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辻田真佐憲氏
『「戦前」の正体』
(講談社現代新書)
以下コピペ
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一部 入れ替えてあります
軍事氏族・大伴氏の誓い
大伴氏は、天孫降臨の際にニニギに随伴したアメノオシヒ(天忍日命)や、神武東征に随伴したミチノオミ(道臣命)を祖先にもつとされる(系譜では、アメノオシヒ―ミチノオミ―大伴氏)。その伝承からわかるように、古代の軍事氏族だった。
大伴氏は古代の忠臣として持ち上げられていた。
この大伴氏の有名な言立て(誓いのことば)に、つぎのものがあった。
(1)
海行かば、みづく屍(かばね)、山行かば、草むす屍、王(おおきみ)のへにこそ死なめ、のどには死なじ
(2)
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ
海でも山でも天皇のお傍で倒れる覚悟だ。
たとえ、打ち捨てられた屍となっても構わない──。
(1)は聖武天皇の宣命、(2)は大伴家持の長歌(『万葉集』収載)に出てくるものだが、いずれも意味は如上のとおりだ。
天皇のために死のうという大伴氏の覚悟は、大伴氏に限らず、天皇のために倒れた将士すべてに当てはまる。
そんな意図のもとで、大伴氏の言立ては祭文にしきりに引用された。
東京招魂社で1869(明治2)年6月に行われた最初の招魂祭では、祭主の小松宮彰仁親王が奏上した祝詞に、この言立ての1節が読み込まれた。
天皇(すめら)の大御詔(おおみこと)に因りて、軍務知官事宮嘉彰白さく。去年(こぞ)の伏見の役より始て、今年筥館の役に至まで、国々所々の戦場に立て、海行者水付屍(みづくかばね)、山行者草生屍(くさむすかばね)、額には矢は立とも、背には矢は不立(たてず)と言立て、身も棚不知(しらず)仕奉し将士の中に、命過ぬるも多(さわ)なりと所聞食て、其人等の健く雄しく丹心持て仕奉しに依てこそ、如此速に賊等を服(まつろ)へ果て、世も平けく治りぬれ。
すっごく泣けた。
わたしは根っからの尊皇なんだと最近つくづく思う事態にあったので
今夜まったく寝付けられなかったのは
このサイトを読め!読め!と降りて来てたのかも。
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うちの村の子が 正しくは ホンヤさんの村の子だけど
新選組に入って 御陵衛士になって 伊東先生の暗殺事件があって 会津藩邸に連れて行かれて
ここからは ニンゲンの書く記録など ということです。
記録など
どうとでも
書ける
ってコト。
尾張高須藩
⇅
ホンヤさん
⇅
松平義建公 水戸と何重にも繋がった人 正妻さんも水戸からだし
容保公にしたら 御陵衛士が捕縛されて屋敷に連れて来られたら?
なんせ容保公は孝明天皇の御宸翰を首に懸けてたと聞いてるし
もともと尊皇だし。
兄ちゃん(こっちは正妻さんの子)の慶勝も尊皇だし。
わたしの両親は 尊皇 だし。
母方は尊皇でも大坂城勤めだったし
落人になってたのに大坂城で職にありつけたわけだし
池坊で立花を究めてたからね
わたしの上司の家は尾張藩のご重臣で 佐幕だったから斬首になってて
この時代のことはわたしの中でも整理がつかない。
日本中が尊皇と佐幕に分かれて戸惑ってた時代だから佐幕を通して死んだ人達に対して敬意があるし
でもモトモトは尊皇だし徳川家には恩があるし
とわたしの中で葛藤がずっと続いてて
最近 友人とどんな曲を聴くと泣けるか のハナシをしてて
わたしは「モルダウ」を聴いてると「春望」を想起して泣けて泣けてたまらないと答えて
90年代初めのロス暴動の時 サンタモニカのオットの会社からロスの暴動の煙が見えて
その時に 5代前の先祖の家族が大坂で鳥羽伏見の戦いの煙を見た時の思いが分かって
國破山河在 城春草木深 感時花濺淚 恨別鳥驚心 烽火連三月
の部分を連想して 泣けて泣けて堪らない
と話していたのです。
「モルダウ」はチェコ語の勉強でチェコ人宅にホームステイしてたからね
そして 大君の 辺にこそ死なめ
まさに母方我が家の後鳥羽上皇への忠臣があるし
ここ暫く オカルトづいてました。
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