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 投稿番号:100585 投稿日:2000年10月29日 09時48分06秒  パスワード
 お名前:服部 明子
明子のスクラップ・ブック その5

コメントの種類 :生活  パスワード

ここには雑談風の記事を書き溜め、
<その6>を新設して
源氏物語のメモを書き込もうと思っています。

[1]服部 明子さんからのコメント(2000年10月29日 12時48分34秒 ) パスワード
  

<手紙の書き方>その1

学生が教師に手紙を出すのに「様」はX。「先生」に決まっている!

鉛筆書きもX。万年筆かボールペンを使用のこと!


封筒の中にレポートだけというのもX。短くとも送り状を添えろ!

中身にあった封筒を使え!

末尾に自分の姓だけ書くのもX。
差し出し人が姓だけ書くのは懇意な友人間であること。
くだけた手紙であること。
教師から学生に宛てた時であること。親しくない学生への固い文面に姓だけ書くと横柄な感じになる。
[2]服部 明子さんからのコメント(2000年10月29日 12時57分42秒 ) パスワード
  

<手紙の書き方>その2


野間真綱は漱石が東大英文科で教えていたころの門下生である。
よく先生に手紙を書くのだが。その末尾がいつも

「金之助様・・・・・・・・・・・・・・・・野間」

なのであった。
漱石は初めのうちは我慢していたがとうとう堪忍袋の緒を切って
たしなめた。


人のところへ手紙をよこすに名宛人の名前だけ書いて自分は姓だけ書くなんてえのは失敬だよ。
自分のことは大抵の場合には<真綱>とばかり書いて
姓も書かないのが礼儀である。
先方を尊敬しようとする場合には向こうの姓だけ書いて名を略す
あるいは、その人の号を書く。
自分の号を書くのは矢張り失礼になる。



以下、漱石は3つの場合に分けて末尾の書き方を教えた。
[3]服部 明子さんからのコメント(2000年10月29日 13時09分11秒 ) パスワード
  

<手紙の書き方>その3


「尊敬の場合」

一月四日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真綱
夏目様



「同等の場合」

一月四日
・・・・・・・・・・・・・・・・・野間真綱
夏目金之助様



「非常に懇意にしてる場合または目下へやる場合」

一月四日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真綱
金之助様



註1:
勿論「夏目先生」とするのが最も丁寧なのだが
漱石も教師だからそれは言いにくかったらしい。


註2:
漱石が野間真綱にこう教えてから90年経った今は
名だけ書くことは<今は>普通には<ない>。


これは昔の手紙の作法は男同士のやりとりを前提としていたからである。
その後、女性が同等の資格をもって手紙の場に加わってきたからであろう。

「夏目先生・・・・・・・・・・・・・あきこ」

などと書いてあったら<誤解>されるであろうし

「夏目先生・・・・・・・・・・・・・ひろし」

などと名前だけ書くのは今ではちょっといやらしい感じを与える。
姓を署するのが穏当である。
[4]服部 明子さんからのコメント(2000年10月29日 13時17分47秒 ) パスワード
  

<手紙の書き方>その4


大正5年、25歳の芥川龍之助が漱石に出した手紙が残っている。
「先生
また手紙を書きます」
で始まる大変良い手紙であるが

末尾は

「・・八月二十八日・・・・・・・・・芥川龍之助
・・夏目金之助様・・梧下・・・・・・・・・・・」

である。
漱石の3分類の「同等の場合」の書き方である。
漱石先生「う〜む、あいつも頭はいいんだがなぁ・・・」とうなったかもしれない。


存外、教師は昔から
「このごろの学生は手紙の書き方も知らない」
とこぼし続けてきたのかもしれない。
[5]服部 明子さんからのコメント(2000年11月01日 22時38分07秒 ) パスワード
  

「なんでも鑑定団」の西洋アンティーク鑑定士の岩崎氏によると

アンティークとは100年以上経ったモノ
50年以上100年未満はクラシック
50年未満は中古品だそうです。
[6]服部 明子さんからのコメント(2000年11月01日 22時42分59秒 ) パスワード
  

「ら」抜き言葉:

例:
下1段活用:
食べる→食べられない→食べれない=ら抜き言葉

4段活用:
喋る→「喋られない」とは言わないのでこれは「ら抜き言葉」ではない。


結論:
つまり「ら抜き言葉」とは上・下1段活用の動詞に発生する
[7]服部 明子さんからのコメント(2000年11月01日 22時45分35秒 ) パスワード
  

人生を四季に例えると:

青春・朱夏・白秋・玄冬


吐く息の白さに自分を知る白秋
1人背を丸めて過ごすほの暗き玄冬
[8]服部 明子さんからのコメント(2000年11月01日 22時58分58秒 ) パスワード
  

静岡県の気質:

地理的には沼津中心の東部、
静岡中心の静岡、
浜松中心の西部の3つに分けられる。

富士川と大井川が境になって
昔の呼び方で表現すれば伊豆・駿河・遠州となる。



よそから見れば静岡は静岡だろうが
地域によって言葉や風俗。気質が違っている。

それを表わすのが
「食べられなくなったら。。。浜松人は強盗に、静岡人は乞食に、沼津人は詐欺をする」
というたとえ話。

面白おかしく誇張した言い方ではあるが
浜松人は押しが強く、静岡人はおとなしく、沼津人はずるがしこい、という意味だ。
そうです。

長い歴史の中でそれぞれ互いに意識し合い、競い合って発展してきたが、
とりわけ静岡と浜松はことあるごとに比較されるライバルだ。


静岡で生まれ育った人は目立ちたがらず今の自分を守ろうとする人が多い。
老舗の多い商店街は歴史によりかかった殿さま商売。
激しい競争や争いは好まない。

かたや浜松は行動的でヤマハやスズキなど名だたる企業が本社を構える。
人口も静岡より多い。


静岡市は「県都」、浜松市は産業面のリーダーとして
それぞれの意地があり綱引きをしている。
[9]服部 明子さんからのコメント(2000年11月01日 23時07分50秒 ) パスワード
  

「ごみ」と「くず」

粗大ゴミとは言うが粗大クズとは言わない。

「くず」は切ったり・削ったりして
良いところを取ったりした後に残る役立たない部分をいう。

パンくず・糸くず・或いは人間のくずとは言うが人間のゴミとは言わない。
[10]服部 明子さんからのコメント(2000年11月01日 23時44分42秒 ) パスワード
  

「桶」と「樽」


桶と樽は別もの。

おひつと風呂おけがが「桶」。
白菜を漬ける入れ物が「樽」。

漢字も違うが作り方も違う。
杉やサワラの丸太をまさめ(マサは木扁に正)に割った板を組んだモノが「桶」。
板目に割った板で作ったのが「樽」。


何故まさめと板目に作り分けたのか?
板目の板で作った樽はほとんど水分を吸わないので、酒や味噌・醤油を入れて運ぶのにぴったり。
まさめの板で作った桶はうまく水分を吸ってくれるのでおひつや寿司ご飯用の半切りは桶。


桶樽を使わなくなったのは経済の高度成長期ごろ。
よろずの木製品が生産性が良くないことを理由に生産ストップ。
して生活用具の殆どが既製品化。

丁度この頃に
スラックスの「かけはぎ」
靴の「はんばり」
桶樽の「たがの締め直し」
などの繕いのある生活もしなくなった。
[11]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 04時15分44秒 ) パスワード
  

ふぐ通といわれる馬鹿は肝も喰い、
と川柳にあるそうですが、
ふぐにはすべて毒があるわけではないそうです。

清水 潮・東大海洋研究所元教授によると
「毒の元は海底のバクテリアで
それを食べるヒトデやカニをふぐが餌にする食物連鎖の結果」
なのだそうです。

バクテリアがなぜ毒を作るかは謎だが
いけすで養殖したふぐには毒がないのは
自然の食物連鎖を断つからだそうです。
[12]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 04時21分08秒 ) パスワード
  

明治37年2月10日
日露戦争が始まり
腸の疾患に苦しむ出征兵士のために丸薬が作られた。

露国に勝とうと「征露丸」と名付けられる。

征伐や征服の征はまずいと
役所の指導で昭和20年代に「正露丸」となった。

袴田茂樹青山学院教授によると
「正露丸」には「東洋を獲得する」という意味がウラジオストクにはあるそうです。
[13]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 04時26分23秒 ) パスワード
  

生涯に3回妻をめとった小林一茶が最初に結婚したのは
新郎52歳・新婦28歳。
文化11年4月11日。


俳人が書き残した日記を額面通りに読むと
他に楽しみがなかったかのような絶倫ぶり。

その秘密は俳人が好んだ碇草にありそうだ。

淫羊かく(かくはツボミ)の異名をとる野草である。
乾燥させゲンノショウコ、ドクダミと煎じて毎朝飲む。
風邪を引かないそうだ。
[14]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 04時32分31秒 ) パスワード
  

3代家光が亡くなって4日後の慶安4年4月24日、
江戸城大奥の女房3700余人に暇が出され104人が尼になったと
幕府の正史「徳川実紀」にある。

話の出所は民間の記録らしい。

しかし、この話はあやしい。
将軍が代わると官僚も大奥も交代するのが普通だが
この時は官僚に移動がなかった。

大奥だけを変えるというのは考え難い。

そもそも、そんな大人数が住めるほど大奥が広かったのかも疑問である。
[15]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 04時40分19秒 ) パスワード
  

戊辰戦争の死者の霊を慰めるため
東京・九段に出来た東京招魂社は
明治12年6月4日靖国神社と名を変えた。

現在246万6千余柱が祀られている。

ここには坂本龍馬や高杉晋作
先の大戦でA級戦犯となった人達が祀られているが
西郷隆盛は西南戦争の張本人ということで外されている。

日本海海戦の東郷元帥は戦時下の公務中の死ではないため
そして
明治35年の「八甲田山雪中行軍」の死者達も戦時下の訓練中でなかったという理由で
祀られていない。
[16]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 04時57分20秒 ) パスワード
  

若き宮本武蔵像:

江戸初期の剣豪・宮本武蔵(1584ー1645)の生誕の地とされるのが
岡山県英田郡大原の宮本地区。

大原町は智頭急行に「宮本武蔵駅」を作り武蔵の里作りを進めている。

「武蔵道場」の宮本武蔵像は没後350年を記念して
大原町が文化勲章受賞の彫刻家・富永直樹に大原町が依頼したもの。
[17]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 05時06分27秒 ) パスワード
  

豊臣秀次介錯の刀:

秀吉の甥の秀次(1568ー95)が謀反ぬ疑いで切腹した際、
介錯に使われた刀が大阪城天守閣に寄託された。

刃渡り70センチ。
保管者は横浜市磯子区森が丘2の雀部(ささべ)頼宜さん。

雀部さんは秀次の介錯人を勤めた雀部淡路守重政の兄六左衛門の子孫。

大阪市立博物館の森口隆次館長が鑑定したところ
刀身に永禄年間(1558ー70)に活躍した刀鍛治「金房兵衛尉政次」の銘があり
秀次と同時代のものと確認された。
[18]服部 明子さんからのコメント(2000年11月03日 10時15分18秒 ) パスワード
  

「トンコウ」敦に火扁+皇

「とんこう」の南の千仏洞。
ここを探検家スタインが1907年3月16日に訪ねた。

石室の壁に塗り込めてあった膨大な文書の1部を
スタインは最初の発見者王道士から手に入れた。

ゲンジョウ(三蔵法師のこと)を慕ってここまでやって来たというスタインの話が
その崇拝者たる王道士を感激させたから。


と、長沢和俊「とんこう」筑摩書房に「あのげんじょう三蔵法師の魔力のお蔭だった」
と書かれている。
[19]服部 明子さんからのコメント(2000年11月11日 00時18分01秒 ) パスワード
  

<10>の続き:

「おひつ」

まさ目取りをしたおひつの木肌は水気をよく吸うから
炊き立てのご飯の水分をほど良く調節し
弾力を保たせる役目を果たす。

火傷しそうな荒熱が取り除かれて
食べ頃の温度で保たれる。

室町時代に桶や樽が登場。
江戸時代にも木をくり抜いた「くり物」を使う例が見られる。

雑炊や粥を食べてた階層に「おひつ」は無縁であった。


囲炉裏と鍋の炊事から
竃と羽釜の組み合わせになり
「おひつ」が登場する。


食生活にご飯の比重も変わった。
料理がご飯の引き立て役から
ご飯が料理の引き立て役に変わった。
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