コメントの種類 :生活  パスワード

9月9日放送の「時宗」の蒙古来襲シーンがやっと完成したそうです。
9月9日なんてすぐなのにね。

[1]服部 明子さんからのコメント(2001年09月05日 23時33分29秒 ) パスワード
  

こんなメールを頂きました:


へー? 今ごろ完成ですか、「時宗」の文永の役。
ずいぶん遅いねえ。

もっとも、映像作品の常で、バラバラに作ってるんだろうけど。

たぶん、一番、時間がかかるCGとかが最近完成したんじゃないの?


じゃ、9月9日が待ち遠しいな。
9月2日の放送はそれほど面白くなかったよ。
松浦党がモンゴルの船に突入して、木村佳乃が渡部「時輔」に助けられたけど。


いつになったら「博多が炎上」するんだよ? とテレビにどなった。
[2]服部 明子さんからのコメント(2001年09月05日 23時34分53秒 ) パスワード
  

弘安の役のシーンにも使い回すのでしょうね。


衣装なんて同じのを使い回しているのがミエミエ。
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年09月06日 00時00分07秒 ) パスワード
  

更にメールを頂きました:


僕は原作読んでないけど、北条時輔はどうなるんだろ?
モンゴルの船に乗ってたはずなのに、モンゴル兵を斬っちゃうし
(木村佳乃を助けた時)
このままだと日本にも大陸にも住めないぞ?

あのドラマだと、時輔は中国語を話せるみたいだから、
五山の禅僧にでもして終わらせるのかな?

どー殺しても不満が残りそうですよね。
あのドラマでは一番魅力的な人物だから。

趙良筆と会話する時、時輔が日本語、趙が中国語(北京語)をそれぞれ使ってるのが
異様だ・・・。

どうせなら、二人とも中国語に統一したほうが自然だろうに。
あのドラマでは、趙は日本語しゃべれるみたいだから、日本語でもいいと思うんだけどね
(スター錦野が朝鮮語しゃべったんだから)。
[4]さんからのコメント(2001年09月06日 01時24分13秒 ) パスワード
  

おお!新しいスレッドが立っている!
服部殿、お礼申し上げる。
そういえば時輔の郎党、服部さんでしたな(爆)

>趙良筆と会話する時、時輔が日本語、趙が中国語(北京語)をそれぞれ使ってるの
>が異様だ・・・。

それそれ!まさにタモリの4カ国語麻雀状態(笑)
だいたい何時何所で中国語覚えたんだよ、時輔くん。
大陸に渡る前から話してたぞ。

そういえば、信じがたいことなんだけど、結構大河ドラマと史実をゴッチャにしてる人っているみたい。

[5]服部 明子さんからのコメント(2001年09月06日 12時13分05秒 ) パスワード
  

大河ドラマがきっかけで史実に触れる、というのが殆どでしょうね。
半分以上の人は史実に触れようとも思わないでしょうけど。

[6]服部 明子さんからのコメント(2001年09月06日 12時15分13秒 ) パスワード
  

今朝頂いたメール:


時輔の中国語は「演出上」難しいね。
だって、北条氏の嫡流の男子が当時中国語を教育されたか分かんないもん。

時宗、時輔がちっちゃいころは建長寺がすでに建立されてたから、
そこで英才教育されたとすれば、可能性もある。
むしろ「棒読み」の中国語でいいのかも知れない。

禅寺が出たので、おまけまでに、
「太平記」第10巻『長崎高重最後の合戦の事』より
「吹毛」は当時の中国語で「かたな」のことらしい。
古典の中じゃ、僕が好きなことば。


「如何是勇士凭麼事?」(高重:勇士がなすべきこととは何でしょうか?)
「吹毛急用不如前!」(和尚:刀を迷うことなく用いて、前に進むことにほかならず!)
[7]服部 明子さんからのコメント(2001年09月08日 23時22分22秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


明日は台風が来るそうです。

「時宗」の次回予告ウソついてるよ。
だってさあ、8月19日の放送の次回予告では
来週モンゴルが来る・・・って感じだったんですよ

3週にわたって見せつけられたんだよ、木村佳乃が押し倒されるシーン。

肝腎な博多炎上の映像は全然見れなかったし。
来週一回でモンゴル襲来、とりあえず終わるのかな?

最後が変な感動巨編になったら(十朱幸代のナレで)、嫌だなあ。
[8]服部 明子さんからのコメント(2001年09月08日 23時24分01秒 ) パスワード
  

こっちは今晩名越の桔梗が首謀者は時輔だと自供するらしい。
佐渡に流されるんでしたっけ?
[9]服部 明子さんからのコメント(2001年09月09日 13時14分04秒 ) パスワード
  

今日は「あの兄を討て」の巻でした。
義宗が時輔の館を襲いに行きました。


宗尊親王をやってる役者はいい役者ですね。
いやらしさが面白い。

回りがいい役者が揃ってるから面白い。


だけど「桔梗」はいい根性してる。
ただでは死なないというのがいい。
[10]服部 明子さんからのコメント(2001年09月09日 13時16分20秒 ) パスワード
  

<7>の続編メールを頂きました:


詐欺・・・ったって、ま、許容範囲かと思われますがね。
たぶん、撮影がめちゃくちゃ遅れてるんでしょう。
[11]服部 明子さんからのコメント(2001年09月09日 22時56分57秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:



博多はたしかに今日焼けました。

映像的に一番よかったのは浜辺の合戦。
モンゴルの兵隊が投石機を使って、「てつはう」投げると、それが浜辺の武士に当たって死んじゃうの。

悲惨だったのはダンカン。「日野」とかいう武士の役だったんだけど、名乗りを上げてる時に「てつはう」が激突、落馬即死・・・。何のために出たんだか。

町中の合戦は思ったほどじゃなかった。
源平合戦と変わらないな。
まー、退屈な鎌倉市中の合戦よりは面白かったけど。

川野太郎の少弐景資が敵の大将を射るシーンが挿入されてました。
竹崎季長は浜辺でこけてただけ。

ラストはモンゴルが撤兵して、
何もいなくなった浜辺で鎌倉武士がボー然としてるとこで終わった。
神風はなかったね。さすがにここは史実を尊重したみたい。


今日のことで、特に注視してほしいのは、冒頭の解説。
モンゴルと日本の戦闘方法の説明で、頼綱と菊池と宗政が、ちっちゃい騎馬武者になって出てくるの(かわいかったよ)。


時輔は、殺された次の回のラストで甦ります。
(そのまた次の回)行くあてもなく雨宿りしている時輔さんの近くを、
菊池と竹崎が通るシーンがありますので、この二人が好きならお見逃しなく。
[12]服部 明子さんからのコメント(2001年09月10日 23時07分14秒 ) パスワード
  

竹崎季長についてメールを頂きました:


竹崎季長は、弘安のモンゴル戦争の時はあんまり活躍しなかったみたいですよ。
と言うのも変だけど、竹崎は文永の時に29才だったから、
弘安の時にはもう30代半ばですしね。

竹崎はモンゴル軍が暴風雨で逃亡した後に、残った船に乗りこんで、
残敵掃討をやったらしい。
もっとも、典型的な落ち武者狩りで、
逃げ損ねた兵隊の首を取っては恩賞を要求したらしい。

鎌倉武士はプライドが異様に高かった反面、
利害にものすごく敏感だった(率直に言えば貪欲だった!)ことの象徴ですね。


余談ですが、竹崎季長は発給文書によると、1324年(正中1)まで生きてたそうです。
文永の合戦から50年、79才になってるはずですから、
ずいぶん頑健な人だったのでしょうね
(サムライはどんどん軟弱化していったように思えてならん)。


しかし、「蒙古合戦絵巻」を神社に奉納しただけで(歴史学者には最高の資料だけど)
大河ドラマのレギュラーになったんだから、ご本尊は泉下でどう思っていることやら。


これまた余談ですが、漫画家の尼子惣兵(女性)は竹崎にほれこんで、
歴史に興味を持ったとのこと。

そんなに魅力的な人物なんだろうか?
[13]服部 明子さんからのコメント(2001年09月10日 23時49分25秒 ) パスワード
  

「竹崎季長」について続編メール:


竹崎氏はそれほど大規模な武士ではなかったと考えられています。
肥後の国だと、菊池氏と阿蘇大宮司氏が二大勢力で、
それ以外はあまり大きくなかったらしいから。

でも、近日購入せる「蒙古襲来」では、
「竹崎季長は周防(長門だったかな?)で二階堂氏に会っており・・・」とあった。

二階堂氏は鎌倉の官僚一族で、鎌倉時代には美濃や甲斐の守護をやった名家。
竹崎氏は二階堂氏の親戚(姻戚)だったようです。
規模こそ小さいけれど、名家だったのかも知れない。


でも僕は、ああいうあんまり勢力の大きくない武士こそが、ホントの歴史の主人公だと思うんだよね。

鎌倉幕府だってもともと武蔵と相模の中小武士のための政権だったわけだし。
長いタームで見ても、歴史を把握する上で大事なのは、全国にいくつかしかない有力大豪族じゃなくて、群小武士だと思う。


たとえば、関東の歴史を見ても、
武蔵や相模はずっと中小武士の割拠する地域で、
頼朝も上杉氏も後北条氏も、
かれらの上に乗っかることで巨大な勢力を維持してたんだよね。

太田道灌も上杉謙信もまったく同じ。
この両国は、有史来ずっと関東の中心で、東日本で最も強大な経済力を持つ地域だった。
人口が非常に多かった(一説によると、頼朝のころは畿内五カ国よりも総人口が多かった)。

戦国時代の畿内を考えてもわかるように、そういう人口が多く先進的な地域ほど、
群小豪族が割拠する。


もちろん、大大名の傘下にだって、小さい武士がいっぱいいたわけで。
太田道灌が関東地方で圧倒的な強さを誇った理由も、結局は人口が多い地域で「傭兵」
が雇いやすかったから。


僕は武士がどんな生物だったかを考える際に役に立つのは、北条氏や大大名じゃなく、
むしろ竹崎氏のように小さい武士だと思う。
彼らの生態や思考を考えることこそ、歴史を正しく広汎に把握する方法だと思
う。
あとは、もちろん、一般庶民の経済生活。
いくら貧富の差が大きくても、結局は大多数の人間が経済形態を決定するわけだ。
だからこそ、一部の大豪族よりも、群小武士のほうが歴史には大事だと思う。


とかく大大名ばっかに眼が行きがちだけど、本当に重要なのは小さい武士だと思う。
[14]さんからのコメント(2001年09月11日 01時43分15秒 ) パスワード
  

業務連絡(笑)

メールありがとうございました。
遅くなってすみませんm(__)m

レスも書きたいのですが・・・

眠い・・・ぐぅ
[15]服部 明子さんからのコメント(2001年09月17日 05時41分14秒 ) パスワード
  

こちらはやっと時輔さんが死にました。???
宗尊親王さんも死にました。この人本当に面白い。親王さんが面白いというの初でした。


友人からこう言って来ました:

「時宗」ますます暴走してます。
ピーターが時輔さんに会いました。
ピーターは1276年に死にます。
佐志房が行方不明になったそうです。
竹崎は鎌倉に行くのでしょうか・・・?
[16]服部 明子さんからのコメント(2001年09月17日 21時06分14秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


今日9月17日の「徹子の部屋」に、「時宗」の平頼綱演ずる北村一輝が出てました。

海賊に憧れて商船高校に入ったとか、
20代前半に海外旅行をよくしたなどの、貴重な話をしてました。

共演者だと、「ジョーカー」という映画でも共演した渡部篤郎、
そして意外な組合せですがピーターと仲がいいんだそうです。


「時宗」は脇役が「おいしい」ですね。
ピーター、伊東四郎、親王さん(役者名忘れた!)、佐志房、時輔。
主役が一番損してる気がする。もっとも、主役の和泉元弥は最近テレビのCMに出まくってますが。

役者って、聖人君子より、絶対「悪役」のほうがおいしいよね〜。
正確に言うと、クセのある役、かな?


どーでもいい話ですが、ピーターは最近フジテレビによく出てて、必ず女装しています。
本屋にはピーターの「ヌード」(!)写真集が並んでいました。
明子さんよりセクシーかも知れない。
困ったものだ。
[17]服部 明子さんからのコメント(2001年09月18日 12時12分51秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


「時宗」は主役がかすむね。
脇役がいいですね。

と言うより、脇役がおいしくって、主役はつまんない役だね。

女性陣がボロボロなのが痛いけど・・・
(一番まともなのが「ともさかりえ」じゃない? 
んじゃなきゃ、松下禅尼。
ホントに脚本家は女性なのか?)。
[18]服部 明子さんからのコメント(2001年09月18日 12時20分26秒 ) パスワード
  

確かに男性陣の脇がいいですね。

時輔さんがいい役貰ってるし←←←渡部篤郎は目の演技が出来る役者だと言われてる
平 頼綱の悪役ぶりがいいし
政村の狸ぶりもいいし
ピーターも別な?本来の?知的な男性らしさがいいし(実時どのだっけ?)
泰盛はちょっと陰が薄いかな。あんまりパッとしないな
親王さんは最高!こんなに笑った悪役に徹した親王さんは初めてです。
時頼パパも良かったし

「時宗」以外殆どみんないいよ。
[19]さんからのコメント(2001年09月18日 15時51分48秒 ) パスワード
  

配役の話になったので少々。
最近の大河ドラマ、時々意外な人がチョイ役で出てますね。
蒙古襲来第1ラウンドでは、K−1の角田選手が平景隆(前のスレで間違えた)で出ていましたし、北条義宗は、雨上がり決死隊の狂暴ツッコミ役、宮迫博之(字、合ってる?)が出ていましたね。
意外な演技力に(失礼)びっくり。

それから夏休み中にたまたまTVを見ていたんですが、少年時代の時宗役の男の子。名前を忘れちゃったけど、TBSのお昼ドラマ『Kid’s War』だったかな?
パツキンの不良少年(でもホントは良い奴)みたいな役で出てましたぜ。
こんどは、高時役?で再登場でしたか・・・。
[20]服部 明子さんからのコメント(2001年09月18日 21時41分00秒 ) パスワード
  

ほぉ〜
楽しみです。

義宗どのはワタクシの大好きな北条仲時どののお祖父さまじゃないかな?
で、注目してます。
私はあんなぼくとつな感じの男性に母性本能をくすぐられます。
へっへっへっ
[21]さんからのコメント(2001年09月23日 23時26分37秒 ) パスワード
  

時宗さんは高麗を叩くそうです。
こわっ!
[22]ウエストさんからのコメント(2001年09月23日 23時55分18秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2001年09月24日 08時44分29秒
[23]ウエストさんからのコメント(2001年09月24日 23時45分53秒 ) パスワード
  

↑すみません。

海岸に石を積み上げたのは「防塁?」でしたか???
親より早く亡くなった子供が、三途の川が渡れない例え
を、小石を使って時宗に話していた・・・あのひと・・

評定では採用されなかったです。
(時宗が質問しなかった!)
[24]服部 明子さんからのコメント(2001年09月25日 11時20分24秒 ) パスワード
  

>海岸に石を積み上げたのは「防塁?」でしたか???

はい、防塁で合ってます。
何ヵ所か見に行きましたよ。
[25]服部 明子さんからのコメント(2001年10月08日 10時47分45秒 ) パスワード
  

こちらは菊池と竹崎が鎌倉で時宗に会って
頼綱が九州に総指揮を執りに行って
日連が佐渡から鎌倉に戻ったところです。

時輔さんが半島に渡りました。


竹崎季長の特徴がよく描かれていて面白いです。
明かるさがいい。
恩賞が欲しい、って。


徳政令って私は日野富子や室町幕府の辺りの印象があったのですが
時宗もやっていたのですか?

平成の徳政令はどうなるのでしょうね?
[26]服部 明子さんからのコメント(2001年10月08日 10時52分15秒 ) パスワード
  

ちょっと調べて来ました:

債権・債務契約の破棄を命ずる法令。
土地の返還・貸借関係の破棄を命じるもの。

永仁5年(1297年)
御家人救済の為鎌倉幕府が発令した永仁徳政令が最初。
[27]服部 明子さんからのコメント(2001年10月08日 12時42分40秒 ) パスワード
  

レス頂きました:


桐子がお姫さまになりました。
いやいやホント。
NHKのページ見てくれればわかる。

来週、杜世忠が処刑されるようです。

時輔さんの中国語も上達してます(相変わらずヘタだけど)。

ただ、時宗を立派な人物として描くと、
外交使節を殺害する理由がなくなってしまうと思うのですが・・・。


しかし、恐るべきは筒井康隆演じる無学祖元! 
祖元は木像を見ると柔和な好々爺という感じなんですが、
筒井演じる祖元は江戸時代の悪僧のようです。
しかも日本語喋ってます(祖元は死ぬまでろくすっぽ日本語できなかった)。
ちょっと怖いです。
[28]服部 明子さんからのコメント(2001年10月08日 21時18分26秒 ) パスワード
  

中世の「徳政令」について教えて頂きました:


中世日本の徳政令はですねえ、当時の事情を詳しく知らないと誤解しちゃうんですよ。

徳政令はいわゆる借金棒引き例とは違うのね(徳川時代の「棄捐令」)。
あの時代特有のものなんです。

まず考慮しなきゃなんないのが、当時の土地に対する考え。
中世は土地がたとえ売却されても、開発者の権利は持続してるんだ、という考えがあったんです。
ちょっと宗教じみてますね。

だから、本来持っているべき人が持っていない、だったら本来権利を持ってる人に返してやろう。
これが中世の徳政令。
もちろん、売却してから20年経過すると、もう権利は無くなるという考えもありましたから、
それほど無理な法令でもないのね。

あと、この当時は高利貸しが多かったことにもよる。
当時の高利は、月に5−6%くらいの金利だったんです。
ですから、年利50−60%になっちゃうのね、金借りると。
ただ、もちろん、高利貸しが権力と癒着して腐敗してた、なんて短絡しちゃあいけない。
その代わり、元金の2倍以上の利子をかけることは禁止されてましたし。

この当時は商業が莫大な利潤をあげた時代なんです。
たとえば、日本から中国にモノを売ると、だいたい数倍、
時によっちゃ20倍もの利潤(原価の、だよ?)をあげたんですよ。

それは国内でも同じだったのね。
たとえば、今の埼玉県北部から鎌倉までモノ持ってくると、
だいたい輸送費だけで、原価の60%ぐらいになったんです(金沢文庫に資料がある)。
逆に言うと、それだけ莫大な利潤をあげられたんですよ、中世商業は。

面白い一例を挙げると、戦国時代の瀬戸内海の海賊は商品価格の10〜20%を輸送費としてたんです。
今考えると暴利でしょ? 
でも、当時としては慈善事業みたいな感覚なのね。

こういうぼろ儲けが可能な時代でしたから、高金利は不思議でも悪徳でもなかったのです。


じゃあなぜ、徳政一揆が発生したか、と僕なりに考えると:
経済は常に順調なわけじゃない(景気循環)。
うまく行かなくなるときが必ず到来する(恐慌)。
そうすると、借金返済が不可能になり、一揆で借金棒引きを要求するしかなかったんじゃないか、と。

でも、こういう事情を知ると、
悪いのは高利貸しではなく、無計画に借金した人たちだって気がするけどね。
ま、借金しなきゃならない事情があったんでしょう。
[29]服部 明子さんからのコメント(2001年10月08日 22時06分14秒 ) パスワード
  

この続きのやりとりは「平熱」の徳政令のスレッドに書きました。
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