[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2024年12月06日 02時05分26秒 ) | パスワード |
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神武天皇陵は、
『古事記』に「御陵は畝火山(うねびやま)の北の方の白檮尾(かしのお)の上にあり」、
『日本書紀』に「畝傍山東北陵に葬りまつる」と記されている。
現在の奈良県橿原市にある畝傍山の北ないし東北に神武天皇陵があったという点では共通している。
江戸中期の元禄年間に行われた幕府の修陵事業では、神武天皇陵は塚山に定められたが(これを専門用語で「治定(じじょう)」という)、現在ここは2代目の綏靖(すいぜい)天皇陵となっている。
神武天皇陵が今日の場所に定められたのは、幕末になってから。
天皇の存在感が高まるなかでふたたび幕府により大規模な修陵が行われて、
1863(文久3)年、勅裁により神武天皇陵が神武田に変更された。
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