[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月12日 22時43分03秒 ) | パスワード |
「かも」と「けり」は典型的に古典和歌的な言葉
「かも」は百人一首に「一人かもねん」が2つある。
柿本人麻呂の「足引きの・・・・・・・一人かもねん」
藤原良経の「きりぎりす鳴くや・・・・一人かもねん」
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月12日 23時03分04秒 ) | パスワード |
「けりかも」は歌人や和歌を罵って言う言葉。
いかに和歌の代表的な言葉であったかがはっきりする。
「かも」は真淵も随分使っている。
子規も一時期かなり使ったし
会津八一もよく使っている。
1番使ったのは斎藤茂吉。
はしはたの向こうに湖の光たる信濃の国に目ざめけるかも
戦後日本の1番良い短歌は「白き山」の
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
(戦後の茂吉の絶唱ということになっていて現代和歌の最高峰とされている)
註:逆白波=三角の波を形容するうまい言葉
現代俳句の代表作は久保田万太郎の
「湯豆腐や いのちのはての うすあかり」
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月13日 07時04分41秒 ) | パスワード |
明星派は「けるかも」を使わないが
例外は吉井勇の
「志 みな違へども 歌詠めば おほかたのこと 忘れけるかも」
「四国路へ わたるといへば いちはやく 遍路ごごろとなりにけるかも」
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月13日 07時10分42秒 ) | パスワード |
アララギは万葉集の影響を受けていて「かも」を用いる。
アララギは子規以来、伊藤左千夫とか長塚節など万葉集を手本とした。
万葉集では「かも」という詠嘆の言葉を普通に使っていた。700回ぐらい。
「かな」は0。
古今州では「かも」は5〜6例。
「かな」に変化した。68回。
後拾遺では「かも」は0。
全部「かな」。
奈良時代に「かな」はないことはないが「能く淳れる水かな」というのが
「常陸風土記」に出ているのが1例ある。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月13日 07時26分40秒 ) | パスワード |
「かも」=「か」+「も」
「か」=自分への疑問。自分では判断不能「あるか、なきか」
相手への疑問の時は「や」を用いる。「ありや、なしや」
「や」は奈良初期には間投詞。
例:「近江のや」の「や」には意味はない。
これは「近江の」と切れたところで「や」を1つ入れて音数を合わせた。
「や」はお互いの調子を取る時に入れる。
例:誰かに質問したり、あるいは調子をつけたりする時に。
[6] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月13日 09時26分51秒 ) | パスワード |
成人式に詠める和歌
わ「かも」のの 羽織の「かも」ん 「かも」め鳥
「かも」めは違(たが)ふ「か」 「も」しや「かも」「かも」
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月13日 22時13分58秒 ) | パスワード |
ここでマイルストーンさんの川柳が入るとより面白くなりますね。
(笑)
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 13時03分51秒 ) | パスワード |
「か」は名詞の次につけた。
例:「今日か、明日か。」「い出し月かも」
奈良以前には「・・・だ」に当たる「なり」はなかった。
「花なるか」に当たるところを「花か」とだけ言ったのを
「か」だけでは少しそっけないので、
もう少し和らげたりニュアンスを付けたりしたい時に「も」を足した。
「も」は今は「これも、あれも」のように2つ並べて用いるが
昔は「うれしくもあらず」「年も経ず」「すべもなし」のように
「も」が来ると
その下の記述は否定・推量・条件等で閉じる。
つまり下に不確定な表現が来るのだった。
1つだけと確定するのではないものごとを表現する言葉だから
「あれも、これも」と、どちら1つと確定せず2つ並べるようになった
というわけである。
1つに決めて断定せず不確かな気持ちを表わす「も」がついて「かも」という言葉になり
「なのかなぁ?」「なんだなぁ」「どうもそうらしいなぁ」というわけで
「かも」が疑問や詠嘆を表わすことになった。
これが助詞としての始まり。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 13時16分45秒 ) | パスワード |
「磐代の岸の松が枝結びけむ 人は帰りて また 見けむかも」
(長忌寸意吉麿)ながいみきのおきまろ
磐代の岸の松が枝を結んだという人は
ここを帰り道にまた通る幸せを祈って松の枝を結んだというこの松を
もう1度見ただろうかしら?
人麻呂の「鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ」は
疑問と詠嘆の両方の微妙なところに掛かっているのがこの歌の味となっている。
この歌は人麻呂の辞世だが
鴨山の鴨と「かも」の鴨があって、妻と夫のようだ。
古代信仰では鳥というのは一般に霊が宿ると考えられていた。
妹に逢はむと祈誓(うけ)ひつるかも=「受日鶴鴨」と書いた=色恋の成就を神に願った
[10] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月14日 13時25分54秒 ) | パスワード |
>「も」は今は「これも、あれも」のように2つ並べて用いるが
>昔は「うれしくもあらず」「年も経ず」「すべもなし」のように
>「も」が来るとその下の記述は否定・推量・条件等で閉じる。
今も、この作法が生き残っている、よく考えてみたら非常に古風な言葉って、いくつかありますよね。
例えば、「あられもない」。
それから例えば、せんべいもない
ん?
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 21時42分22秒 ) | パスワード |
「お茶もない!」
大変!
[12] | マイルストーンさんからのコメント(2000年11月14日 22時09分23秒 ) | パスワード |
ん?呼ばれてました??
☆Jリーガー 昔でいえば 蹴り鞠屋かも、かな?
ダジャレしか思いつきませんでした。(^^ゞ
服部さん、よく研究されてますね
私は本格的な和歌、俳句はダメです。
高校時代、古文の教師を吊るし上げて
素晴らしい内申書いただきましたし・・・・(^○^)
[13] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 22時14分50秒 ) | パスワード |
平安時代に「かも」が「かな」になったのは
奈良→平安にかけて
日本語に大きな変化が起こったから。
(1)「や」
「や」の使い方が間投詞から相手に質問する、何かを聞く時に使うようになった
例:野守は見ずや
のようになった。
どうも自分自身の1つの確信やら見込みやらがあって
それを相手にもちかけて質問の形をとる
(2)奈良以前には名詞の下に「である」という助詞はまだ発達していなかった。
「相飲まむ酒ぞ」「夏痩せに良しという物ぞ」のように「ぞ」だけをつけた。
名詞のすぐ下に疑問だけを置いて「月か」「花か」と言っていた。
「ぞ」だけでは否定形も作れないし
推量形にすることも出来なかった。
しかし奈良時代に仏典の翻訳をするようになり
「こうであるか」とか「であった」とか「であろう」という必要が出て来て
否定・推量・過去の表現法が日本語には無かったので
「にあり」から「なり」という言葉を作り出した。
使い方が非常に広くなって
「逢ふものならば」「盛りなりき」「筑摩なる」「常ならず」みたいに活用が広くなり
過去も否定も推量も言えるようになった。
そこで「なり」の下に疑問詞をつけようとすると
「か」はもう古い言葉とされ
かわりに「や」を使うようになった。
「なりや」「ありや」「なしや」など
「や」が見込みを持った質問から疑問の方へずっと寄ってきた。
そうすると疑問と詠嘆をもった「かも」は両方の意味を持つので
もっとはっきり詠嘆を示すために「も」より「な」をくっつけて
「かな」を使おうということになった。
そしてはっきり詠嘆だけの方に寄っていった。
「かな」は東国方言で
要するに下層民の言語が最も高い格になってしまった。
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 22時32分10秒 ) | パスワード |
新しい用法へ移りつつあった「や」と対応するのは「かな」にしよう
という気持ちが強くなり「かな」は詠嘆だけを表わす言葉として広まった。
「かな」は詠嘆だけである、ということが
後に俳諧の発句の切り字「かな」になったわけである。
(長く生き得たのは詠嘆専用だったから)
江戸時代に「かな」は発句的にさえなった。
和歌の衰退つまり国学が流行ってくると「かも」が典型的な和歌的な言葉となってくるわけだ
アララギなど万葉集中心になると「かも」が復活。
勅選集に出て来るのは殆ど疑問の「かも」。
<小町>
たれをかも 待乳の山のをみなへし 秋と契れる人ぞあるらし
<業平>
はるる夜の 星か川辺の蛍かも 我が住む方の あまのたく火か
両方ともはっきり「疑問」。
平安時代には「かも」は疑問として使われた。
安倍仲麻呂の
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に出でし月かも
の「かも」は・・・
古今の巻9の「き旅歌」にあるが
これは仲麻呂の漢詩を元に後人が作ったものではないか?
由良のとを 渡る舟人かじをたえ 行方も知らぬ 恋の道かも
の「かも」はこれは「かな」説もある。
「かも」:暗い・内向的・哀愁が深くなる。疑いを含んでいるから。
「かな」:明かるい・開かれた感じ。詠嘆だけだから。(意味が単純だから)
[15] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月14日 22時37分47秒 ) | パスワード |
籠の鳥の カナカナさへづるを見て詠める和歌
「かな」りあの 籠の「かな」たは はる「かな」り
「かな」しく憂ひて 「かな」「かな」 「かな」づ「かな」
ん〜っと、カナリアはカナカナ鳴いたっけ?
ま、いいや。これも文学のためだもん。
[16] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 22時47分44秒 ) | パスワード |
「な」という間投詞には「も」が持つ不確かさがない。不安とか不確かさというものがない。不安とか暗さとかのイメージが「な」にはない。
「な」は社交的だ。
「も」の方は孤独感が強くて「それはわからないことだ」と突っ放してしまうしまうかというとそうではなくて、もっと粘着的でものに執着している。
不確かでいながら、それを自分から切り捨てることが出来ない気持ち。
[17] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 23時09分28秒 ) | パスワード |
マイルストーンさん:
私は中学に入って早々の古語の時間に俳句?を作らされて
「何、書いてんの?!」という顔をされて以来古文・古典はトラウマになってます。
英語がどういうものか分かって来てから
私の場合は日本人だから中世が読めなきゃ英語も結局は分からない
ってことが分かりました。
国語力というか読解力というのは古典が読めることなんだ、とつくづく思いました。
[18] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月14日 23時12分37秒 ) | パスワード |
あ、御免なさい。[14]の終わりと[16]は、しっかり話が繋がっていました。
そうとも知らず、[15]の割り込み、失礼しました m(__)m
じゃ、ついでに、自分なりの[16]の続きをば。
阿吽(あ・うん)てありますよね。口を開けるパターンの「あ」と、口を閉じるパターンの「うん」ですね。神社の狛犬だって、かたっぽ口を開けて、かたっぽ口を閉じています。それから、インドの、今でもヨガなんかでやっているマントラでオームというのがあります。あれ、正確には、アオムです。「ア」で口を開け、「ム〜」で口を閉じるわけです(英語でも、発音記号の[m]は、要するに口を閉じて響かせろってことですよね)。
「あ〜」とか「あお〜」とか口を開けて声を出したら、開放的な、外に広がっていくイメージが体感できます。一方「ん〜」とか「む〜」とか口を閉じて唸ったら、内に向かって芯へ芯へと響いていくイメージが体感できます。
ですから、「かな」の「な」が明るく外へ、「かも」の「も」が暗く内へ、というのは、和歌を実際に声を出して読んでみたら体感できます。昔の和歌は、声に出して読み合っていたんでしょうしね。
以上は、かなり我流の自説でした。
[19] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月14日 23時36分45秒 ) | パスワード |
>[15]の割り込み、失礼しました m(__)m
あ、全然気になさらないで下さい。
「あ」の音と「お」の音は確かに言えますね。
「あ」は解放的です。明かるいです。
[20] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 00時09分32秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2000年11月15日 00時27分13秒
[21] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 00時26分44秒 ) | パスワード |
「けり」
けり=詠嘆
けるかも=王朝和歌に多い。
「けり」←詠嘆+「かも」←詠嘆=和歌的叙情
「けり」=「〜であることに気がついた」「あれ?そうだっけ?」
*「き」=確かに過去のことっとして自分がはっきりよく覚えている
旅人:
世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます悲しかりけり
赤人:
古の ふるき堤は年深み 池の池の渚に水草(みくさ) 生ひにけり
「けり」=気がつくということから詠嘆的なものを感じる
いよよますます悲しかりけり=悲しいという気持ちを新たにする。
[22] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月15日 00時46分26秒 ) | パスワード |
夫に暴力をふるわれた夜、ついに夫を見限った妻の心を詠める
「け〜り」んを とがめるわらわ 「けり」に「けり」
あさぼら「け」 「り」こんもちだし 「けり」つけむ
う〜む。「けり」はちょっと難しかった…。
現代和歌になってしまったし…。
きょうは三首作ったから、もう寝よっと。
[23] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 00時46分50秒 ) | パスワード |
「けり」=伝聞=知らなかったけど人から聞いた
あまた侍ひける中に
ときめき給うありけり
[24] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 00時53分02秒 ) | パスワード |
「かな」「もがな」
「な」というのは人に押しつけて言ったり
あるいは勧誘したりする場合に使ったけれども
後に詠嘆の助詞のように使い
これが「も」にかわった。
「もがも」
本来は「もが」
相手に対して願う。求める。
その前は「もか」
「もが」
不確かだけど、そうなればいいなぁ。
しかし言い放っては強過ぎるから「もがも」となり
願望・希求。
[25] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 00時58分55秒 ) | パスワード |
言葉使いには全体の釣合があるので
釣合全体の変化をみないと
言葉の移り変わりがよく理解出来ないことがある。
単語1つだけ携えて意味を考えてはいけない。
[26] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時03分02秒 ) | パスワード |
あはれ:
受諾
suffering
受け身のかたちで苦しみに耐え忍ぶ。
止まって受け止める感情。
積極的に手をださないで
情緒として受け取ってしみじみと味わう。
をを:
奈良の昔から「賛成」「わかりました」という返事の言葉。
あな:
自分が侵害を受けて「痛い」「苦しい」「嫌だ」。
[27] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時07分16秒 ) | パスワード |
「いさ」と「いざ」
いさ=不知=知らない・分からない
貫之
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に にほひける
(さぁ、人はどういう心なのか知らないけれども
私が訪ねて来た昔懐かしいこの土地では
花は昔のとおりに咲いている)
「いざ」=積極的に人を誘う。いざなうの「いざ」
「いで」=いで如何に?=さぁ、あなたはどうですか?と聞いている。
[28] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時27分29秒 ) | パスワード |
「う」=承諾を意味する「を」の仲間
源 信明(さねあきら):
今日のうちに 否ともうとも 言ひ果てよ 人頼めなることなせられそ
(今日のうちにイエスかノーか言って下さいよ。人にその気にさせないで)
[29] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時37分20秒 ) | パスワード |
「え」
日本語の1番古い時代には「え」列の音
<え。け。せ。て。ね。へ。め。 ye。れ。ゑ>
で始まる言葉は殆ど無かった。
その為、え列音で始まる言葉ー感動詞とか擬音語ーは必ず意味が下品に悪くなる。
ずっと古くからある「あ」列音・「い」列音・「う」列音・「お」列音で始まる言葉がまともな意味の座席をとってしまった為に新しく変な意味の言葉を入れようとすると「え」列音になってしまった。
例:ベタベタ・ベトベト・ヘラヘラ・ケテケテ・デレデレなど。
「えっ?!」と問い返すのも
それに続いて相手の言ってることに対する不信とか軽蔑を表わす。
[30] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時43分17秒 ) | パスワード |
「お」と「を」
「お」と「を」は違う。
「おおお」神降ろしの時に「おおお」と言ったのかも知れない。
「を」は「う」の仲間。諾。
「これを見る」の「を」と同じ。
普通は「酒飲みたい」と言い
「酒を飲みたい」とは言わない。
目的格に「を」は要らないが
その目的を確認する意味で「を」を入れた。
これは漢文の訓読から。
漢文では動詞が先に来て目的語が下に来るので
引っ繰り返して読まねばならないから。
ひっくり返す語に「ヲ」を入れたのだろう。
その結果、目的語の後に「を」をつける用法が一般化したのだろう。
[31] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時49分17秒 ) | パスワード |
「そよ」:歌を歌い出す時の掛け声。
有馬山 猪名の笹原風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
「いでそよ」=感動詞の「いで」+感動詞の「そよ」
この和歌の意味は「笹原風吹けば人を忘れやはする」と、それだけのこと。
和歌の原型を洗練された形で出した、面白い構造になっている。
定家が百人一首に選んだのもそういうところを面白がったんじゃないか?
[32] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 01時56分55秒 ) | パスワード |
「か」と「や」
「か」は体言を受ける。体言あるいは連体形。
今古集の
「君やこし 我やゆきけむ 思ほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか」
(あなたが来たのかしら私が行ったのかしら?
あれは一体夢だったのか現実だったのか、正気であったのか
自分では分からない)
業平は伊勢の斎宮に逢い、
一晩で身ごもってしまった。
[33] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 02時01分49秒 ) | パスワード |
<係り結び>
(1)ぞ・か・や・なむ(そ=古い形で、ぞが新しい)
(2)こそ
(3)は・だに・も(否定・推量・疑問・反語)
狭野弟上娘女:
逢はむ日の 形見にせよと手弱女の 思ひ乱れて 縫へる衣そ
(恋人が罪で流される時、女が着物を縫い 再び逢える迄の形見として渡した)
[34] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月15日 02時03分05秒 ) | パスワード |
樋口一葉の文がいいのは古文が身についているから。
森鴎外の「即興詩人」は読むに耐えない。
【 彦島を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.08 by Rapha. WEB design Rapha. |