[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 07時02分37秒 ) | パスワード |
夫の会社に置いてた本を我が家のガレージの2階に運んで
読まない本は処分しようとこの1ヵ月バタバタやってますが
夫の会社で最初に(こんな本、捨ててしまおう)と思ってた怪奇現象の本の中に
赤間神宮のヤタの鏡についての章がありました。
今日もこの本を捨てましょう、と思ってガレージの2階に上がって行きましたが
本なんて中を見れば捨てられなくなりますから、いつもなら見ずに捨てるのに
なんか「彦島」関係のことが書かれている気がして捨てるのを止めたのです。
私としてはペトログラフでしたか?
岩に書かれた古代文字について書かれた本だったかな?
と思って目次を見たら「赤間神宮の鏡のお話」が載ってました。
良かった、中を調べずに捨てないで。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 07時09分29秒 ) | パスワード |
その前の不思議な体験というのは
またまた平家関連です。
最初、文庫を捨てようと思ってました。
特に途中の巻の抜けたシリーズ本など読んでも仕方ないので
最初に捨てようと。
でも平家関連だから(どうしようかな?)と思ったのですが
私の一族の話でもあるのだから
と思って読んでいたら
出て来ました。
第1巻・第2巻あたりは(こんなところかな?)とあんまり期待してない話でしたが
第3巻目に服部家ホンヤの先祖の話が出て来ました。
浪合記に書かれていることで
南朝方最後の戦いになる時代のことが少し書かれていました。
徳川家との関係も出て来るので
ホンヤさんにコピーを郵送しました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 07時18分52秒 ) | パスワード |
この後、どういう訳か、
私が捜して止まなかった「平田家継」の記事をよく見かけるようになりました。
私はこの人が自分の父親のように懐かしいのです。
もう3年くらい「どこかに載っていないか」と調べても
そういう時って逆に見付かりません。
私が分かってたのは喰代砦の麓に「平田」という場所があって
学校もあって農協もあって公民館もあってバスが止まる
ということでした。
いつか訪ねるだろう場所で、
でも、もう少し「平田家継」のことが分からなくては、と
まだ出掛けていません。
去年、伊賀に行った時、近くを通りました。
でも、あの時の目的は「私の恋人」に逢う約束を果たすことが先でしたから
近くを通ったけれど、そんなに感傷無く通過しました。
でも、今年、地図の上で見慣れた筈の「平田」の文字が見付からないのです。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 07時29分48秒 ) | パスワード |
捜していた記事がひょんなことから目に入ったり
あった筈の物が忽然と消えたり
そういうことって良く私にはありますから
と言ってもこの3年ですが
平田の件もその1つなのだろうと思います。
今は「平田城跡」の写真も見ました。
写真を見た時は涙で一杯でした。
あ〜、やっぱり、私はここにいたことがある、って思いました。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 07時38分17秒 ) | パスワード |
平田城跡:今はお寺になっています。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 07時42分25秒 ) | パスワード |
上記が「平田城土塁」の写真です。
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 08時29分18秒 ) | パスワード |
で、いろいろ「平田」村のことを調べ
やっと「平田村」を見つけましたが
私が昔知ってた筈の場所と、私が今知ってる場所は全く違います。
直線距離にして5キロ
(間に山があります)
そして私が昔知ってた「平田村」は喰代砦の西なのに
今私が手元で見てる地図では喰代砦の北になります。
一体この差は何なのか?
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 08時31分00秒 ) | パスワード |
今見てる地図の「平田村」には学校も農協も公民館もありませんし
バスも通っていません。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 08時33分24秒 ) | パスワード |
もっとびっくりした事は
去年、私が恋人に逢いに行った場所が、
なんと「服部半蔵」の代々の屋敷の在った所なのだそうです。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 08時39分40秒 ) | パスワード |
石垣になっていたので
砦跡かな?とは思っていましたが
千賀地の服部氏の領地とは全く知りませんでした。
我が家は伊賀を出ているから。
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月27日 08時51分55秒 ) | パスワード |
伊賀の国人の仲の悪さは
千賀地の服部半蔵 vs 東湯舟の藤林長門守 vs 喰代の百地丹波守 の3者が
それぞれ自家が嫡流だと主導権争いをしていたそうです。
この時代はウチは伊賀からとっくに出て斯波氏の配下になっていたので
良く分かりませんが。
本によると、ウチは千賀地の1流になる、などとホンヤさんが知ったら
「ウチは朝廷から認められた服部家ホンヤ!」
と不愉快に思うことでしょう。
服部半蔵というのは服部半六というのが「蔵人」役を仰せつかっていたので
それで代々「服部半蔵」と名乗ることになったのだそうです。
ま、昔は同じ一族だったのは確かのようです。
[12] | なかにしさんからのコメント(2000年10月29日 20時43分29秒 ) | パスワード |
捨てられなくて幸いでした<赤間神宮の鏡
到着をお待ちしてます。
[13] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月29日 22時41分58秒 ) | パスワード |
今日は夜中の2時にサマータイムが終わって日本との時差が17時間に戻りました。
夜中に「オキテン・オキテン」(起きてん・起きてん)と人の声がするので目が醒めました。
そしたら階下でマザーがウオーカーという歩行補助機を使ってがたがた歩いてる音がして
どうもトイレに行ったらしいけど中々トイレを出る音がしないのです。
死んでたら?と思って下に降りて行ったら
自分で袋の処理をしようとしたけどうまく行かなくて
汚れてしまっていました。
お蔭でなんとかきれいになりましたけど。
今日は私が気がつきましたけど
普段は夫が「ロン!」という声で起こされるそうです。
(多分オヤジさんの声だと思いますけど)
トイレに行った時、こおろぎがいました。
普通なら殺すんだけど
心配そうにトイレにいたところが何となくオヤジさんみたいな気がして
殺しませんでした。
だけど、どうやって家の中に入って来たのだろう?
ちょっと不思議でした。
開け放しているような家じゃないですから。
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2000年10月29日 22時54分49秒 ) | パスワード |
蜂須賀小六の出身地は勝幡というところで
結構ウチのホンヤの近くです。
上記に書いた本の中で蜂須賀家と服部家の関係が書かれていました。
ウチは後醍醐天皇のひ孫になるヨシタカのキミが亡くなってるとホンヤさんから聞いたことがありますが、
このヨシタカのキミが尾張の南朝方の本拠地だった津島神社の神官になって大橋姓を名乗り
この子孫の女性が蜂須賀に嫁に行って生まれたのが蜂須賀小六なのだそうです。
ま、近所ですから、お互い南朝方同士だったとは分かってますから、何等かの関係は
分かっていましたけど、これで蜂須賀小六が仕えるのは秀吉にであって信長じゃない
と断わってる理由もこれで納得が行きました。
我が家と織田家が犬猿の仲だったので蜂須賀家にとっても矢張り織田には膝ま付けない
ということだったのだな、と。
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