[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時13分57秒 ) | パスワード |
和泉式部について:
日本史上有名なプレイガールです。
夫がありながら腹いせ浮気をして離婚
さらに浮気の相手が亡くなったあとはその弟と出来てしまった。
挙げ句は男の家に入り込んだから
男の正妻が出て行ってしまった。
結局は違う男と結婚したようですね。
晩年はどこでどうなったのか?になってますね。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時20分33秒 ) | パスワード |
和泉式部の歌は私は好きです。
好きな人は好きなんだ。
そういう愛を貫くところが好き。
そしてその思いを堂々と歌で発表するところが好き。
捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ
きみになれにし我が身と思へば
(我が身をこの世から捨ててしまおうとさえ思うことがあるけれど
私の体はあのお方に愛され、あのお方の愛に染め染められたもの。
それを思うと死ぬことも出家することも出来ない)
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時32分03秒 ) | パスワード |
平安の大スキャンダル事件:
和泉式部は貞元元年976年から天元2年979年の間に生まれたらしい。
父は越前守大江雅致
母は越中守平 保衡の娘。
父は冷泉天皇の皇后昌子内親王の下で大進(事務官)をしていて
女官の母と結婚。
幼いときから和泉式部は愛と不倫の横行する宮廷の世界に慣れ親しんでいた。
家族ぐるみで宮廷の仕事をしていた様子。
父の大江雅致は富裕ではあったが家を借りていて
大家の橘道貞が和泉式部の最初の夫になった人物。
夫の橘道貞が和泉守であったことから父の職名である式部と合わせて
和泉式部と呼ばれたのが彼女の名前の由来である。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時37分21秒 ) | パスワード |
式部は20歳ごろに橘道貞と結婚。
まもなく妊娠したので口さがない世間は誰の子だろうと噂したそうです。
式部は次のような歌で応えた:
此の世には いかがさだめむおのずから
昔をとはむ人にとへかし
(この世のことは前世からの因縁だと申します。
前世を知ってる人にでもお聞きになったら?)
この子が後に歌人として有名になる小式部内侍である。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時41分57秒 ) | パスワード |
夫の橘道貞は任地の和泉国に居る方が多く
単身赴任の家庭で
和泉式部は女盛りの体を持て余していたわけです。
ここに出現したのが輝くばかりの貴公子!
冷泉天皇第3皇子の為尊親王であった。
この美女+美男のスキャンダルが京の町を震撼させた。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時54分14秒 ) | パスワード |
妻の不倫が原因で夫婦は離婚。
親は怒るし世間は後ろ指差すし。
でも実は夫の橘道貞の方が先に不貞を働いていて
和泉式部が為尊親王の誘惑になびいたのだった。
次の2首から和泉式部が夫を完全に忘れて夫との想い出を消し去っていたわけではないことが分かる。
あらざらむ此の世のほかの思ひ出に
今ひとたびの逢ふこともがな
黒髪の乱れも知らずうち臥せば
まづかきやりし人ぞ恋しき
(病気になってもう死ぬのかなと不安に思う時
もう1度逢って縒りを戻したいと思う)
(髪の毛がくしゃくしゃになるのも構わず身を投げ出して嘆く私を抱き起こして
私の髪を優しくなでてくれた初めての人が恋しい)
オトコはたくさんいたし
みんな同じようなことをしてくれたけど
初めてそうしてくれた人が忘れられない。
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 05時59分17秒 ) | パスワード |
世の中は道長 vs 甥の伊周(これちか)の抗争が激化し「中関白家の悲劇」が勃発。
世界ニュースでは高麗の海賊船が九州沖に出没。
不吉な彗星の出現。
大暴風雨が発生。
しつこい疫病も蔓延して京のあちこちに死体がうち捨てられた。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 06時01分43秒 ) | パスワード |
和泉式部の恋人・為尊親王もこの病にかかってあっという間に亡くなってしまった。
1年あまりのはかない恋であった。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 06時07分21秒 ) | パスワード |
あの世に去った恋人の面影に涙する和泉式部の前に、今度は弟の敦道親王が出現。
当時和泉式部は26〜27歳。
敦道親王は3歳年下の既婚者。
忘れ得ぬ人の面影を弟君に見いだして胸轟かせる和泉式部と
かねてよりの宮廷内外に知られた美女である和泉式部と知り合った敦道親王は
たちまち恋の虜に。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 06時17分33秒 ) | パスワード |
そのきっかけは為尊親王の1周忌に近い頃。
為尊親王からの恋文を届けてくれていた少年が久し振りに現われ
敦道親王からの橘の小枝を差し出したのです。
古今和歌集の夏の歌:五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
と和泉式部は察し、
薫る香に よそふるよりはほととぎす 聞かばや同じ声やしたると
と返歌した。
(橘の花の香りに昔の恋人を忍ぶより
橘の枝には時鳥が来て鳴くのがきまりですから
私は鳥の声が聞きとうございます。
あなたさまのお声が聞きとうございます。
亡き兄宮さまとそっくりのお声でいらっしゃるのかどうか)
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 06時21分51秒 ) | パスワード |
ここから和泉式部と敦道親王はただれた愛欲の世界に陥ちてしまい
離れていられなくなった2人は
とうとう敦道親王は和泉式部を家に連れて行ってしまう。
突然の和泉式部との同居に怒った妻は家を出てしまった。
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 06時25分34秒 ) | パスワード |
二人のあつあつぶりを象徴するのが
有名な「賀茂祭同乗事件」である。
宮は式部を一緒の車に乗せ
簾を中ほどから半分に切り
自分の側は高く掲げさせ
彼女の方は下げたままで
下から衣の裾をのぞかせ
赤い札をぶら下げて目立たせた。
「この女の手を出すな」というおふざけをやってのけたのだった。
[13] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月10日 06時29分29秒 ) | パスワード |
夫婦のようになった2人の仲は
宮が亡くなる迄5年ほど続いた。
その後、和泉式部は紫式部と同じ一条帝の皇后・彰子に仕える。
約3年後には15歳以上年上の夫と再婚したが
円満にはいかなかった。
娘に先立たれた晩年、
和泉式部は孤独になり
諸国を流浪したと伝えられる。
[14] | リトルベアーさんからのコメント(2000年11月10日 07時45分53秒 ) | パスワード |
うーむ 波瀾万丈劇的人生? すごい。
百人一首が大好き人間の うちの奥さんに見せてやろう。
もしかしたら try してくれるかもしれん。
[15] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月10日 08時52分31秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2000年11月10日 09時12分13秒
[16] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年11月10日 09時11分15秒 ) | パスワード |
コメント[10]からのお話が、有名な和泉式部日記ですよね。(ちなみに、[6]の最初のうたが百人一首に入ってます)
私も和泉式部日記のファンです。きぬぎぬとかの、歌のやりとりがおもしろいです。
敦道親王については師宮(そちのみや)という呼び方の方が、和泉式部日記のファンとしてはしっくりきます。
#ちなみに、スナックの私のボトルの名で師宮というのがあったりします…(^^ゞ。
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