[1] | ハンスさんからのコメント(2000年07月10日 22時00分13秒 ) | パスワード |
まだ見たこと無いんですが…
庚申塚(こうしんづか)じゃないでしょうか?
[こう-しん] づか【 [×庚申] 塚】
庚申待ちの祭神を祭った塚。多く、青面金剛と三猿サンエンの像を石に刻み、
道ばたに立てた。
ついでに、
「庚申待ち」
かのえさるの夜、仏教では帝釈天(タイシャクテン)および
青面金剛(ショウメンコンゴウ)を、
神道では猿田彦命(サルダヒコノミコト)を祭って、徹夜する祭事。
庚申。庚申会(エ)。庚申講。
下関の田舎のほうに行けばよくありますね。
[2] | がっちがちさんからのコメント(2000年07月10日 23時34分15秒 ) | パスワード |
それって赤城山の徳川埋蔵金や、江戸の街並み構成の元となった、風水に関係があるんでしょうか?
下関の田舎のほうにはあるんですか。ということはこのあたり特有の文化かなんかでしょうか?
京都なんか行くと家の北東側の角は鬼門とか言ってその部分だけ角がなくて石がおいてあったりしますよね。そんな感じですか?
徹夜する祭事ということは夜中にやっているんですね。
なんかその行事興味が湧いてきました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 23時43分56秒 ) | パスワード |
江戸時代の文学に。。。
井原西鶴だったか
近松門佐衛門だったかに
コウジンサマの夜のお話がありましたね。
日本古来の祭事の1つですが
私にも文学の世界の話であり
友人が「不浄なゴミを土の中に埋めてはコウジンサマが怒る」と言った時、
私には違和感以外の何モノでもありませんでした。
ハンスさんはお若いのによくご存知ですね。
感心してしまいました。
ご家庭では日本古来の行事などがごく自然に会話されていらっしゃるのかしら?
[4] | ハンスさんからのコメント(2000年07月11日 00時23分13秒 ) | パスワード |
庚申塚の詳しい説明(市教育委員会より)
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下関市内では正月11日などに村人が集まって、農作業に牛を使っていたとき
に用いた申緒を作り、庚申塚にかけて祭りを行います。
申緒に替えてしめ飾りを使うところもあります。庚申塚の石碑が建てられている
場所は、主に三叉路、集落のはずれや境界付近で、外からの災難や悪い病気が
外から村に入ってこないように防いでもらおうという意味があるようです。
碑の銘には「庚申」「猿田彦」などと刻んだ例が多いが、
無銘のものもかなり多い。
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うちの近くにやはり庚申塚があります。やはり三叉路のかどですね。無銘です。
うちの敷地にはお大師様が祭ってある祠があります。毎年春のお彼岸の頃、
近所のおばあちゃんが集まって、旗飴を売っています。
昔は竿のところが竹ひごだったけど、最近はプラスチックになりました。
>ハンスさんはお若いのによくご存知ですね。
>感心してしまいました。
いやいや…(汗)
うちは田舎なもんだからねぇ〜
こういった史跡が多いから、「なんでこんなところにあるんだろう?」と
思ったときから調べました。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月11日 00時38分22秒 ) | パスワード |
あ〜、なるほどね。
現代的な若者と古い日本の習慣がどう結び付いてるのか
やっと分かりました。
>うちの敷地にはお大師様が祭ってある祠があります。毎年春のお彼岸の頃
「お大師様」ですか。
私の家の近辺では「弘法さん」と呼んで同じお祭りがありました。
お菓子を沢山頂きました。
今、思うと、派手な色が付いてました。
[6] | ハンスさんからのコメント(2000年07月11日 01時05分06秒 ) | パスワード |
がっちがちさん
>なんかその行事興味が湧いてきました。
その調子です。あの辺りは宅地開発が進んじゃって、この碑を知る人も少なく
なっているでしょう。忘れ去られる前に興味を持つのが一番です。
もし海外に行くとき、英語なんかを覚えるよりもまず日本の歴史・文化を「自分で」
紹介できる様にするべきですね。
服部さんのように!
ふふふ(^^;
質問されて答えられないと、「ふ〜ん」で終わっちゃって、彼らが造りあげてる
いびつな「日本像」がどんどん強固なものになっていくから(笑)
[7] | がっちがちさんからのコメント(2000年07月11日 01時44分08秒 ) | パスワード |
では一ノ宮のは、今は三叉路ではないし昔も三叉路ではなさそうなんで、地域の境界線かもしれないですね。
また一つお聞きしたいのですがその庚申塚の岩は動かしてはいけないものなんでしょうか?もちろんうごかしたい訳ではないんですが、一ノ宮の岩はしめ縄が張ってある大きな岩と、人の手でも動かせるくらいの小さい岩があります。小さい岩の方は、動かせないように鉄の柵みたいなもので囲ってあるんです。
ハンスさんのおっしゃるとおりあのあたりは農業をやっている方も年々減ってきて、その代わりに農地が新興住宅地になってます。小さな塚の存在を知る人が減ると同時に日本の文化も忘れられていくようなきがします。
一ノ宮あたりは、東亜大学の構内のはずれに何かを祭った祠があったり、住吉神社があったりと古代、中世の面白い所がまだまだありそうです。
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