[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時09分02秒 ) | パスワード |
英雄とは:
英雄には2種類あり、正常型と破滅型。
破滅型の典型は高 師直・斎藤道三・松永久秀・松平忠輝など。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時10分04秒 ) | パスワード |
武田義統:
細川藤孝の妹婿
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時12分09秒 ) | パスワード |
浅井長政:
浅井長政は無能の父に最期まで従ったことは見上げたことだ。
長政の孫が豊臣・徳川の血を引いたことで
長政も以て冥すべきであろう。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時13分49秒 ) | パスワード |
朝倉屋敷は福井の南10キロ。
武将としては
京の文化ではなく
京の権力に憧れるべきであった。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時16分12秒 ) | パスワード |
瓶割り柴田:
1570年佐々木承禎と戦った時にこのあだ名が出来た。
人間は落ち目になるとその本性が出るが
柴田ほどの快男子はいない。
↑
前田利家を許していること。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時18分04秒 ) | パスワード |
佐久間盛政:柴田の甥
柴田勝豊は柴田の養子で
盛り政に嫉妬していた。
潜在的裏切り者は常に勝ちそうな方につく。
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時19分37秒 ) | パスワード |
高山右近と安国寺えけいは書き出すとまことに対立的な性格で面白い。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時24分10秒 ) | パスワード |
黒田孝高:
冷徹明智の男であり
その素晴らしい才略は結局のところ
総参謀としての才略であり
天下の覇者としてのそれではない。
覇者の知恵袋としてならば
無類の存在であったろうが
自ら覇者たるには欠けているものがあった。
人の心を掴み人望を獲得する風格が無かった。
石田・小西程度の人物とさえ協和出来ず
その小賢しい本心は秀吉にも家康にも見抜かれていた。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時25分49秒 ) | パスワード |
立花城は福岡市
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時27分21秒 ) | パスワード |
蒲生氏郷:
日野で5000石から伊勢で12万石になった。
信長の娘・冬姫を貰う。14才と12才の夫婦。
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時32分46秒 ) | パスワード |
政宗と氏郷の争い:
拾遺集の平 兼盛の「陸奥の安達が原の黒塚に 鬼こもれりといふはまことか」
で氏郷は黒塚を得ることが出来た。
氏郷辞世:
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき春の山嵐
伊達政宗辞世:
曇りなき 心の月を先だてて 浮き世の闇を 照らしてぞ行く
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時36分56秒 ) | パスワード |
小牧・長久手の戦い
小牧では完敗したが長久手で家康側は勝利した。
[13] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時42分38秒 ) | パスワード |
藤堂高虎:
浅井の旧家臣
藤堂虎高の子。
頭が良くて人を見る目が優れていた。
この人ほど仕える人を変えた者はいないが
これと見込んだ家康に徹底的奉仕をした。
藤堂高吉(幼名・仙吉)は丹羽長秀の第3男。
初め天正10年春、秀長の養子とされたが
後、高虎の養子にされ、
宮内少輔高吉と名乗ったが
2万石を貰った。
のち実子高次が生まれた。
高吉は92才迄生きた。
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時45分05秒 ) | パスワード |
長宗我部盛親:
2条城の門外に繋がれていたのを
藤堂(または直政)が白苧衣を肩に着せ菅笠を恵んでやった。
[15] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時47分44秒 ) | パスワード |
永禄11年筑前の立花鑑載は大と尾義鎮に背いて毛利に款を通じた。
しかし立花城陥落。
[16] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 02時48分51秒 ) | パスワード |
山中鹿之介
河辺川のほとりで斬死。
[17] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 03時18分28秒 ) | パスワード |
大谷刑部:
敦賀5万石。
西軍で最も良く戦い
ただ1人自尽した。
友情の為
負けると分かっている三成に組し
そして見事に戦い
且つ死んだ。
まさに稟(ニスイの漢字が無い!)然たる武将。
平 貞盛の孫・大谷仲記盛胤の後裔。後に大友に仕える。
仁智深く勇あって猛からず徳を隠し信あって偽り無く礼あって傲らず人こぞって賢と称す。
忠・不忠は徳の有無によるものだろう。
新田義貞・楠木正成は勅命を奉じて尊氏と戦ったが完敗した。
天下の武将が尊氏の徳になつき帝位を恐れなかったからだろう。
三成の旧恩に酬いんとする武門の面目から
敢えて死地を選んだものであろう。
長子:大学吉勝:1615年秀頼と死す
次子:木下山城守頼継:まもなく死亡
甥の僧形・祐玄が首を持ち去った。
己れの誇りと友誼の為に全てを棄てて死の途を選んだ。
[18] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 10時46分38秒 ) | パスワード |
安国寺えけい:
安国寺とは尊氏が敵味方の菩提を弔う為、全国に建てた寺。
藤吉郎を「さりとてはの者にて候」と評した。
さりとてはの者=なかなか将来のあるしたたかな人物だ
安国寺えけいは舌1枚で武将となり
外交能力によって大名となったので
主従生死を共にする固い絆は持てなかった。
吉川広家とは朝鮮以来対立。懺言した為。
しかし吉川広家の努力にも拘わらず毛利は家康に完全にだまされた。
安国寺えけいは黒幕としてはいいが
自ら主権を執るべき人間ではなかった。
[19] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 10時47分58秒 ) | パスワード |
後鳥羽上皇
「我こそは 新島守りよ 沖の海の荒き波風 心して吹け」
[20] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 10時55分26秒 ) | パスワード |
長宗我部元親 vs 伊予河野氏
天正7年、南伊予に兵を出して河野氏を脅かす。
伊予の覇者河野氏は毛利に乞うて援兵を受け
長宗我部と戦い勝敗は容易に決しなかった。
毛利と信長の争い。
毛利余力無し。
三好・河野は元親に苦しみ信長に助けを求める。
信長、本能寺にたおれる。
長宗我部優勢。
天正13年春(1585)河野通直、元親に降伏。
[21] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 11時17分29秒 ) | パスワード |
真田左衛門佐信繁(幸村)
不運の生涯を送ったが
それにも拘わらず
あるいは
非常に幸運だったのかも知れない。
戦国史上まれにみる知謀の名将。
家康に対等に戦った。
悲運の豊臣を一身に背負い
壮烈な死を遂げた武人として
恐らくその実像の何倍かの評価を獲得してきた。
大坂の陣だけで
古今無双の名将の名を得たから
以て瞑すべきだろう。
関ヶ原で敗将とされ
九度山に住んだ
という不遇の境地から脱却する唯一の方法として
大坂入城に全てを賭け敗れ死んだ。
正しくは悲劇の武将である。
せめてもの満足は
その最期の戦いに
敵陣を踏みにじって
無双の武勲を樹てたことであったろう。
その華々しくも悲壮な死によって
彼のイメージが更に高揚されたことも当然である。
→父・昌幸がすぐれていた七光もある。
大坂からの使者は
九度山で朽ち果てるかと思っていた幸村には
一世一代のチャンスであった。
軍事・外交・政治・経済の一切を含む大戦争全体を指揮して
終局的に勝利を収めることについては家康に及ぶべくもなかったが
個々の戦闘に於いては戦略を練り軍隊を指揮する軍事的能力に於いては
必ずしも家康に劣らないという自信が昌幸にあったであろうし、
亦、
幸村も持っていただろう。
そして大坂の陣は正しくそれを実証した。
滋野氏出身で滋野と海野に分かれた海野(真田)幸隆の3男が昌幸。
昌幸の妻と三成の妻は姉妹(宇田下野守頼忠の娘)。
三成の義弟・頼次は昌幸の娘を妻としている。
真田家は上田には18年いたのみで
18万石で松代に移り維新までそこにいた。
[22] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月16日 11時25分13秒 ) | パスワード |
3世紀ごろ、
人々は皆
げい(黒+京)面分身を行ない
海人は海中に住むこう(虫+交)魚怪魔から身を守るため
分身を行なった。
古代人が最も恐れていたことは悪魔の邪眼。
これから身を守る為にいろいろな呪術を用いたが
中でも1番なのが珠玉の類。
中でも真白珠と呼ばれる真珠の神秘的な白さと光沢を最も神聖視した。
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